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表面張力  作者: フジイ イツキ
13/18

待ちぼうけ

「夕雨季さんおはよう。休みなのに早いね?」

 眩しい光が差すリビングでコーヒーを啜っていた夕雨季に、渉が起きてきて声をかけた。

「うん。これから出かけるの。半分は仕事なんだけどね」

「そうなんだ。休みの日まで働くなんて、偉いよ」

 渉はポットに火をかけ、紅茶を入れようとしていた。寝癖の付いた髪と、寝起きでぼんやりとした顔の表情が、何処かあどけなく夕雨季は微笑ましく眺めていた。

「今日は、すごいいい天気だね」

「そうね。気持ちがいいくらい澄んだ青空よ」

 窓の外を見上げた夕雨季は、日の光に目を細めながらそう言った。

「外出日和だね。俺も、どっか行こうかな?」

「今日は、予定ないの?」

「うん。特に。休みの日は割と部屋にいる事が多いけどね」

 夕雨季はふと、金曜の夜からずっと渉が部屋を空けている事を思い出した。きっと、恋人ができたのだろうと、内心思いながらそれには触れずに、再びコーヒーに口を付けた。

 ポットが沸騰する音が聞こえ、渉は火を止めて紅茶を入れた。ダージリンティーの香りが漂うと、夕雨季はカップに3分の1位入ったコーヒーを残し、キッチンに運んでそれを注いだ。

「もう、出かけるの?」

「うん。駅で待ち合わせしてるの。じゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 キッチンで渉と肩を並べながら、言葉を交わし出かけた。

 マンションを出る前に、玄関で自分の姿を確認した。膝丈のフレアスカートにシャツと竹の短めのジャケットを羽織り、きっと自然の多いところに行くのだろうと想定して、足元は動きやすいようにショートブーツを履くことにした。

『変じゃないかな?』

 自問自答した自分に、夕雨季は我に返った。別に、夏生とデートするわけではない。仕事をするためだと、自分に言い聞かせながら、気持ちの軌道を修正していた。

 マンションを出て駅へ向かうまでに、夕雨季はスマートフォンを見ながら夏生からの連絡がないか気にしたり、時計を見たりと胸の中が何処か、そわそわと落ち着かなかった。

 外の空気が少しひんやりと涼しく、休日とあって人通りは少なかったが、駅前の体育館に向かう学生たちとすれ違った。大きなスポーツバックを肩に下げ、背丈が割と高かった。バレーボールの部活だろうかと、思いながら楽し気に話している彼らを横目で見ていた。

 駅前のバスターミナル近くで待ち合わせる事にしていたので、夕雨季は10分前にはそこに着いて夏生を待っていた。

 そうして、夏生を待ちながら自分の行いを振り返っていた。

 仕事とは言え、半ば強引な性格の夏生の誘いに乗った自分自身に、夕雨季は驚いていたが、全くもって拒否をするほど嫌な気持ちは前ほどなかった。夏生の仕事ぶりを見たせいか、それとも、昨日航との決別をした後だからだろうか。

花から花へ移り舞う蝶ではないかと、自分の行動が、いささか軽薄だと反省もしていた。しかし、実際は夏生と約束をしこうして、ここで待ち合わせの場所で待っているのだから、今はその選択をした自分を認めようと、気持ちがまとまると、大きく息を吸い込んで顔を上げた。

 腕時計の針が、9時を過ぎていた。バスが数台出発した後で、辺りには更に人気が少なくなっていた。

 肩に下げていた鞄から、スマートフォンを取り出し、夏生から連絡がないか確認したが、何もなかった。

 車で来るのだから、きっと道が混んでいるのだろうと思った夕雨季は、そのまま夏生を待ち続づけた。

 15分が経過しても何も連絡がなく、30分経ったら自分から連絡してみようと、それまでその場でじっと夕雨季は待っていた。待っている間、バスの行き先を人に聞かれ、これまでここからバス移動をすることがなかった夕雨季には、不意打ちの質問に戸惑い、一緒になってバス停の行き先を見ながら、案内すると50代くらいの女性に礼を言われ、バスを待っていた。その彼女がバスに乗り、立ち去った頃には時間は9時30分を経過していた。

 その間、夏生からは一切連絡がなく夕雨季は思い切ってメッセージを投げかけた。

“おはようございます。お約束の場所で待ってますが。小野崎さん、今どのあたりでしょうか?”

 まだですか? とも言えず中途半端な質問を投げかけ送信した。それから15分が過ぎてもリアクションがなかった。

『どうしたんだろう………。急病とか事故とかにでも遭ったのかな。1時間………待っても何もなかったら、電話してみようかな』

 フラットなブーツを履いていたとはいえ、立ちっぱなしで足が少し疲れてきていた。腕時計と、スマートフォンを何度も見る事の繰り返しの動作に、夕雨季は小さくため息を吐いた。

 待っている間の時間の経過はとても緩やかで、1時間が半日くらいここで立っているかのように、長時間に感じていた。

 時計で10時を確認すると、意を決して夕雨季は夏生に電話をかけた。コール音が数回なる中、微かな緊張感が胸に響いていた。しかし、夏生の声を聞くことがなく留守番電話の音声ガイダンスが聞こえると、夕雨季はそれに伝言をした。

「今日、お約束した久住です。待っておりましたが、いらっしゃらないようなので、失礼いたします」

 電話を切ると、解けた緊張感からどっと疲れが溢れ出し、胸の中には約束をすっぽかされたのではないかと、半信半疑の思いで夏生に対して苛立った気持ちも沸いてきていた。

『せっかく、休みの日に早起きして身なり整えたのにな………。あの人、一体、何なんだろう………。商品の撮影だって、まだ残ってるのに。ちゃんと、仕事する気あるのかしら』

 苛立ちが募り、怒りに切り替わろうとしていた時に、夕雨季は声をかけられた。

「夕雨季さん。どうしたの?」

 顔を上げると、渉が夕雨季の前に立っていた。今朝の寝癖はすっかり整えられ、さらさらした黒髪に、陽の光で艶やかな天使の輪が輝いていた。

「なんか、約束すっぽかされたみたいで」

 夕雨季は笑う力もあまり出ず、気落ちしていた。

「じゃぁ、予定が空いたって事だよね?」

「そうね………。仕方ないけど」

「夕雨季さんが、疲れてなければだけど。俺と一緒に出掛ける?」

 渉の言葉に、夕雨季は迷いもなく

「うん」

 と、返事をすると渉は顔を綻ばせた。

「じゃ、行こう。足、疲れたでしょう? 少し休む?」

「ありがとう。でも、大丈夫よ。立ちっぱなしだったから、動きたいの」

 駅の階段に向かい、黒のパンツに白のTシャツの上に、グレーのコーディガンを羽織ったラフなスタイルの渉と並んで歩きながら、夕雨季はそう言った。

「渉君、これからどこに行くの?」

 ホームで電車を待ちながら、夕雨季は渉に尋ねた。渉は、隣に立っていた夕雨季をに小さく笑みを投げると、

「青空が映えて、それが楽しめる所」

 とだけ言って、具体的な行き先を教えてはくれなかった。

「着いてからのお楽しみなの?」

「そうだね。その場所に行けば、何となく分かるよ」

 漠然としたヒントをもらい、夕雨季は顔を綻ばせた。

「なんだか、楽しみだわ」

「良かった。そう言えば、夕雨季さんとこうして一緒に出掛けるのって初めてだね」

 ホームに電車が滑り込み、夕雨季と渉は電車に乗り横並びの座席に座った。

「そうね。渉君はいつも、お休みの日、何しているの?」

「うーん………割と静かな所が好きだから、公園とか図書館とか。映画とか一人で観たりもするかな。あとは、本屋とか雑貨屋とか服屋とか。都内でふらふらしてるかも。けど、今朝も言ったけど、俺、割とインドア派だから。部屋で本読んだりネット見たりしている事が多いよ。夕雨季さんは?」

「私はね………。友達の家に遊びに行ったり、職場の後輩のコとご飯したり、お茶して喋ったり。一人でお買いもとか出かける事もあるかな」

「一緒に暮らしていても、お互い別々だから、こうして一緒に出掛けるのって新鮮だね」

「そうね。外で渉君と一緒に居るのって、不思議な感じ」

 ふふっと、夕雨季は笑むと鞄にふと視線を落とした。

「心配?」

「えっ?」

 渉の質問に、夕雨季は声が裏返り一瞬ドキリとした。

「すっぽかされた相手だよ。連絡、気にしてんじゃないの? 確認してみたら?」

 夕雨季は、渉に自分の考えている事が見透かされたような気持だったが、おずおずと鞄からスマホを出して夏生からの連絡がないか確認したが、やはり何もなかった。顔の筋力が一瞬下がると、気持ちまで一気に沈んでしまいそうだった。

『よく分からないけど、もう今日は諦めよう。また明日、会社から依頼先に電話してみようかな………』

「やっぱり何もなかった」

 力なく笑んだ夕雨季に、渉はそうと、返事をして窓の外の景色を眺めていたが、どこか遠くを見ているようにも思えた。

「昨日さ、俺、凛にお線香上げに行ってきたんだ」

 静かな口調で、渉が話し出すと夕雨季はそれに耳を傾けた。

「そうだったの。お墓参り?」

「いや。実家の仏壇。凛の両親とは面識があったから。急に、知り合いに誘われて急きょ出かけてきたんだ」

 夕雨季は隣に座る渉の話を、ただ黙って聞いていた。自分の知らない頃の凛の事を、渉は目を細め、時々ふっと笑んで話していた。しかし、佳生と言う恋人の話になった時に、顔の表情が曇った。凛を置いて一人海外に行ってしまった事。その後旅行先で事故に巻き込まれて、死んでしまったと言う事を、聞きながら夕雨季は時々視線を上げながら、渉の顔を見ていた。

「渉君は、今でもその人の事が好き?」

 夕雨季は、窓の外の景色を見つめていた渉に、静かに尋ねた。そうして渉は、外の景色を見つめたまま、小さく頷いて

「うん。でも、想う気持ちが残ってるって、事だと思う。触れる事も、話をする事も、もうできない。相手の気持ちを待つ事も、自分から行動する事も。もう、何もできないからね………」

 と、渉は呟くように言った。その横顔は寂し気で、普段見たことのない大人びた印象を夕雨季は感じていた。

「………そうね」

 

 夕雨季は渉に連れられて、たどり着いた場所で、ようやくそれが何か分かった気がした。

「何処かに旅行するの?」

 羽田空港に着いた渉に、夕雨季は尋ねた。

「ううん。飛行機が飛び立っていくところ、観に行こう」

 渉はそう言うと、歩き出して展望デッキに向かって行った。渉の後を追うように、夕雨季が歩き出すと、目の前を横切ろうとしてた通行人の身体にぶつかってしまった。

「すみません。気が付きませんでした………」

 立ち止まって顔を上げると、20代後半位の男性が大きなリュックを肩に下げ、夕雨季に謝った。

「いえ。こちらこそ。すみません」

 夕雨季が顔を下げて謝ると、男性は一度会釈して足早に立ち去って行った。

『何だろう………どこかで見た事あるような気がした。芸能人? 誰だろう………』

 記憶の中で引っかかったような、違和感を感じながら、夕雨季は渉の姿を見つけると足早に歩き出した。すると、視線の先に夏生の姿を見つけ足を止めた。

『うそ………。どうして、小野崎さん、こんなところに居るの………?』

 約束をすっぽかされた夕雨季は、声をかける事はせずに、夏生の行動を目で追うと、誰かに電話をかけて会話をしているようだった。話しながら、きょろきょろと誰かを探しているようにも見えた。そうして、電話を切ると足早に歩き出すと、人の行き交う中に入り込んでしまい姿が見えなくなっていった。

「夕雨季さん?」

 渉が戻ってきて夕雨季に声をかけると、ハッと我に返った。

「ごめんね。知り合いを見かけたから」

「声かけなくていいの? 大丈夫?」

「うん。誰か探していたみたいだし。もう、何処か行っちゃったから」

「じゃ、行こう」

 渉と一緒に展望デッキに向かうと、ベンチに座って飛行機を眺めた。

「確かに、青空に映えるわね。こういう楽しみ方もあるのね。私、知らなかった」

「同僚で新井って言う、飛行機が好きなヤツがいてね。そいつに教えてもらったんだ」

 両手で庇を作り、空を仰ぐように見上げながら渉は言った。

「いつも、建物や人に囲まれて移動したり、研究中の緻密な数字を出しながらパソコンに向かったり、試行錯誤で頭使いまくっていると、こういう開放感で気持ちがスッキリする」

 飛び立つ飛行機を目で追いながら、渉は話していた。

「夕雨季さん、何か飲む? あそこのカフェでお茶しよう」

「うん。私、カフェオレがいいな」

「じゃ、席座ってて。買ってくる」

「ありがとう」

 吸い込まれそうな青空に向かって飛んでいく飛行機を眺めながら、夕雨季は夏生の事が頭を過っていた。一体、誰を探していたのだろうかと。渉が飲み物を買ってきている間、もう一度スマートフォンを見たが、夏生からの連絡は全くなかった。


お読みいただきありがとうございました。


お話は、まだ続きます。

どうぞよろしくお願いいたします。

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