過去の扉
新井に頼まれ、大学時代の仲間の合コンに頭数合わせで出て欲しいと無理やり頼まれた。個室だが店内が賑やかなチェーン店の居酒屋だった。新井や他の仲間も、気の合う雰囲気の女性と話が盛り上がっている中、渉は退屈に流れる時間をただただ傍観していた。
いつもなら、極力アルコールは避けているのだが、つぎつぎと運ばれる色とりどりの(カシスだのオレンジだのグレープだの)アルコールの入ったグラスが渉の目の前に並んでいた。渉以外は、どうやら飲める方らしく、次々とグラスを空けていたのだった。
外資系のOLらしく、ほぼ同じ年くらいの女性人達はたっぷり付けたマスカラと、くるりと巻いた髪、ブランド物のバックに長く伸びカラフルにそして煌びやかに塗られたネイルをしていた。それぞれ男女5人ずつがテーブルに向かい合い、1時間も経たないうちに席替えし、渉は新井の横でテーブルの隅で座っていた。
「佐伯君、食細い? これ、美味しいですよ」
レンコンに何か挟んで揚げ、餡がかかった料理を小皿に取り分け、渉の目の前の席の女性が差し出した。
「ありがとうございます」
皿を受け取りながら、相手の名前も覚えていない渉は、皿を目の前に置き箸をつけづに、ちびちびとカシスソーダに口を付けていた。
女性は、長く伸ばした前髪から見えた形のいい額と、右の耳元で束ね巻いた長い髪で、白い襟のないカットソーにブルーのスカートが清楚な印象だった。目尻が下がっているせいか、笑うと目が無くなり、更に柔らかな表情が印象的だった。
「楽しそうじゃないけど、苦手なんですか? こういう場」
女性に聞かれ、渉は斜めに視線を落とし重い表情を変えずに、
「そうだね………正直、言ってしまえば失礼なんだろうけど。俺、数合わせで来てるんで………」
と、渉が言うと女性は、クスクスと手を口元に添えて笑い出した。
「素直ですね。それでも、いいんじゃないですか? 周りは彼氏や、友達作るきっかけ作りで、楽しんでるけど。実は、私もあまり気のりしなかったんです」
小さく舌を出した後、くしゃっと女性は笑んだ。(後々、彼女の同僚らしい女性が、その人を“望”と呼んでいた)それから、渉は望と会話を続けていた。
主に、望の方から話、渉に尋ねたり望の話を渉が聞いたりと、その場になんとなく溶け込んで行った。
恋人と別れて1カ月経つとか、仕事の残業が多く、決算の時期は特に死にもの狂いになるとか。職場では男性はほぼ、既婚者で出会いがなく、営業などで来る男性もいいなと思う人は、たいてい結婚指輪をしているなど、望の愚痴を聞きながら、ちびちびと口を付けていたアルコールが、許容範囲を超えてしまい、渉はほろ酔い状態になっていた。
酔うと酷い眠気が襲う渉は、必死に睡魔と格闘しながら、酔いと眠気で望の話は半分以上聞くことができずに流していた。その場の記憶すら、薄らぎ周りの音すらぼんやりとしていた。
目が覚めた時には、見慣れない白い天井に、クリーム色の電灯の笠がぼんやりと見えていた。
酷い頭痛を感じ、額に左腕を乗せると、更に渉の隣でもぞもぞと動く気配に、一気に目が覚めそちらを見た。
合コンで話しかけてきた望らしい女性が、寝息を立てて眠っているその顔を、一瞬盗み見た後、さっと視線を天井に戻し昨夜の記憶を必死に呼び戻していた。
合コンの席で、向かい合った望に話しかけられ、酔いと睡魔に襲われていた。
そこらあたりから、渉は記憶が途切れ途切れで、断片的に残っている記憶を辿ると、2次会のカラオケに出向くグループと解散組に分かれ、渉は望と一緒にタクシーに乗り帰路に着いたと思ったが、そこは自宅マンションではなく、望の部屋だった。
血の気が引いた、眩暈のするような感覚を堪えながらもう一度、渉は望の姿を目視した。望は白いTシャツを着て眠っていた。しかし、渉は布団の中でトランクスだけの恰好で、寝ていた事に、自分の記憶を追及していた。
『俺は、このコと寝たのか………?』
断片の欠片をくまなく探しても、寝たような記憶がないと、渉は半信半疑の事実だったが、そう確信していたかった。
「ん………」
隣で眠っていた望が目を覚ましかけ、ゆっくりと目を開くと渉の姿を見て照れくさそうに、顔を布団で隠すように、目の下まで引っ張り上げた。
「おはよう」
「おはよう………あの、泊めてくれてありがとう………」
落ち着かない気持ちを抑え、できる限りの平常心でちらりと盗み見た望の顔を見た後、後に続く聞きたい事がなかなか聞き出せず、ぎこちない沈黙と空気が漂っていた。
「………シャワー、使う?」
望がそう言うと、顔を出してにこりと笑んだ。化粧っ気のないその顔は、昨日の顔に比べ、可愛らしさが漂っていた。
「うん。使わせて」
「手前の扉がお風呂で、その奥がトイレだから。使って」
「ありがとう」
ベッドから出て、1Kのこじんまりした部屋を歩く。バストイレは別のようで、渉はシャワーのお湯を出し、見慣れないボトルに入ったボディーソープを使い身体を洗い流すと、甘ったるい香りのするシャンプーで髪を洗った。
浴室から出ると、望がバスタオルを用意してくれて、洗濯機の目の前に置いてあったのを使用した。タオルやバスマット、洗面道具や何から何までが、ピンク色で統一されていた。
洗面所の鏡の前で、ゴシゴシと髪の水気をふき取り、ピンク色のドライヤーを借りて濡れた髪を乾かした。頭痛が抜けず、険しい表情の自分の顔が映る。鼻の周りに漂う甘ったるいシャンプーの香りが、体調にダメージを誘うように胸の中が微かにムカついた。
そうして、襟付きの白シャツに袖を通し、グレーのパンツを履くと、呑みの席でのアルコールや料理、煙草の匂いを含んだ残り香が漂い、シャンプーやボディーソープの人工的な香りと混ざり合い、更に胸がムカつく不快感があった。
「シャワー、ありがとう。タオルも」
「うん」
部屋に入ると、望はデニムパンツにシャツと薄いピンク色のパーカーを羽織、髪を後ろに一つに束ねていた。何のキャラクターだろうか、白い猫のぬいぐるみが、やたらたくさん部屋に並んでいた。女性らしい部屋と言えばそうだろうか。どこか、片付ききれていない(化粧道具やアクセサリーなど)生活感があった。
「コーヒー入れたの。どうぞ」
ベッドのすぐ近くに置いてあった小さなテーブルに、コーヒーが用意され微かに香りが漂っていた。
「………ありがとう。でも、俺そろそろ帰る」
苦手なコーヒーに付き合い、昨夜の事を聞き出そうか。もしくは望が話し出してくれるだろうかと、迷う気持ちもあったが、それよりもこの場から離れ、自分の日常に戻りたかったのだった。
「そう………」
玄関で革靴を履き、すぐ真後ろに望が居る気配を感じていた。違和感だらけの空間に、ぎこちない気持ちを抑えながら、渉はくるりと振り返り、望を見た。上目遣いで、何か名残惜しそうな雰囲気の彼女だったが、渉はそれをさっと振りほどくように、ドアノブに手をかけた。
「じゃ。ありがとう」
「うん………。佐伯君」
望に呼び止められ、渉はくるりと振り向いた。
「何も、なかったよ。佐伯君、バッと服脱いだら、泥のように眠っちゃってた」
望がクスリと笑んだ後、上目遣いで渉を見ていた。安堵の思いで胸をなで下ろしたい気持ちを隠したまま、渉はドアを開けた。
「そう。じゃ。泊めてくれてありがとう」
「バイバイ」
少し、寂し気な表情で手を振って見せた望は、まだ何か言いたげだったが、渉はそれを振りほどくように、部屋を出た。
スマホを見ると、新井や大学の仲間から、二人で消えた後の冷やかしのメッセージが続けて入っていた。
『余計な世話だ………』
と、小さくため息を吐きながら彼らからのメッセージを黙読し、返信はせずに放っておいた。
腕時計は8時前だった。週末のせいか、電車は少し空いていた。座席に座れたおかげで、頭痛のする頭を少し休めるように、眠った。
これから出かけるであろう人達に、逆流している渉は、さっき望の部屋で感じた違和感が、再び戻っていた。普段から、合コンなど滅多に参加する方ではなかったし、女性の部屋に転がり込んで一夜限りで寝たりする事なども、これまでなかった。
非日常の出来事が、渉にはとても気持ちが悪かった。
いち早く自宅に戻り、自分の居場所で日常をリセットしたかった。
そうして、重く響く頭痛からも解放されたかった。
マンションが見えると、ほっとした気持ちが広がっていた。
近くにアルファロメオの赤いスパイダーが停まっていた。すると、中から男が現れ渉に近づいてきた。
「すみません。キミ、佐伯 渉君?」
長身で日に焼けた肌が、白いシャツとジャージ素材のグレーのジャケットに、黒いパンツ姿の40代くらいの男性が、渉に声をかけた。
「はい………そうですが」
「よかった。会えて。昨日、何度も電話かけたけど、繋がらなかったから」
「電話? 着信、ないですけど?」
怪訝そうに渉が言うと、男は苦笑いを浮かべた。
「いや、キミのじゃなくて、凛のケータイに。会うのは初めてだよね? 俺、小野崎 夏生」
夏生の言葉に、渉は身が凍り付き目を丸くして夏生を見ていた。
「見たところ、朝帰りっぽいね? 仕事………ではないかな? ま、キミくらいの年の頃は遊んだほうがいい」
笑みを見せながら、余裕ある態度で夏生は話かけていた。
「あの………何か?」
「うん。朝帰りの所、すまないけど。これから、少し俺に付き合ってくれないかな?」
「は? 何でですか」
怪訝そうに渉が言うと、苦笑いをして夏生は言葉を詰まらせ何かを躊躇している様子だったが、渉に視線を合わせて口を開いた。
「君が、凛の“在るもの”を持っている。俺は、それを受け取りに来た。すまないが、それを返してくれないか?」
夏生は、真っ直ぐに渉を見た。その表情は真顔で、さっきまで見せていた笑みはなかった。渉は、夏生の言っている事が何かが直ぐに分かった。そうして、それと同時に夏生の面影が、どこか近しい何かを、感じていた。夏生を見ている渉に、夏生が口を開いた。
「凛の実家に、電話をかけた。これから、線香を上げにいくんだ。その時に、それが無いか、確認したんだ。そうしたら、荷物は、渉君に送ってもらったのが全てだって言うから。持ってるね? アルバム」
落ち着いた口調で夏生に言われ、渉は胸がドキリとした。頭の血の気がサーっと引く感覚が、身体に伝わっているのが分かった。
夏生に問いかけられ、渉は小さく頷くと、
「持ってます」
と、答えた。
「じゃぁ、今すぐそれ持って来て。俺と一緒に、凛に会いに行こう」
渉は、少し考え沈黙していたが、
「分かりました」
と、意を決して夏生に答えた。
「ここで待ってるから」
夏生は表情を緩めると、ハザードを上げている車に戻って行った。
渉は、部屋に戻りながら夏生の事を考えていた。アルバムの男は、夏生の昔の写真なのだろうか。一緒に出掛けるとなると、凛の話が出てくるに違いないと察していた。以前、電話で古い友人と言っていたが、恋人なのだろうか………ぐるぐるとかき乱される頭の中のまま、部屋に戻った。夕雨季はまだ眠っているようで、リビングの方はカーテンが閉め切っていた。洗面所で歯を磨き、自分の部屋に入ると、来ていた服を着替え、黒いパンツと白いTシャツに、黒いジャケットとアルバムを手に取った。そうして、凛の携帯を確認すると、夏生から3回着信が確かに来ていた。
自分の部屋を出ると、丁度起きてきた夕雨季と廊下で会った。
「おはよう」
「おはよう。渉君、帰ってきてたんだ?」
パジャマ姿で、髪の毛に寝癖の付いた寝起きの夕雨季は、渉にそう言った。
「うん。今さっきね。けど、もう出かけるね」
「うん。行ってらっしゃい」
小さく手を振り、笑んだ夕雨季に渉は一瞬、気持ちがふわりと緩んだ。しかし、再び夏生の元に出向くと思うと、気を引き締め緊張感が呼び戻っていた。
「行ってきます」
夕雨季に玄関で見送られ、渉は意を決する思いで夏生の待つ車に向かって行った。
「お待たせしました」
「お、着替えたね。乗って」
運転席から夏生に声をかけられ、渉は助手席に乗り込んだ。スポーツカーの深いシートにすっぽりと身体を座らせた渉は、夏生の視線を感じ察した。
「これ………ですよね?」
渉がアルバムを差し出すと、夏生はそれを受け取り表情が曇った。そうして、表紙を開いて少し写真を見ると、目を細めて顔を綻ばせた。
「いい顔してんな。写真撮ってるのが凛だからもあるか………。ありがとう」
夏生は車のトランクを開けると、車から降りてアルバムをそこに仕舞った。
「さ、でかけるか」
夏生がそう言うと、車のエンジンをかけ、夏生がボタンを押すと自動で車がオープンカーに変わった。
「すごいですね………」
唖然とした渉に、夏生は口角を上げて笑んだ。そうして、サングラスをかけて車を走り出すと、柔らかな日の下、初秋の風がすがすがしく、気持ちが良かった。
「いろいろ、聞きたい事があるんじゃないのかな? 緊張ほどけるように、車オープンにして開放感あるようにしてみたけど」
夏生の言葉に、背中を押されたようだった。自分の知っている凛の存在で、ずっと事が済まされると思っていた。思い出だけで作り上げた自分の家は崩され、目の前に現れた夏生が居る以上、渉は覚悟の上で過去の扉を開け、足を踏み込むしかなかった。
「あの、アルバムの人は誰なんですか? 夏生さんに似てますが………」
「あれは俺の弟の、佳生。で、凛の恋人だった」
夏生の言葉に、胸の奥を冷えた風が通り過ぎるような、衝撃が走った。
車は、高速道路に入り快晴の鮮やかな青空の下、渉の気持ちには、暗雲が広がるばかりだった。
お読みいただきありがとうございました。
スポーツカーが好きな自分は、街で見かけるとどうしても目で追ってしまいます。
昔、オープンカーに乗っていた頃が懐かしく思います。
お話はまだまだ続きます。
どうぞよろしくお願いいたします。