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タイムマシンに乗って

神の存在証明

          -1-


 たくさんの笑い声が響く。

 誰かが歌っている。カラオケだ。80年代の古い歌謡曲。いつも聞かされる、部長のオハコだ。調子よく囃し立てる次長と課長の声もする。

 どこかのスナック。

 そうだ、忘年会の2次会だったと思い出す。初めて来る店。確か課長の知り合いがやっている店だった筈だ。いや、次長の知り合いだったか。

 少し視界が回る。

 前の店を出た辺りから記憶が怪しい。

 なぜ酔いから醒めたか、咄嗟には判らず、ソファーに座ってウィスキーの水割りを握ったまま呆然とする。

「大丈夫?オジさん」

 鼻にかかった声で訊かれて、首を回す。ミディアムボブの女の子が、オレのすぐ隣に座っていた。

 スナックのホステスだろう。

 肉厚の唇に親しみに満ちた笑みを浮かべている。

 まだ若い。

 名刺を渡されたことを思い出す。確か、大学生だと言っていた。学費の足しにするためにアルバイトをしているのだと。もちろん、それが本当かどうかは判らないが。

 彼女の横には緑色のワニのぬいぐるみが座っている。

 オレが貰った忘年会の余興の景品だ。ウチにいるのは男の子だけで嫁にというのも今さら気恥ずかしいので彼女に譲ったのである。

 そうだ。

 彼女が口にしたセリフに驚いて、それで酔いが醒めたんだと、ようやくオレは思い出した。

 ぬいぐるみを受け取りながらオレへの礼を言った後、彼女は「こういうときに神様がいてくれて良かったって思いますぅ」と続けた。

「神様って信じてるの?」

 深く考えず訊いたオレに、彼女はこう答えたのである。確信に満ちた口調で、

「神様はいるに決まっているじゃないですかぁ」

 と、笑って。



          -2-


 飲み会で政治と宗教の話をするのはタブーだ。何せ日本人は議論をすることに慣れていない。下手と言った方がいい。政治や宗教の話をすると議論にならずケンカになってしまう。

 仮にも係長になれる程度には長くこの日本社会で生きてきた身だ。それぐらいはオレも心得ている。

 彼女の確信に満ちた言い方に虚を突かれて、何がどう頭の中で繋がったか、とにかく酔いから醒めた。我に返った。

 そこでこの話は終わらせて別の話題を探すのが、常識ある社会人としての正しいあり方だとも判っている。

 にもかかわらす彼女の言葉を聞き捨てにしなかったのは、彼女の口調が軽やかだったからだ。このまま話し続けても彼女の気分を害することはないだろう、そんな気がしたのである。

 彼女がオレ好みのかわいい子で、他に適当な話題もなく彼女の興味を引きたいという下心もあった。

「どうしてそんなにはっきり言えるんだい?」

「えっ?」

 きょとんと彼女がオレを見返す。『何のこと?』と、長いつけまつげに縁どられた大きな目が尋ねていた。

「さっき言ったよね、神様はいるに決まってるって。ちょっと気になってね。どうしてそんなにはっきり言えるの?」

「オジさんは信じてないんですかぁ?神様がいるって。どうしてですかぁ?」

 明るい弾むような声で彼女が問い返す。

 改めてどうしてって訊かれると、答えに窮した。

「信じてないワケじゃないよ」

 我ながら言い訳じみて聞こえた。

「ただ、うーん、会ったことないからね、神様には」

「仏教を信じている人は5億人、キリスト教を信じている人が20億人、イスラム教を信じている人が16億人。ヒンドゥー教が11億人。それだけの人が信じているんだから、神様はいるに決まっているじゃないですかぁ」

 すらすらと数字を上げられて、驚いた。

「よく覚えているね」

「常識ですよぉ」

 ウィスキーの水割りを慣れた手つきで作り、オレの前に置く。

「記憶力はいい方なんですぅ、あたし」

 と屈託なく笑う。

「でも、たくさんの人が信じてるからって、神様がいるとは限らないんじゃないかなぁ」

 彼女が何か危ない宗教に引っ掛かっているんじゃないかと疑う。

「もしかして実家がお寺か何かなの?」

 水割りを飲みながら訊いてみる。

「違いますぅ」

 鼻にかかった甘えた声で否定する。

「ウチの実家はシンランさまの檀家さんですけど、あたしは信じてませんよ」

「え?」

「あたしが信じているのは神様がいるってことだけで、初詣にも行きますけど、おみくじも引きますけど、ただのレジャーですから」

「えーと」

「アインシュタインさんと同じです」

「アインシュタイン?」

 突然アインシュタインの名前が出てきて、オレは混乱した。

「ほら、こんな人」

 と、彼女が長い舌を出して見せる。

「い、いや、アインシュタインは知ってるけど。あの人って、えーと」

 彼女にバカだと思われたくない。妙な意地で懸命に記憶を探る。原爆。ナチス。アメリカ。幾つかの単語が閃く。

「……ユダヤ人だったんじゃなかったっけ」

「良く知ってますね、オジさん」

 褒められたのか、バカにされたのか判らない。ただ嫌味には聞こえなかった。

「だったらユダヤ教を信じてたってこと……かな。アインシュタインさんは」

「いいえ」

 きっぱりと彼女が否定する。

「アインシュタインさんはコスモポリタンですから。宗教も特定の何かを信じていたっていうより、人を越えた存在がいるって信じてたって感じですよ。

 神はサイコロを振らないって、アレです」

 それは別の話だったんじゃないか、とオレは思った。確か、量子力学に関係していたような……。

「ニュートンさんだって信じてましたよ。神様」

 今度はニュートン。万有引力を発見した科学者。それ以上の知識を、オレは持ち合わせていなかった。

「天空と地上を同じ方程式で記述して神様の居場所を狭くしてしまいましたけど、天空の模型を使って無神論者だった友達に神様の存在を認めさせたって、読んだことありますもん」

 彼女が視線を彷徨わせる。

「ん?別の人だったかな?あれって」

「いろいろ良く知ってるね」

「学生はヒマですからねー。いいヒマつぶしです、ネットは」

「ネット?」

「はい」

 ああ、とオレは思った。手品の種を明かされたような気がして、どこか安心している自分がいた。なんだ。ネットの知識の寄せ集めか、と。

「でもさ、もし神様がいるのなら、もっと世界は平和になってるんじゃないかな」

 いい気なもので、安心すると舌が滑らかになった。人生の先輩として分別のあるところを彼女に見せたい、という不純な動機があったのは確かだ。

 我ながらオジさん臭いなと自覚しながら、酔いがオレに言葉を続けさせた。

「日本だって犯罪はなくならないよね。犯人が捕まらないこともよくある。大きな戦争は起こっていないけど紛争はあっちこっちで続いている。

 人類が誕生してから随分になるハズだけど、未だに世界から戦争がなくなっていない。

 これは神様がいないってことの証拠じゃないかな。

 何よりさ」

 話を終わらせるつもりで、最後にオレは付け足した。

「どんなに頑張ってもオレの給料が上がらない。神様がいらっしゃるのなら、まずオレの給料を上げて欲しいよ」

「逆ですよぉ」

「え?」

「神様がいらっしゃるから、戦争は終わらないんです」



          -3-


「神様は人間を愛しています。

 すべての人間を平等に愛しているから、特定の宗教や特定の国に肩入れできなくて、戦争は終わらないんですよぉ。

 神様は忸怩たる思いかも知れませんけど、黙って見ているしかないんです」

 ジクジ。

 彼女の言った言葉が、一瞬、判らなかった。

「いや、でもね」

「オジさんは、ネオテニーって知ってます?」

「ネ、ネオテニー?」

「子供のまま性的に成熟することをネオテニーっていうんです。

 ネコや犬がそうだって言われてますよ。

 ネコや犬は人に飼われて、大人になる必要がなくなって、あー、違うかな、人に愛されるためにですね、ずっと子供のままでいることでペットになったんです」

「……」

「人もチンパンジーのネオテニーだって説があるんです。

 人も子供のまま性的に成熟するって。

 どうしてだと思います?」

「それは、その……」

 彼女がスマホを取り出す。電源を入れ、操作する。

「人が何かのペットだから。何かに愛されるために、人は子供のままでいることを選んだんです。

 それが神様だって、あたしは思ってます。

 その証拠に、ほら」


 彼女が差し出したスマホを、オレは見た。

 そこに映し出されていたのは、いつもオレが見ているyahooのトップ画面だった。何も変わったところのない、いつも通りの。

 言い訳しかしない子供じみた政治家。

 幼いとしか思えない、いい歳をした大人たちの起こした、

 事件、事件、事件--。

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