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菅原あさひと愉快な陰謀  作者: 安住ひさ
2章 三種接近遭遇
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2章・第1話 異世界へようこそ①

 文芸部創刊号の件や高校生探偵など、ここ最近少しだけあった変な日常的刺激もすっかり遠い記憶のように感じられる登校中の道すがら、私は口を手で隠し、人目を(はばか)りながら大きなあくびをしていた。校門近くまで来ると、何やら活動的なエネルギーを感じる声や音が耳に入ってきた。朝練だ。

「朝から感心だよほんと」

 美術部には朝練がない。いや、正確にはある事はあるのだが、それは強制ではなく任意であった。何かしらの展覧会に向けて時間がない時は利用したりする者もいるらしいが、十数名程度のこの部において、強制ではないのにあえて貴重な睡眠時間を削ってまで作品の研鑽のために赴こうとする殊勝な心の持ち主は殆どいないであろう。

 そのため、私は校門から入って美術室に向かう事もなくそのまま自分のクラスの自分の机に着席するのだが、やはり朝練組が少し遅れるためかクラスにはポツリポツリとしか生徒がいないのだ。もっとも、私が少し早めに学校に来ているせいもあるのだろうが。

「ん?」

 ふと机の中に手を入れると、入れた覚えのない肌触りのものに手が触れた。それを取り出してみると、それはシーリングワックスの施された赤茶の手紙であった。

 私としても健全な高校生である。取り立てて恋愛に興味があるわけではないが、しかしだからといって人から求愛行動を受ける事に良い気がしない訳がない。

 身に覚えのないそれを私は半ば震える手で一旦机に戻し、周りをちらと伺いつつ机から覗かせるようにそれを開くと、


   今日の放課後、屋上で待っています。

   十八時くらいまで待って来られなかったら、また日を改めて。


と行書体気味の流麗な文字で書かれていた。

 私は一先ずそれを隠し、何も無かったかとでも言うように授業を受け続けながら、その犯人を推理し続けた。



 こういう時、普通は約束の時間までが短く感じるのであろうか、それとも長く感じるのであろうか。私は後者であった。やけに座学が長く感じられ、普段の授業をなんとか耐え抜いている私でも、今回ばかりはさっさと終わってくれ、もう我慢出来ないと授業中ひたすら念を黒板上の時計に向けて送り続けていた。

 そして、来る放課後がやって来た私は、じっと私を見続ける裕子の視線を背後に感じながら、何でもないようなふりをして教室を出た。その後、誰かに勘付かれないように私はあえて校舎を迂回して屋上へ続く階段を登っていく。

 興奮収められず、少しばかり鼻息が荒くなってしまっていた私は深呼吸をし、屋上のドアノブに手をかける。ふと鍵はかかっていないのかと思ったが、思っていたより何の抵抗もなくドアは開いた。

 眼前に広がっていたのは取り立てて何もないプレーンな屋上。青春の原風景ながら、大方において入る事は許されないこの土地へと、私は足を踏み出そうとした。

 ここで、よくよく考えてみたら立ち入り禁止の屋上に立ち入るのは如何なものかと私は思った。しかし、ここには見られて困るものは何も無い事と、おそらく屋上が立ち入り禁止になっている原因であろう行為に私は抵触するつもりは無い事、加えて私が屋上に立ち入った事を誰にも知られなければ我も我もと誰かを触発する恐れもないという事に思い至り、私は構わず夕日が照ってノスタルジックに輝くアスファルトの元へと躍り出た。

「ああ、良かった。来てくれないかと思ってました」

 私が屋上の奥の方を見やるなり、そこに立っていた人物は安堵したようにそう言った。

 なんと言っても言い訳にしかならないが、携帯が跋扈(ばつこ)しているこの世の中でわざわざ机の中に手紙などという古典的手法に頼る理由は一つであろうと私は踏んでいた。要するに恋文だと私は早合点し、我ながら節操の無い事にいささか興奮気味にここまでの道中を来たのであるが、どうやらそれは違ったらしい。

「ヒルデ、さん?」

 そこに立っていたのは、遥かな北国からの留学生であるヒルデガルド・フォン・クノックスさんであった。

「あの、一応確認したい事があるのですが」

 私がヒルデさんに問いかけると、ヒルデさん「はい?」と言って首を傾げた。青緑の丸い瞳がこちらを見つめている。

「机の中に手紙を入れたのは貴方ですか?」

「ええ。そうです」

 そう言ってヒルデさんは夕日を浴びた最大級の眩しい笑顔をこちらに向けるものだから、私は心ならずもその笑顔に一瞬見惚れてしまった。無駄のない肉付きの上彼女は背が高く、しゅっとした輪郭は男ならず女までも虜にしてしまう美しさがあった。ついでに言えば胸もあった。

「手紙を机の中に入れるというのは、一体どういうつもりですか」

「どういうつもりって、分かりませんか?」

 再び首を傾げるヒルデさん。ふと、ある考えが私の頭の中によぎった。彼女の中にはその、ひょっとすると、耽美的な志向があるのではないだろうか。つまり手紙はやはり私の推測通りであり、彼女はそのつもりで差し出したのかもしれない。

 そこまで考えたところで、ヒルデさんはぷっと笑いだした。

「冗談ですよ、あれだけじゃ分かる筈ないですよね」

「はあ、そうですか」

「ごめんなさい、こんな所に呼び出して。でも近場で人目が無い所ってここしか思い付かなかったから」

「という事は、何か他の人に聞かれたくない事なんですね」

「ええ、ナイーブな事ですので」

「成程。でも、何故それが私なんですか?」

「それは貴方が」

 と、言いかけて彼女は口を(つぐ)んでしまった。そして、一度思慮するように視線を落とした後、ふと思い切ったように顔を上げた。

「あの、これから言う事は至って真面目な事ですので、どうか茶化さないで聞いていただけませんか?」

「え、は、はあ。それは、いいですけど」

「ありがとうございます」

 少しの間があった後、意を決したように彼女は口を開いてこう告げた。

「私、実は異世界からやって来たんです」

 一瞬、世界が硬直したかと思った。しかし、そうではなくむしろ硬直したのは私である事に間もなく気が付いた。

 私は只そこに立ち尽くしていた。彼女は私の言葉を待っているようで、不安そうな面持ちでこちらに視線を注ぎ続けていた。その少し怯えを含んだ表情は何とも愛らしく、私はその顔をもう少しばかり眺めてもいたかったが、あまり返答を長引かせるのも彼女に申し訳が立たないので、私は必死に先程の暴露に対する理解と対策を講じ始めた。

「成程、確かに北欧は日本とは異世界ですものね。やっぱり文化圏の違いは戸惑いますよね」

 それが、脳内議会による侃々諤々(かんかんがくがく)の議論の結果によって絞り出された私の答えであった。私の出した回答に文句がある人がいるなら、可及的速やかに私の代わりに雄弁を奮ってほしい。私には、これが限界だ。

 ヒルデさんは私の答えに肩を落とすでもなく、喜色を浮かべるでもなく、只静かに首を横に振った。

「ごめんなさい。やっぱり混乱させてしまいましたね。でも違うんです。私が意図しているのは北欧世界の事でもバルト三国の事でもありません。そういった比喩的な意味ではなく、物理的にこの世界とは異なる世界の事なんです」

 私は彼女の言っている事を理解するのに多大な時間を要した。しかし、彼女は私が結論を出すまでにあまりに時間がかかっている事に業を煮やしたのか、

「ええと、分かりました。私が電波を発しているわけでも、不思議ちゃんというものでもない事を証明してみせましょう。こういうのは、知識をひけらかすみたいで好きではないのですが」

 そう言うとヒルデさんは徐に手を下に(かざ)し、何か呪文のようなものを唱え始めた。私はというと何をするでもなく、只ひたすらにその様子を見守っていた。

 果たしてそれで何秒経過したであろうか。

 出来る事なら、私の眼前で披露されているそれをそっくりそのまま別の誰かに見せてあげたかった。これなら、どんな懐疑主義者でも思わず首を縦に振ってしまうしかなかろう。それほどまでに私は、実にセンセーショナルな出来事に遭遇していた。

 ヒルデさんが下に翳した手の先にあったのは、まるでミニチュアの太陽のように渦巻く火の玉であった。

「こ、これはなんですか?」

 情けないながらも、私はそれを見て月並な問いかけしか出来なかった。

「ファイヤーボールって、分かりませんか?」

「ファイヤーボール……」

「ええ。盤上遊戯(ボードゲーム)電子遊戯(テレビゲーム)などでは古典的で馴染みがあるかと思いましたが、そういえばあさひさんは女の子でしたね。あまりロールプレイングゲームは知りませんか」

 やっ、とヒルデさんが拳を閉じると、その火の玉はあっという間に雲散霧消してしまった。

 ヒルデさんは呆然とする私を見て純真そうな笑みを浮かべる。

「どうでしょう、これで信じていただけましたか?」

 その問いかけに、やはり、私は無言のまま脳内で緊急会議をかけていた。こんなに頻繁に緊急会議とは、そろそろ私の脳内細胞が過労で倒れてしまいそうだ。


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