第3話 闇夜の挑戦状
調査の基本は聞き込みだ。一にも二にも足を使うことが重要と言えよう。
しかし、時刻は逢魔が時。
見渡した墓地は薄気味悪く、黄昏色に染まりつつある。背筋に走った寒気は陽が暮れ始めたからなのか、或いは死者の眠りを妨げて、掘り起こしてしまったためか。
うーん、難事件解決のためとは言え、我れながら罰当たりなことをしてしまった。
「安らかに眠りたまえ」
遺体を……棺をあるべき場所に戻して、祈りを捧げる。
「調査は明日にして、宿を取りに行きましょう。バン様のせいで野宿なんて私はゴメンですから」
こちらに振り返ることなく、主の俺を置いて歩き出すメアは何と薄情な奴なのだろう。
それに、摩訶不思議な出来事が目の前で起こってるというのに、興味を示すこともない。
つまらないと言わんばかりに垂れ下がる尻尾、それが俺を嘲笑っているかのようだ。
「かのようではなく、嘲笑っているんですよ」
「なんと!?」
可愛げの欠片もない綿飴のようなメアと共に、本日世話になる宿へとやって来た。
事件に夢中になり過ぎて、昼食を取っていなかった俺の頭は空腹で回らない。
回転率を上げるために食堂で栄養補給をしていると、何やら噂話が聞こえてくる。
「おい、聞いたか? また夕べも出たらしいぞ!」
「ああ、やっぱり噂は本当だったんだ。この街は公爵令嬢の呪いにかけられてしまったんだ」
ん……なんの話だ?
公爵令嬢の呪い……話からしてキャサリンのことで間違いなさそうなのだが、出たとは何のことだ?
俺は全神経を両耳へと向け、男達のひそひそ話に聞き耳を立てる。
事件解決のためには情報収集は欠かせないからな。
品がないとか、無粋とか言ってくれるなよ。
「頭の中で誰と喋っているんですか。気持ち悪いですよ、バン様」
「メア君、君に言っているのだよ!」
「仏頂面をこちらに向けるより、まずは耳を澄ますのでは?」
「あっ!?」
もー、メアがいちいち突っかかって来るから話が飛び飛びでよくわからなかったじゃないか!
どうしてくれるんだと、ミルクを飲み終えたメアに眉根を寄せるが、素知らぬ顔で毛繕いに夢中だ。
「部屋に戻るっ!」
メアにもわかるように不満と顔に書きながら、席を立って部屋へと歩みを進める。
この宿は一階が受付と酒場になっており、二階に部屋が複数用意されている。
部屋に入るとすぐに蝋に火を灯して、俺は質素な木製の机に向かった。
本日得た事件の詳細を、バン・レガシー事件簿に記録するためだ。
書き出して置くことでいつでも事件の詳細を振り返ることが可能となる。
これは最早俺の日課と言えよう。
しかし気になる。
何が気になるって、先程の男達が話していた内容だ。
簡要に説明すると、キャサリンが三ヶ月前に亡くなったことは街の者達も知っているらしいのだが、自害したとまでは知らない。
勿論、第四王子に一方的に婚約破棄されたなど知るはずもない。
だが、彼らは口にした。
この街にキャサリンの呪いがと……呪いと言うのは怨みがあってのものだ。
街の者はひょっとしたら薄々勘づいているのかもしれない。
だがしかし、相手はこの国の第四王子。公に王家の者を批判したとなれば、牢屋に入れられかねない。
だから夜な夜な噂話に花を咲かせるのだろう。って、それはいいとして、問題は男達が話していた内容だ。
なんでも、キャサリンが亡くなってしばらく経った頃から、この街には彼女の幽霊が出るともっぱらの噂らしい。
ある日、酔っ払った一人の若者が貴族街に誤って入った。すると、暗闇に一人佇む少女を発見したという。
若者は下心丸出しで少女に歩み寄ったのだが、すぐに悲鳴を上げることとなる。
何故なら、月明かりに照らされた少女の顔は青白く染まっており、恨めしそうに第四王子が住まう別邸を見上げていたのだ。
このことはすぐに娯楽に飢えた市民に知れ渡り、噂は瞬く間に広がった。
次の晩には噂を聞きつけた貴族子息達が集まった。面白がって丑三つ時に幽霊退治をすると息巻いて。
しかし、そこで彼らは世にもおぞましいものを目にすることとなる。
噂通りそこには一人の少女が第四王子の屋敷を見上げていたのだが、なんとっ!
その少女は亡くなったキャサリンが第四王子に婚約破棄を言い渡された日に着ていたドレスと、まったく同じ物を着用していたのだ。
恐ろしくなった子息達は慌ててその場を立ち去り、次の日には調査隊と題し、街の者達が退治に向かったが、結局捕まえることは叶わなかった。
捕まえるべく追いかけると、闇夜に溶けてしまったように少女の姿が忽然と消えるのだとか。それ以来、この街の者達はキャサリンの呪いだと震えながら夜を過ごしている。
「実に面白い!」
自慢ではないが、俺は若かりし頃に精霊学を学び、天才精霊師と呼ばれた身。そんな俺の前に幽霊事件だと!
面白い!! 是が非でも幽霊キャサリンの正体を突き止めてやる!
死者が再び現世に戻ることなどあり得ない。死者の魂は例外なく冥王ハーデスの元へ誘われ、安らかに永久の眠りにつくとされている。
万が一、死者と交信可能な者がこの世に存在するのなら、それは闇の精霊術を極めたネクロマンサーだけ。
しかし、それは禁忌!
人には踏み行ってならぬ境界線が存在する。
その一線を越えた者が居ようものなら、ハーデスの怒りに触れ、魂は永遠の牢獄に囚われることとなる。
人が冥王ハーデスに勝てるわけもない。
我々人間は所詮人間なのだから。
「随分とお一人で盛り上がっておいでですね、バン様」
またメアか! いちいち人の話に水を差さなければ気が済まない性格なのが、彼女の厄介なところだ。
「話に水を差しているのではなく。バン様のお顔が興奮のあまり崩れているのが微妙なので、忠告をしているだけです」
「ほっといてくれっ!」
「まるで年端もいかない少女にスゥハースゥハーしている変態のようで、バン様の保身に関わるかなと思っただけです」
「くぅぅううううううっ! もう寝るっ!!」
メアのバカが失礼極まりない発言をするものだから、せっかくの気分が台無しだ。
こういうときは早々に寝るに限る。
「28歳の大人とは思えない行動ですね。まぁ、私からすればたかだか28年しか生きていないバン様は、生まれたての赤子同然なのですが」
「うるさいなっ! もう寝るって言ってるだろ! それより早くこっちに来い!!」
「ハァー、それが物を頼む態度ですか。28歳にもなって、私をモフモフしないと寝れないなんて……そんなんだから誰にも嫁に来て貰えないんですよ」
「黙れっ!」
メアを無理やり掴み上げ、ベッドに招き入れて不安を解消する。
彼女の言う通り、俺は幼い頃から眠るのが怖いのだ。
眠りにつくと、幼い頃から悪夢が俺を襲う。
そのため、俺は精霊学を必死に学んだ。すべては悪夢を食べ尽くすといい伝えられる闇の精霊、ナイトメアを召喚するため。
俺は彼女が側にいないと不安で眠れない。
俺にとってメアは睡眠安定剤のような存在なのだ。
一人で寝てしまえば、また幼き日の悪夢が俺を襲いそうで……恐ろしいからな。
だけどほら、モフモフを全身に感じていると、暖かくて睡魔が襲ってくる。
頬ずりしているうちに意識が薄れゆく。
「……ください、バン様! 起きてくださいバン様ってば!!」
「う~ん、一体なんだ?」
人がせっかく気持ちよく安眠についていたというのに、メアが揺すり起こしてくる。
目を擦りながら、枕元に置いておいた懐中時計を手にして時刻を確認。
時刻は午前2時を少し回った丑三つ時。
「まだ夜中じゃないか」
「バン様……気配がします!」
ん……? 気配ってなんだ? 何のこと?
ベッドの上から窓に体を向けて目を細めるメア。
「窓の外に何かいるのか?」
徐にベッドから立ち上がり、狭い部屋の中を数歩ほど歩くと窓辺にたどり着く。
そこから暗がりの街を見下ろすと、「うわぁっ!?」と情けない声が喉の奥から突き上がってくる。
見下ろした視線の先には月明かりに照らされたナニカがいる。死神を彷彿とさせる漆黒のドレスを身にまとった少女のようだ。
この暗闇では顔の確認はできないが、夜の闇を溶かしたような特徴的な濡羽色の髪……墓地で確認したキャサリンと同じ髪だ!
それに……月明かりを反射して光るブローチ。
「そんなバカなっ!?」
俺は慌てて部屋の壁に掛けておいたお気に入りのフロックコートへと駆け寄り、一目散にポケットの中のブローチを取り出した。
美しい薔薇が絵が描かれたブローチ。タトナー公爵から借り受けた亡きキャサリンの私物だ。
「ここにある……」
だが、今しがた見下ろした少女が身につけていた物は、間違いなく同一の物と思われる。
タトナー公爵の話だと、これはキャサリンが職人に特注で作らせた物。世界に二つと存在しないはず。
「そんなバカなっ!?」
再び駆け足で窓へと近づき、窓を勢いよく開くと、夜風が俺のミルクティー色の髪を靡かせる。それと同時に机に放り出したままの手帳が不気味にパラパラと音を立てた。
俺は身動きが取れずにいる。
それはまるで幼い頃に見た悪夢のように、全身の毛穴がパッと開き、金縛りに遭ったかの如く、見えない鎖が体にジャラジャラと巻かれていくような感覚。
息を吸うことも吐くことも忘れてしまった俺は、瞠目することしかできない。
そんな俺を誘うように、身の毛もよだつ不気味な笑い声が、風に乗って鼓膜を微かに揺らした。
「バン様! しっかりしてください!」
「メ……ア」
見えない何かに支配されていた体が、彼女の声音によって一瞬で解き放たれる。
また、彼女に救われた。
メアは窓の縁に飛び乗り、キャサリンの亡霊ではなく俺を見据えている。
力強く優しいバイオレットアメジストの瞳が、臆病者を映し出す。
「真実を知りたいと願ったのはバン様なのですよ! 惑わされてはいけません!」
そうだ。メアの言う通り。
俺は今、摩訶不思議な体験をしているのだ。
いや、違う。何者かが何らかの意図を持って、俺に挑戦状を叩きつけている!
「望むところだ! この名探偵バン・レガシーに挑戦したことを後悔させてやる!」