公爵令嬢からの手紙
俺の名はバン・レガシー。ただの探偵だ。
そんな俺の探偵事務所に一通の依頼書が送られてきた。
送り主は近隣の街に住む貴族令嬢。手紙の中には金貨が一枚同封されている。
正直、仕事を受けるか受けないかは内容を聞いてから判断したいのだが、こうも一方的に金銭を送りつけられては会いに行くしかない。
そもそも、断るにせよこの金貨を返しにいかなくてはならない。
それになにより、手紙の内容が少し気になった。
手紙には達筆な字で一言だけこう書かれている。
――怨みを晴らして下さい。
これを見て気にならない者が居たら、是非一度お目にかかりたい。
イタズラで金貨を同封してくる輩などいない。
それになにより、送り主の名が気になった。
送り主はキャサリン・タトナー。
タトナーというファミリーネームは俺が知る限り、近隣の街に住む公爵家だけだ。
公爵家の令嬢がしがない探偵に助けを求める。実に興味深い。
まぁ、実際は助けではなく怨みを晴らせなのだが。そんなことはこの際どちらでもいい。
と、いうわけで、その日のうちに列車に乗り込み近隣の街までやって来てしまった。
我ながら思い立ったら即行動のこの性格が悩ましい。
「何を言ってるんですか、本当はウキウキしてる癖に。顔に超楽しみって書いてますよ、バン様」
呆れた声音で問いかけてくるのは相棒のメア。彼女は闇の精霊ナイトメアであり、俺の頼もしいパートナーだ。
モフモフの体を揺らしながら歩く姿は小型犬にしか見えないが、額に光る宝石のような石が犬ではないと物語っている。
呆れて目を細めるメアから目を逸らし、俺は「ふんっ」と鼻で息を吐き出す。
永遠に等しい時間を生きる精霊と違い、人である俺の生涯は短い。
短い生涯の中で如何に沢山の不思議と出会えるかが俺の人生の課題なのだ。
精霊のメアにこの探求心がわかって堪るかっ!
「探求心ではなく、ただの野次馬根性の間違いでは?」
「メアちゃん! 約束したよね? 人の心を勝手に読まないと約束したよねっ! もしも俺が今スケベぇ―な考えに更けていたらどうするつもりだい? 羞恥じゃないかい! おっさん恥ずかしくて寝込んでしまうよ」
「なら、いい加減くだらない探偵業なんて廃業し、お嫁さんでも貰ったらいいでしょ。そうすればその淫らな欲求不満も多少は改善するのでは?」
何という言い草だ! しどいっ!!
変人伯と言われ、挙げ句家族から絶縁宣言されたこの俺が、28歳の今日まで独り身だったことを君も知っているだろう。
それに、俺は性欲よりも探求欲の方が勝ってしまう。
未知なる出来事や摩訶不思議な現象に出会ったときのあの幸福感……20年以上も一緒に居るのにどうしてわからないんだよ。
呆れてしまうのはこちらの方だ。
「置いていきますよ」
「あっ、待って!」
プリプリとお尻を尻尾を振って、主の俺を置いていこうとする薄情な相棒の後を追いかけ、やって来たのは一際大きなお屋敷。
タトナー家だ。
「どうやら依頼主の屋敷はここで間違いないようだな」
ご立派な門の前に立ち、庭先で掃き掃除をする使用人に声をかけて事情を説明すると、何故か顔面蒼白。「少々お待ちください」と慌てて屋敷に駆け込んでいく。
待つこと数分。
屋敷から主と思わしき中年の男性が血相変えて飛び出してきた。随分と慌てているようだが……そんなに慌てることか?
いや、慌てるのも当然かも知れないな。
公爵家の令嬢が街の探偵を雇ったなど表沙汰になれば、タトナー家の名誉に傷がつくかもしれん。それにしても、随分と顔が窶れている。痩せこけて顔色が悪く見えるが……まぁ、公爵家ともなればそれなりに色々と気苦労が絶えないのだろう。
依頼主の家庭事情の詮索はよろしくないな。
「お初にお目にかかります、タトナー公爵。私はバン……」
「そんなことはどうでもいい! 彼をすぐに客間に通すんだ!」
あらら。本当に慌てているようで、控えていたメイドに俺を屋敷へ案内するように指示を出している。
やはり、俺のような探偵のことを誰にも知られたくはないのか、首を左右に振って人目を気にしておられる。
屋敷の中に通された俺はソファに腰掛け、メイドが淹れてくれた品の良い香りが漂うダージリンを傾ける。
その間、依頼人の父親と思わしきこの屋敷の旦那様は、落ち着きなく親指の爪を噛んでいらっしゃる。
公爵家の人間ともあろうお方が、なんとはしたない。
と、思ったが、どう見ても目前の男性は常軌を逸している。同時に俺の全細胞がフル稼働して、背中がむず痒くなった。
これは間違いなく依頼内容に関係しているのだと、否が応にも興奮してしまうというものだ。
早く知りたい。一体どんな不思議を公爵家は……キャサリンは抱えているのだろう。
足元で寛ぐメアが見透かしたような眼差しを向けてくるが、気にしてなるものか!
「それで……娘から手紙が来たと聞いたのだが」
「ええ、こちらです」
娘からの手紙を見せろと急かしてくる男性に、懐からそいつを取り出して見せて差し上げる。
すると、「たた、確かにこれは娘の字で間違いない」と、何故かガタガタ震えて頭を抱えてしまわれた。
顔色も先程より一層悪く窺える。
一体何があるというのだろう?
早く知りたい。一秒でも早く教えて欲しい!!
何ならこの依頼に関しては料金など一切いらん! 金貨を返せと言われれば返してやる!
だから早く!
「あなたを見込み……お話しましょう」
随分と勿体振るな。
これでくだらなかったら承知しないぞ。
「ええ」
「実は……」
俺は男性の話に耳を傾け、この三ヶ月間の出来事を聞いて、ブルブルと体が震えてしまう。
「やはり、そうなるか。いや、それが普通の反応だろう」
男性は俺が怯えてしまったとでも勘違いしたのだろう。不安気な瞳が虚空を見つめる。
だが、寧ろその逆だ!
「お、面白い! 実に面白い!!」
「は?」
いかん! 話を聞いてつい興奮し、声を張り上げてしまった。
男性の俺を見る目が、一気に不審に満ちたものへと変わってしまう。
「ゴホンッ! 失礼、取り乱しました」
「……………はぁ」
「しかしご安心をっ! この難事件、必ず私が見事解決して見せましょう! そして、必ずキャサリンお嬢様を救ってごらんに入れましょう!」
「おお、本当か! 引き受けてくれるか!」
泣きながらおっさんに手を握られても嬉しくはない。それに、依頼してきたのはあなたではなく娘のキャサリン本人だろう。
まっ、細かいことはいいか。
そのキャサリンは三ヶ月前に死んでいるというのだから。