23:気分屋な魔女が選んだ一つの賭け
生きているのに生きていない。心を亡くした少女の姿を、魔女は憐れみました。声を奪う前に貰ったありがとうは今も暖かく魔女の心を満たしているのに、同じくらい心の中を寂しい気持ちで一杯にしているのです。
魔女には解りませんでした。少女がこの道を選んだ事が本当によかったことなのか。嘘を吐く事が嫌で、それを阻止するためとはいえ心を亡くしてまで声を失うことが正しかったのか。どう考えても魔女には正しいとは思えません。
しかし、それは魔女の考えでしかないのです。少女にとっては、これが最高の結末だったのかもしれないのですから。
それでも、魔女は思います。
「これが幸せだとは、私には思えないよ。お嬢さん」
ただ現実から逃げているだけじゃないのか。そう思えてならない魔女は一つの賭けに出る事にしました。
対価として貰った心にそっと口付けてから魔法を掛けた魔女。見る見るうちに少女の心はハート形の結晶となって固まっていくではありませんか。しかしそれは少女の心の傷もしっかりと表しているのか、細かな傷が目立つ結晶でした。
魔女はそれに魔法をもう一度掛けます。すると結晶は銀の鎖を付けたペンダントに加工されました。
傷ついた心を結晶とし、それをペンダントへと変えたのには何か意味があるのか。まじまじとその出来を見つめる魔女は満足げに頷きを一つ落とした後、そのペンダントを少女の首へと掛けてあげました。
細い首筋に似合う銀の鎖はキラキラと煌めいていて、結晶となった傷ついた心は少女の胸元を優しく飾ります。
これまた満足げに頷いた魔女。次に取った行動は指をパチンと鳴らして少女の服装を元の服装へと交換する事でした。幾らなんでも自分の服を着せたままと言うのは流石に、と考えた様です。
「身の丈に合わない服じゃ、流石に可哀想だしねぇ」
苦笑いに近い笑みを零しながらそっと指を伸ばして少女の頬に触れました。
「いいかい? よくお聞き、お嬢さん。今から私は君に条件付きの眠りの魔法を掛ける。これを解く事が出来るのは、お嬢さんの心の結晶を溶かす事が出来る人物だけだ」
少女は魔女の言葉を聞いています。しかし、表情は動きません。聞いている、と言う風に見えるだけかもしれません。それでも魔女は全てを承知の上で言葉を語ります。
「お嬢さんの心を溶かしてくれる人物が現れるまで、独りでずっとこの家の地下で眠り続ける事になる。それは長い長い眠りになるだろう。しかし、その眠りは贖いだと知るといい。現実に向き合わず、願いに縋る事で逃げた事に対する贖いなのだと」
少女からすると逃げたつもりはないのかもしれません。けれど、嘘に立ち向かうのではなく願いと言う形で声を失くした少女は逃げてしまったのです。嘘と言う大きな刃から。その刃が付けたであろう沢山の人達の傷から。
魔女は唄う様に語り続けます。
「贖いに適した時間が過ぎたなら、きっと君の前に誰かが現れる。お嬢さん、君の心を溶かしてくれる誰かが、だ。――そうだね、ただ出会って目覚めるだけでは興が無いか。うん、ここはやはり定番の定番、口付けで眼を覚ます、に切り替えておこうか」
ふふ、と楽しげに笑いながら魔女は頬に触れていた指を額へと滑らせ、そっと小さく呪いを紡ぎます。それは少女を眠りへと誘い、ゆらりと揺れた身体はそのまま後ろへと――倒れ込むその前に、魔女の腕が抱きとめました。
「お休み、お嬢さん」
優しい声で耳元にそう囁いたなら、魔女は少女を抱き上げて本棚へと近づきます。本棚は魔女が眼の前にやってきた事を察知すると、その身を奥へ奥へと後ずさりました。
ズズ、ズズズッと音を立てて後ろへ後退した後、今度は右へとずれていきました。完全に音がしなくなった頃には本棚一台分の抜け穴が完成。地下へと続く階段が数段、部屋の明かりに照らし出されていました。
魔女は迷うことなくその階段を下りていきます。後ろで本棚が元の位置へと戻る音を立てても気にせずに先を進むその姿は慣れたもので、完全に入口を塞がれてしまっても慌てず騒がず魔法で明りを灯していきました。
どれだけの段差を歩いた事でしょう。数えるのも面倒なくらいに奥深くまで下りた所で、ようやっと広々とした地価の空間へと魔女は下り立ちました。
「さぁ、ここがお嬢さんの眠る場所だよ」
魔女の視界の先には一面に広がる花畑。地下である筈なのに地上の様に明るく、太陽が差し込んでいるかのような暖かさが瑞々しい花々を生み出していました。
「ちょっと特殊な仕掛けを施していてね。此処は年中春の様な場所なのさ」
自信作だと言わんばかりに魔女は嬉々とした声で少女に話しかけます。眠っている少女にその声は届いていないことなんて、眠らせた張本人である魔女には解っています。
それでも少女に伝えたいのです。長い長い眠りの時を、独りぼっちにはしないのだと。




