理不尽
※ちょっと汚いかもしれません
視界が白から解放された時、目に飛び込んだのは嫌な笑顔を浮かべた男だった。
「おめでとう!きみがこの試験に合格した『勇者候補』です!よって、君は今から『勇者見習い』として、どこかの国に貢献していただきまぁす!」
顔面に右ストレート――決まった。
「ちょ、い、痛い!なんて野蛮な!!!」
嫌な笑顔と、聞きたくない声に思わず拳が飛び出したが、おかげで頭がすっきりした。
と同時に、生き物を――人を殺したことを、思い出した。
「――っう、おぇ……」
思い出して、こみ上げる嘔吐感。手で口を覆う。その際、制服についた血が、これでもかと主張してくる。
「えぇ……。今度は、吐きますか。なんて情緒不安定な……いや、情緒不安定なのはおかしいなぁ。まさか、レジストしてるのか……?」
私だって人前で吐きたくはない。
そう言おうとしたが、言えなかった。手で口を覆ったのが間違いだった。鉄錆の臭いはより鮮明に思い出すきっかけになり、耐えられなかった。
とうとう夕は地べたに崩れ落ちるように手をついた。独特の異臭が立ちこめる。
ぶつぶつと独り言を呟いていた男が、異臭に気付いて情けない声を上げる。掃除が大変だぁ、と聞こえたが、気にしない。
吐きたくて吐いた訳でもないし、制服は血まみれで、さらに吐瀉物もプラスだ。
心情的には、夕の方が大変である。
夕はあの空間にいた時に聞いた声の主だと思われる男の、一切合切を無視して落ち着きを取り戻すことを優先させる。
しかしいくら吐き出し、深呼吸をしても、手に残った殺しの感覚は拭えなかった。手に残る感覚が、まるで責めているようで――楽になることは、なかったのだった。
「空気の洗浄も大変になるから、ホント、そろそろ立ち直って欲しいんですけどぉ……」
自己嫌悪に陥っていると、情けない、けどどこか人を馬鹿にしたような声が聞こえた。ふと夕が彼を見上げると、眉は八の字に下がっているものの、口はにやりと弧を描いていた。
また、彼の右の手のひらには球状の光が収まっていた。球状の光をよく見てみると、幾何学的な模様が刻まれている。
夕が注視しているのがわかると、男はこれ見よがしにボールを回転させた。ぐるぐると人差し指一本で支えて回り始める。
その突拍子もない行動と、ぐるぐる回る球状の光で目を回しそうになった夕は、目をそらして男の行動を無視することにした。
「……全然、困って、なさそう、ですね?」
「えー……いやいやぁ、困ってますよぉ?普通なら、感情なんてないはずなのに、ここまで感情的、っていうか、情緒不安定?なんですからぁ」
光を回すことに対して、何も問われなかったからだろうか。少し間があっての返答。
とても腹立たしいのだが、聞き捨てられない言葉があった。
「感情がなんて、ない……?」
「ない“はず”ですよ?だって考えてもみてください?召喚した方の中には、魚を捌けないくらい耐性がない人だっているんですよ?それを魔物の中に放り込んで、理性あるままに殺してくださいねって、無理でしょ。だから『言われたことをこなす』暗示と『記憶が曖昧になる』認識阻害の二つの魔法をかけていたんですよ。きみだって吐いちゃうくらいのショッキングな出来事なんですから、他の人だって覚えてたらそうなるでしょ?」
そう言って肩をすくめる男。その態度は、やはり人を馬鹿にしているような動作に見える。
男は、魔法が効きにくいだなんて恐ろしい子がきたな、と両手を上げたい気持ちと、恐ろしい子なのになんて弱々しい姿なんだろう、と冷静に観察していた気持ちをただ隠したい為だけの動作であったのだが。もっとも、顔が笑っているため、馬鹿にされていると感じるのは夕だけではないだろう。
もう一発ぶん殴りたいな、と夕は思った。しかし、そんな余力は無い。そもそも、頭がおかしい人とは関わりたくない。
はあ、とため息を一つついて、立ち上がる。
「……魔法とか、そういうのは、全然、わかんないけど」
「うん?」
「あんたは、すごくむかつくし、頭が変な人だから関わりたくないってことは、理解したよ」
「初対面なのにこの言われよう、なんて理不尽な!」
――理不尽なのは、私……いや、私たちだと思うけど。
きっとそんなことはお構いなしなんだろうなぁ、と男を見て、夕は再びため息をついたのだった。
夕の口調が敬語からタメ口(ちょっと生意気な口調)になったのは、出迎えた男の人があまりにも失礼だったから、敬語を忘れてしまっただけです。
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