【電話】
何はともあれ一仕事終えた俺は車に乗り込み、もらった検収書を助手席に放り投げた。運転席に座った瞬間、携帯電話のバイブレーションが鳴る。
ポケットから取り出しどこからかかっているかを確認すると、営業所からだった。
「もしもし、私です。お疲れ様です」
電話に出ると事務員の女性で、大手企業の購買物流課の人間から俺宛に電話があったのだという。詳しい用件は言わなかったが、折り返しの電話を求めてきているとのこと。
コウロダの野郎か……
朝、比較的大きな金額の見積金額の入力を済ませていたが、早速リアクションがあったわけだ。金額が大きいと流石に反応が速い。
きっと入力した価格が想定より高かったのであろう。もしくは、安くてもそれをこちらに伝えずに値切ってくるかのどちらかである。
取引される資材は物流関係でありただの輸送用のケースなのだが、数が多いために合計金額も八百万円ほとである。
大手企業だけに物量がデカい。例え単価百円であろうと八万の数量であれば八百万円になる。
ただ、このケースは使い捨てではないにしろ消耗品であり、年に一度ほど取引案件が浮上する。
うちの所長曰く、納入しているのは毎年ずっとうちであり、他に譲るわけにはいかない商材なのだと言う。
最初は紙ダンボールだったらしいのだが、中の製品に紙粉が混入するとダメらしく、何度もリターン可能に使える強度も必要ということでプラスチックダンボールになった。
海外に出荷することも多いため、輸送途中の衝撃等も考慮され、強度試験も行われた。強度試験といってもタダではなく、費用が発生する。この件は当社とメーカーで折半したのだが、数十万円という費用がかかったとのことだ。
所長が言う譲れない理由の一つでもある。
そんな由緒正しき商材を、入社して二年も経たない俺が受け持っているのだから責任重大だ。『この案件を落としたら担当を外す』とまで言われている。恐らく、冗談だろうが滅多にそんなこと言わないのだから、冗談半分といったところか。
無論、俺も営業で飯を食っているから少しばかりかプライドがある。今更ながらではあるがノルマがあり、これをクリアすると後々が少し楽になるという点では一生懸命やらなければならない。
少し余談になるが、ノルマと聞くと戦々恐々とされる人もいるかもしれない。“営業ノルマ”これは世間一般でも良い雰囲気を持たない言葉だ。
よくイメージされるのは、会社の壁に表かグラフの張り紙がされ、各営業担当の実績が反映されているのが多いのではなかろうか。そして、成績の悪い者を上司が叱咤するというお約束。
うちの会社はそうでもない。
産業にぶら下がったルート営業であるから、ご時世が調子が悪ければいくら頑張ったって駄目なのである。
ま、そんなんを言い訳にしてはならないのだが、駄目なもんは駄目だ。
無論、売り上げがゼロでは会社は成り立たないし、個人もすぐに営業を外されるだろう。
しかし、日頃から担当得意先には顔を出してコミュケーションを取っておけば問題は無いと思う。先方だってこちらが営業で外交していることは理解している。
それに、当社の主要客先はすぐに倒産するようなヤバい企業は無い。
話を戻すが、例の案件について折り返しの電話は直ぐにはしないことにした。
俺自身、話の組み立てを少し練らなければならないと思ったし、直ぐに掛けるよりかは相手に余裕を見せた方が良い。
そういうことで、少し車を走らせながら頭を整理することにした。鍵を回し、エンジンを掛ける。
門を抜けて、来た坂を下りながらボーボーに生えた草を脇目に、とりあえず仕入金額と入力金額を思い出し、どれくらい利益があるかを確認。どれくらい値下げ幅があるかを考えるが、意外と無い……
もし、値下げの要求があれば、すんなりと飲むわけにはいかないのだ。
薄利で勝負はかけていたはずだ。他の会社が鉄砲玉を撃ってきたのだろうか。だとしたら少しマズい。
こうなると、これ以上考えても仕方ない。あんまり深く考えながら運転しても事故の元だ。
俺は、学生の通学路を走らせていたが幅に余裕のある路側帯に停車し携帯電話を手に取った。ゆっくりと通話ボタンに指を掛ける。
「もしもし、株式会社ヨイトマケです。お世話になります。コウロダ様がお手隙でしたらお願い致します」
そういってコウロダを待つ。
「もしもし、コウロダです」
相変わらず、最高にクールな喋り方だ。とてもムカつく。
電話の用件は分かっているのだが、一応確認すると案の定、例の取引についてだった。
話を聞くと、うちの見積金額が高いのだと言う。
どのくらいの開きがあるか単刀直入に尋ねたが、迂闊には口を滑らせなかった。うっかり喋らないかジャブを打ってみたがこちらの誘いには乗らない。その辺は流石コウロダといったところだ。
俺は数字しか見ないこのバカに当社の由緒正しさをゆっくりと説いた。
しかし頑として受け付けないこのアホに苛々してきそうだったので、こちらから電話を切ることにした。
「少し上司と相談する時間を頂けませんか?」
かなり悔しいがここは苦肉の策を投じるしかない。俺自身、頭を冷やす時間が要る。
商談の場だとこうして頭に血が上るケースも少なくない。逆に仕事のお陰でこういった場数を踏むことが出来ているし、結果として短気を抑えることになっている。
仕事のお陰で成長できている、とでも言っておこう。
経験としては有り難いことなのだが、いつか商談の場で相手を一方的に殴り、警察に連行されてみたい野心も少なからずある。
俺がもし、そうなったら『いつかヤルと思っていました』と取材を受けて欲しい。無論、俺の周りの人間は理解のある人が多い。
犯罪の多い昨今、そういったネタを自ら投じてお茶の間を賑わすサービス精神はいつも心の根底にある。
カッとなって思わずという話はよく聞くが、営業マンが客先で事件を起こすという事例はこれまであまり聞かないと思う。
営業マンとはきっと我慢強い生き物なのだろう。世に生きる全ての営業マンに僅かばかりの敬意を払いたい。
しかし、俺が先駆者として客先を殴り続け、それが明るみに出ればきっと世の中は変わる。
商談がうまくいかなければ殴っても良い――そういうルールが根付けば営業マンはより実践的なトレーニングを積むだろう。格闘技なんか始める強者も増えるはずだ。
めちゃくちゃにいかついバカがセールスに来たら、客先は恐れおののき商談が成立しやすくなる。ガバガバになるわけだ。
取引が多くなれば必然的に金や物の動きが活性化される。
――好況――
日本の経済は再び産声を上げ、高度な成長へと繋がるはずだ!
コウロダとのやり取りのお陰で国家経済の復活の鍵を発見できた。これは彼に感謝せねばならないだろう。
こんなわけで頭を冷やすどころか、やる気まで漲ってきたではないか。
うまくいかなれば暴力に訴えれば良いのだ。実に単純明快である。力こそパワーだ。
とてもスッキリした。やはり、時間を置いて正解だったし、独断で動いてはならない。
というわけで、所長へと報告の電話をすると、『俺が電話してみるわ』とあっけのない返答だった。
責任者クラスが身軽に動いてくれることほど頼りになるものはない。うちの会社はともかく、営業所は少数だが人に恵まれていると俺は感じている。
いつも心の中でゴリラと言って少し申し訳ない気持ちになりつつも、足早に事務所に帰ることにした。
道中は車も多く、こういう時に限って信号に引っかかる。ボスがどういう決着を着けるか気がかりなのだが……
気分を紛らすために窓を開けることにした。全開にして風を受けると体感速度が少し上がったような気がする。急いでいる時には丁度良い。押し当たってくる空気の圧で、より多くの空気を吸えることが俺をリフレッシュさせた。
営業所に着いて車を停め、台車を倉庫に片付け、ドアを開いた。
「戻りました。所長、プラスチックダンボールケースの件……」
「あー、もう一回金額を入力してだって」流石は所長、うまく再チャレンジに持って行ってくれたのであろう。
単価をいくらでするか指示を受け、席についた。
起動の遅いパソコンの電源ボタンを押し、一息つく。出社すぐに淹れたコーヒーもだいぶ冷えているが、一口多めに口に含んだ。
再度、某企業のページにサインインし、価格をたたき込む。
だいぶ利益削ったな……
仕入れ先にはもう一度交渉しなければならないだろう。決まらないで売り上げがないよりかはマシであろうし、妥協して貰わなければ。
コウロダと違い、人間関係が出来ている分、相談はしやすいものだ。
「入力を完了しました」一応、皆にも聞こえるように所長に伝えた。
これで、午前中の想定していた大きな用件は全て済んだ。見積の結果はまた電話かファックスかメールがあるだろう。
少し安堵して午後やるべきことに目を移した。午後からは打ち合わせが入っている。こちらはおおよそ決まりかけている案件なので打ち合わせもスムーズで比較的楽しい。
気の知れたお客さん、得意な案件、利益率の高い案件は仕事も楽しいもんだ。毎月同じ給料を貰っているのだから、少しでも楽しいに越したことはない。
人を殴る楽しさだけは覚えないようにしなければならないだろうけど。
いや、発展のためには戦争も必要悪か。
つまらぬ論争を脳裏でやっていると腹が減ってきた。
時計を見るともう昼前である。
こうして午前の部が終了した。少しの慌ただしさのお陰で早く時間が過ぎたのであるから、これも単にコウロダ君のお陰だ。
良い仕事をすれば飯もうまい。午後に備えて腹ごしらえをしよう。
と言ってもあと十二時きっかりまで五分ほどあるので、インターネットでも閲覧してやり過ごすことにした。
時事ネタの仕入はきちんとした仕事のうちである。
ネットサーフィンを公然とやらなければ、テレビを見ない俺はうまく痴話話ができない恐れがあるのだ。
さ、十二時だ。
事務員がお茶を淹れてくれ、まず所長が弁当に手を付ける。
こちらも飯の準備をしなければ――