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路傍の草を華と思え  作者: 朝焼夕日
3/6

【午前中】

 忘れていた。


 給湯を。

 席についたはずの俺は急いで立ち、やかんに水を入れる。ガス栓を捻ってコンロのスイッチを捻った。


 ボッ――


 体を屈めて青い炎が現れたのを確認し、沸くまでまた椅子に座った。




 俺の会社はあまり大きくはない商社である。資本金や社員数からしてもとても大企業とは言えない。いつ倒産してもおかしくないしょぼい会社だ。


 国内に三拠点しかなく、大阪、東京、そして俺の地元の田舎に所在している。


 なぜ、田舎に存在するのというと、国内でも大手のメーカーが工場を置いているからである。元々は大阪の本社との付き合いの延長で出店させてもらっているようなものだと聞いた。この大手メーカーは俺が住んでいる街に多大な影響を与えている。


 主には、人かと。最たるところは雇用であろう。多くの市民が勤めているし、関係企業従事者も含めると、どれだけの多くの人が関わっているかおよそ予測できない。


 こういう田舎で一大企業があると、その企業に勤める人間は偉そうにすることがしばしばあり、それを目にすると気分をひどく害するものだ。


 例えば、工場内で下請けの工事業者なんかに偉そうな口を叩いていることがあるのだが、それが視界に入るだけで頭に血が昇ってくるのを感じる。


 しかしながら、俺の会社もこの大手企業には大変お世話になっている。このことは天地がひっくり返ろうとも揺るぎない事実なのだ。


 お陰で飯を食うことができている。

 王手さまさまであるのだ。


 けれども、この企業が街の発展を妨げていることも容易に考え得る。

 街としては県外企業など誘致して、雇用の拡大を通したいだろう。生活水準を向上していきたいはずだ。


 けれども、労働者もとい街を操る王手企業側としてはあまり良い話ではない。人や金がよそ者に取られてしまっては元も子もないのだ。


 こうした保守的なせめぎ合いもあって長年の間、変化のない街で田舎者達が生活している。


 若者は大体街に飽きて出て行ってしまう。都会を経験することは人生を豊かにするとは思うのだが、街の活気を生む原動力が失われていくのは大変な痛手だ。


 生活苦のひしめく街なのである。



 俺は、そんな街の一つの小さい歯車として毎日一生懸命頑張っているわけだ。実に誇り高い人間じゃないだろうか。



 うちは商社であるから、メーカーとユーザーの間に入って商いをさせてもらっている。だからこそ“お互い様”という気持ちは常に持ち合わせているし、どんな立場であろうと表向きには八方美人を貫かねばならない。


 特に営業職であるから、いつも念頭に置いて行動に移しておくべきだ。スキルとして、人の一挙手一投足には留意しているつもりである。




 そんなことを考えながらパソコンに届いたメールのチェックをしていると――


 おおっ。

 例の大手企業からの見積入力依頼のメールが入っているではないか。


 王手さまさまである。



 どれどれ……どの案件だろうとおもむろにログインしてみる。


 内容は、先日から取りかかっている約八百万円の引き合いについてだ。


 嬉しさと不安の感情が織り混ざって降りかかる……


 これは売上が上がる絶好の好機である。


 数回にも及ぶ相見積や、どこの業者が対抗しているかなどの情報収集に苦心してきたが、それが実を結ぼうとしてるの喜んでいい。


 しかし、数百万円になる取引であるが故に値切りの交渉が熾烈になるはずだ。


 大きな企業だと資材や工事の取引も多大で多岐に渡るため、購買課が存在する。金額や納期についてはここを通すことが殆どで、複数の企業に相見積を依頼し独占を防ぐことが目的だ。


 一業者としては全くもってウザい。


 しかも、今回メールを飛ばしてきているのはコウロダという購買物流担当の者で、俺はこいつが大嫌いである。


 理由は、「こちらが客で、客の言う事は絶対」と言わんばかりに偉そうだからだ。前述の通り、大企業の一員だというだけで肩で風を切って歩くクソ野郎がいると言ったが、この男が当にそういうタイプである。


 見積金額をメーカーのログインページにて入力するのだが、このコウロダは金額しか見ない。現場での打ち合わせや、見積作成時の仕入値交渉など努力や工夫など全くの度外視なのだ。血も涙もない人間である。


 もし、数回だけ犯罪行為をしても良い許可が俺にだけ降りるとしたとしよう。

 俺はコウロダの足をコンクリートで固めて海に沈めたい。それか、手を後ろで縛って動物園の虎の檻にぶち込みたい。必死にもがいたり逃げたり姿を見てゲラゲラ笑いたいものである。


 大体、値段だけ見て値切るなど素人でも出来る。要は、『あと、いくら下げて』と言うだけなのだ。こんなのは小学生でも出来る。きっと取引金額に応じて、どのくらい下げないといけないか決まったパーセンテージでもあるに違いない。


 専門的な知識は及ばないにしても、価格が妥当かどうかくらいかは業者の言葉に耳を傾けては如何なものだろうか。


 今回もそういう風な流れになるはずだ。


 考えると、すでに頭に血が昇ってきている。




 ――その時、やかんの湯が沸いた。


 俺は即座に立ち、ガスコンロを止める。そして、ゴリラ所長と食い倒れ太郎先輩と自分の分のコーヒーを淹れるのであった。


 太郎に淹れさせるわけにはいかない。



 俺が一番の下っ端であるからというも当然の理由なのだが、食い倒れ太郎が淹れるコーヒーはかなり濃くて苦い。はっきり言って不味い。飲み干すのに時間がかかるし、飲み残すこともある。


 そんな自分は一人だけ砂糖を入れるのだから笑えてくる。うちの会社で購入しているシュガースティックは太郎一人で使用しているようなものだ。自分が作る苦いコーヒーを紛らわすために砂糖で誤魔化しているのだから、阿呆なんじゃなかろうか。



 火傷しないようにゆっくりポットに湯を足し、コーヒーをコップに適量注いで、所長と先輩の机に持って行く。


 二人の机は並んであり、先にゴリラ、続いて食い倒れ人形とコップを置いた。


 「ありがと」

 「ありがとうございます」



 礼を言われてから、ゴリラに相談を持ちかけた。


 「例の物流資材の件、見積入力依頼がきていますが、先に提出した見積書通りの金額で入れて宜しいでしょうか。窓口はコウロダさんです」


 「うーん……とりあえず少し下げといたら?」所長は適当に言った。


 「わかりました」


 決して俺の一存ではできない。責任逃れってやつである。仕事に感情は無用である。悩んでいる暇などあったらサボった方がいい。上司とハサミは使いようだ。


 仮に失注しても俺一人で決めていないからショックが少ない。保身は常に考えておかないと。


 どれほど値下げするかをこちらで提示し、了承を得たので席に戻った。パソコンにて価格を入力しログアウト。



 後からまた値下げ交渉の電話がかかってくるはずである。コウロダと喋ると思うと肩辺りが重たくなってくるようだ。仕事に感情は無用であると自分で言っておきながら、交渉相手は冷徹な人間であることに気怠さを感じるのは矛盾であろうか。


 ……ったく。


 


 ――ガチャ。


 そうしていると、事務員が二人ほぼ同時に出社してきた。八時半、大体ギリギリに来る。

もう少し余裕を持ってくれば良いのに……と俺はいつも心の中でツッコミを入れている。


 とはいえ『今日、いつもより遅く出社しといてよく言う口だ』と思った。自分だけ棚に上げるのは得意なもんだ。




 朝から一仕事を終えて、インターネットでニュースやら工業系の新聞など一通り目を通す。全くテレビを見ない性分であるから、時事ネタの仕入れはこの時間で行う。この時間がなかったら世間のことは知らない時代遅れになる。

 人と会話する際に『今日の天気は』だけでは営業的に問題である。


 まあ、天気に対して詳しくなって、雲の形だけで五分くらい喋り続けられるようになっても面白いとは思う。そんな営業が一人くらいいても良いのではないだろうか。


 営業トークってやつにルールはない。客に面白いと思われれば勝ちだ。


 この場合の勝利を収めるためならば、俺はかなり貪欲な部類だと思う。


 つまらない人間と思われるくらいなら生まれてこない方が良い。人が見逃すような面白い時事ネタや、それについてのキチガイ的な着眼点は大切だ。 




 世の大事や小事に頓着した後は、社内の動向に目をやる。


 うちの会社はウェブ上でスケジュールを管理しており、全社の人間の動向が確認することが出来る。


 社長から事務員まで入力している計画は公開されている。社長など役員は非公開にしていることも多いが。恐らく陰で悪いことをしているのだろう。金や権力を持つと人は汚くなる。


 殆どはうちの営業所の所員の動向を把握するために使っている。営業が四人に対して営業車が三台しか無いため、皆が車を利用するであろう日程は頭に入れておかねば計画破綻を起こしかねない。


 俺が入社するまでは三人で三台だったわけで、新人が入ったからといってすぐに営業車を手配するようなことはないわけだ。これには結構難儀している。


 今日は予定通り、課長が出張で不在。

 所長は予定なし。暇なのだ。

 先輩は予定を入れていない。ずぼらな人である。


 ということは、所長と先輩に車を使うか否か伺ってから行動すべきなわけだ。ゴリラは細かいことは予定を入れないことが多いし、先輩は忙しくて予定通りに事が進まないことが多い。


 二人に聞くと、今日は午前と午後でどちらか一方の車を使えそうである。


 良かった。午前は納品、午後は打ち合わせを予定していた。俺はウェブ上で予定をしっかりと表記し『車を使います』アピールを怠らないようにしている。


 他が俺の動向を見ていないことも多いが……



 早速、今日の納品予定を確認し伝票と車の鍵を取った。


 納品に使う車は、ツアラータイプの商用車で座席シートなんはか快適性は良くない。長時間乗っていると腰が痛くなったり肩が凝ったりする。


 しかし、荷物がたくさん乗るし、社名が記載されているので工場に入場する際は活躍する。普段は食い倒れ太郎先輩が乗り回しているが、納品時には拝借するのだ。




 外回りは良い。当たり前だと思うが外の空気が吸える。事務作業や工場作業しかしたことのない人には悪いが外に出れば、会社の人の監視下から外れる。俺のような自由が好きで人に支配されることを嫌う人間には“うってつけ”の仕事だ。


「行ってきます」


 意気揚々と社外に出て行くのであった。



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