其の拾玖
ディクスは頭上に掲げた腕を回し、鎖分銅を大きく時計回りに振りだした。
投げる必要のない攻撃だ。その鎖の円軌道の中に相手が入れば絡みつき動きを封じる。
あとは鎌で相手の命を奪えば良い。
近接戦闘における鎖鎌の特徴的な攻撃スタイル。
ミキは迷うことなく刀を真っ直ぐ頭上に掲げて踏み込んだ。
ニヤリと笑ったのはディクスの方だった。
相手がカタナに鎖を巻きつけて来ることは想定していた。
口煩いほどに聞かされた師匠の負け方が、まさにそれだったからだ。
相手のカタナに鎖を巻きつけてトドメとばかりに接近した師匠に対し、相手はカタナから手を放しもう片方のカタナで攻撃したのだ。
それを受けて師匠は敗れた。
その話を聞いたディクスは、"生きていただけ幸運"だと思えたが、それ以降師匠であるシードは鎖が巻き付いてからの攻撃も徹底的に考え続けた。
そして編み出したのが、相手の利き腕への攻撃だ。
まず初手で命を狙わず、確実に相手の利き腕を封じ……次いでその命を取る。
確実に堅実に攻めることで、"必勝"を得ることを選択したのだ。
ディクスは相手の右腕に向かい鎌を振るった。
ミキは刀で鎖を受けてから、相手の視線に気を向けていた。
『目は口程に物を言う』
本当に上手い表現だと感心する。
相手の目はこちらの頭や首では無く、右腕……右肘辺りに向けられていた。
つまり鎌で攻撃する場所はその部分に間違いない。
どうやら義父はこの受け方をして勝ったのだろう。だから警戒されていたのだ。
内心で苦笑しながらミキは嘆息する。養子の勝ち目を潰さないで欲しい……それが本音だった。
確実に勝つために利き腕を潰す……決して悪くない戦術ではあった。相手に悟られなければ。
ミキは右手で持つ刀を離し、相手の戦術に乗った。
ギギギッ!
ディクスが振りかぶり打ち下ろした鎌は、火花を散らして受け止められた。
元々右腕で刀を持っていた都合、腰に差す刀を抜くのは難しい。
きっと義父である武蔵は刀を手放すことで驚いた相手の隙を伺ったに違いない。
だが目の前の男は、最初から刀を手放すことが前提で動いていた。手を離しても……喜びこそすれ驚かない。
だが左腕はどうだ?
ミキは普段から後ろ腰に十手を差している。
十手なら左手を腰の後ろに回し抜くことなど容易い。片手で扱えるように作られているのだから。
鎌の刃を受けた十手を差し込み、鉤の部分で刃の部分を挟み込む。
オリハルコン製の十手の特徴は、無駄に硬い所だ。
ミスリルとは違い色も黒いので加工しても置き物にもならない。だから嫌われ鍛冶師たちの間で誰一人として叩かなくなってしまった。
鍛冶師ハッサンがこれを叩けた理由は、あくまでミスリルを叩くための練習の一環だった。
そうでなければ誰もすき好んで叩いたりしない。
ミキの旅が過酷なものになるのは容易に想像できたからこそ、彼は在庫の無くなったミスリルの代わりにオリハルコンで作ったのだ。
鉤で挟んだ鎌の刃を……捻って折った。
武器を失ったディクスは表情を変え、明らかに迷い怯え……逃げ出すかのように重心が後ろへと下がる。
及び腰と言われる状態だ。恐怖を感じ反射的に腰が引けてしまったのだ。
ミキは迷うことなく踏み込んでいた。
十手を持つ左腕を下げながら、右手はもう一方の刀を掴んでいた。
足捌きと上半身のみの動きで抜き放った刀には、普段の抜刀速度は無い。
鍛えてはいても義父ほどの体躯に恵まれていないミキの腕では、相手を一撃で絶命することは出来なかった。
「ぐあっ!」
斬られ背後へと倒れ込む様に崩れたディクスは、熱く感じる自分の体を見た。
右腰辺りから左脇の下を抜ける様に血の線が走っている。
『ああ。斬られたんだな』と異様なまでに冷めた自分の思考がそれを認めた瞬間、脈打つ様に激痛が全身に襲いかかって来た。
「ぐぅ! はぅあ!」
「済まんな。咄嗟だったので浅く入った」
死線を掻い潜ったことで思い出したように全身から汗が噴き出す。
ミキはそんな汗をぬぐいながら……刀に付いた血と脂を振り払った。
「全て……交わすとはな」
「技術的な物は悪くなかった。ただ」
「ただ?」
「お前自身の技術が低かっただけだ。俺の利き腕をあんなに見ていれば、次に何処へ攻撃が来るかなど悩む必要も無かったさ」
「……そうか。俺は強いと思っていたが、弱かったんだな」
「ああ。実戦で学ばなければ真の成長なんてあり得ない」
「嫌な奴だな。お前は」
「口の悪さは闘技場で教え込まれただけさ」
「そうか。俺も強くなるならあの場所に行くべきだったんだな」
流れ出る鮮血が相手の命を奪っていく。
もう体を動かす気力も失ったディクスは、天を仰いで大きく息を吐いた。
「俺の師匠は……闘技場上がりの解放奴隷と言ってるが、実際は逃げ出して来た逃亡奴隷だ」
「……」
「この東とは違い、西は強い者ばかりが揃っているらしいぞ」
「それは楽しみだな」
「あはは。俺はそのことを知って、そんな言葉を言う気にもならなかった。最初から心構えが違うんだな」
「……」
「師匠を頼む。もう長くはない」
「分かった」
目を閉じた相手に一礼して……ミキは握っている刀を相手の胸に突き立てた。
「南無八幡大菩薩」
そして捻る。
それで人一人の人生が終わった。
(C) 甲斐八雲