其の拾陸
ギュッという言葉では当てはまらない。
強く相手の体をそれこそ折ってしまいそうなほどに強く抱き締めて……ミキは彼女の耳元で告げる。
「一人で行くな。絶対に」
「……はい」
「見える場所に居るなら護れるが、見えない場所に居たら護れない」
「はい」
「今度こんなことをしたら本当に怒るからな」
「はい」
十分相手が怒っていることなど分かり切っている。だがレシアはその言葉で自分の気持ちが救われるのを感じた。
嫌われてはいないはず……その気持ちが溢れて来て、我慢出来なくなって涙と一緒にこぼれ落ちる。
「ごめんなさいミキ。ごめんなさい」
「良いよ。俺がお前を不安にさせたのも悪いんだから」
「でもでも。私が勝手に行ったのが悪いんです。ごめんなさい」
「ならもうしないと約束しろ。『一人で危ない場所に行かない。行くなら俺に必ず言う』って」
「……はい。"約束"します」
シャーマンには『嘘を吐くことは罪である』という教えがある。
それだけにレシアは約束事を極力したがらない。
約束を破って嘘を吐いたことになるのを嫌ってのことだ。
だから今まで何度もミキが『約束な』と言うと、耳を塞いで逃げ出す始末なのだ。
「約束したら許してくれますか?」
「許すよ」
「ならします」
泣き顔のままでレシアはどうにか笑顔を見せる。
それを感じつつ……ミキは相手の手を取り、抱きしめ合う二人の体の前に運んだ。
訝しむ彼女の表情に応える様にそっと小指同士を絡める。
「昔はこうして約束したもんだ」
「何ですかこれは?」
「"指切り"と言ってな……約束の儀式さ」
「どうするんですか?」
興味と好奇心が勝ったのか、レシアは自分の小指をギュッと相手の物に絡めている。
「まじないの言葉を言うのさ」
「まじない?」
「お前も言ってみろ。『嘘吐いたら針千本飲ます』って」
「嘘吐いたら針千本飲ます……ミキ! 許してないじゃ無いですか!」
つい勢いで言ってから、言葉の意味を咀嚼してレシアは蒼ざめた。
クスクス笑いながら彼は相手を抱きしめる。
「約束は破れないんだろ? なら大丈夫のはずだ」
「でもでも。もし何かあったら!」
「その時は針を飲め。千本ほど」
「死んじゃいます! 酷いです!」
これでもかと必死の形相でレシアが怒る。
正直相手に騙された心境ではあるが、もとはと言えば自分が悪いので怒ることは出来ても約束を撤回することは出来ない。
何故ならまだ……心の奥底には"嫌われるかもしれない"と言う気持ちが根付いているからだ。
「大丈夫だよ。その覚悟でこの約束を守るって言う儀式なんだから。約束を破って針千本飲んだ人は見たこと無い」
「本当ですか?」
「ああ。もし本当に飲むのなら……俺は何千本と飲むことになっていただろうしな」
「ミキ?」
昔のことを思い出し……少し寂しくなった彼だったが、強く相手を抱きしめてその気持ちを抑え込む。
自分は酷い約束破りな男だと彼は胸中で苦笑する。
何より指切りをした相手が、"彼女"がどうなったのかすら知らない酷い男だと。
薄情と言えなくも無いが、あの頃の……そう日ノ本に居た頃の自分は、それが正しいと思っていたのだ。
約束をすることで彼女が喜ぶならばと交わし続けていたのだから。
抱きしめていたレシアを離しミキは軽く息を吐いた。
寝不足もあるが、元気の塊みたいな彼女の相手を朝からするのは正直疲れる。
「ミキ?」
「ん」
「あのですね……」
「何だよ?」
「私のこと……嫌いになったりしてませんよね?」
恐る恐ると言った様子で上目遣いで相手が問う。
心の中で『全く……』と呟き、ミキはそっと手を伸ばして彼女の頬に触れた。
ビクッと一瞬身を竦めるが、添えられた手に自分の手を重ねてレシアは頬を寄せる。
「嫌いになるくらいなら約束なんてしないし、何より心配もしないさ」
「本当……ですか?」
一歩踏み込み相手との距離を縮める。頬に添えた手で彼女の顔を上に向け、
「好きだから心配するんだよ。だから見える範囲に居ろよな」
「……はい。んっ」
唇を重ねられ……レシアは彼の背中に手を回すと、普段見せる以上に貪欲に求めた。
心がポカポカして来て、嬉しい気持ちが溢れて止まらない。
今ならラーニャの様に自分も子供を成せるような気がする。
だけに抱き付いたまま……レシアは相手が必死に引き剥がすまでキスをし続けた。
「聞いた話は全部です」
「なるほどな」
女たちが作った朝食を分けて貰い、二人で使っている天幕へと戻ってから……ミキはレシアから話して来たこと全てを聞いた。
レシアは出来る限り思い出して話せることはすべて話した。
フッと息を吐いて寝っ転がった相手に続き、レシアも一緒に横になって抱き付く。
お腹も膨れて気分が良い。何より移動やら何やらで徹夜状態だ。正直眠たい。
「どうですか? どうにかなりますか?」
「ああ。どうにかなった」
「本当ですか?」
「本当だよ。良くやったなレシア」
優しく頭を撫でてくれる相手の様子から"嘘"は感じられない。
本当に褒めてくれるのが分かるだけに嬉しくなって強く相手に抱き付く。
彼の纏う空気が本当に心地良い。こんなにも幸せを感じられる人が居るだなんてレシアは知らなかった。
出来たらずっと……死ぬまでずっと一緒に居たいと思う。
スリスリと胸に頭を擦り付けて来る彼女を優しく撫でて、ミキはある程度の作戦を纏めた。
「レシア。お前にやって欲しいことがあるんだが良いか?」
「はい。私に出来ることなら何でもします」
「その時は頼むよ。でも無理だけはするなよ?」
「はい。しません」
彼女の甘えが止まらないが、ミキはそのままにしておくことにした。
たぶんこれで全てが片付くはずだ。特に難しいことも無い。
唯一の問題は……何を以て終わりとするのかが良く分からないことぐらいだが。
(C) 甲斐八雲