其の拾弐
そっと奏でていた横笛を……その女性は膝の上へと置いた。
石の上に座り、ずっと奏でていたおかげで乱れた呼吸を整える。
この場所に連れて来られてからどれほどの時間が経っただろう?
こぼすように息を吐くと、足元に居る犬型の化け物が心配そうに顔を向けて来た。
「ありがとう。大丈夫よ」
手を伸ばしその頭を撫でてやる。
甘えるような仕草を見せて撫でる手に頭を擦り付けて来た。
しばらく撫でてやると……満足したように化け物は地面に伏した。
視線を巡らせて空を見上げる。煌々と夜空に浮かぶ大きな星が今日も明るく美しい。
ここへ来てからはずっと空ばかり見上げている。
その前は……いつも楽しく笛を吹いて笑って過ごしていたはずなのに。
ポロッと涙が零れ落ちた。
頬を伝わり流れを作るそれは、止まることなく顎を伝い地面へと落ちる。
どれほど涙したのかも分からない。ずっと泣いている。
自分のせいで数多くの"仲間"たちが命を失う結果となっている。
もうシャーマンなどと名乗ることも出来ない。自分の手は仲間たちの血で汚れ過ぎてしまった。
それなのにまだ死ぬことも逃げることも出来ない。
「カンレ……」
一緒に居た人の名を呟き、彼女は口元を押さえ肩を震わせる。
ボロボロと止めどうもなく涙を溢し続ける。
耐えている思いが溢れて止まらない。涙と共に。
カンレは二つ年上の狩人だ。
生まれ育った村が同じで……いつも仲良くしていた。
でも自分はシャーマンからその才能を見出された存在。
それは普通の女としての人生を捨て去ることを意味していた。
『シャーマンは不幸を呼び寄せる』
有名な言葉だ。シャーマンを知る者なら必ず知っている言葉。
結果として、幼馴染との普通の幸せを……結ばれ子を成す幸せを諦めた。
でも相手が諦めてくれなかった。
カンレはシャーマンとなった幼馴染を手放さなかった。
村の外れに居を構え、極力人との係わりを断ちながら二人で暮らす道を選んだ。
幸せだった。有名な言葉が嘘だと思えるほどに。
このままその幸せがずっと続いてくれればと心の奥底から願っていた。
願っていたのに。
「カンレ。私は……」
化け物が必死に体を伸ばし涙を舐め取ってくれる。
それは本当に犬の様に見える。でも黒い毛皮の化け物だ。その気になれば口から火を吹く。
シャーマンは御業を用いれば彼らを操ることが出来る。
人では決して飼い慣らすことが出来ない化け物を。
結果として自分たちの幸せは音を立てて崩れ去った。
押し込んで来た兵たちによって村は全て焼かれた。
男は殺され、女は犯されてから殺された。老若男女……全て残らずに。
囚われ生き残ったのは自分とカンレの二人だった。
『この男を生かしておいて欲しいなら、言うことを聞け』
代表を名乗る騎士に命じられ、従うしかなかった。
失いたくなかった。彼を……深く愛したその人を。
囚われ飼われる生活を送ることになった。
命じられる指示は、化け物を集め飼い慣らすこと。
逆らうことなど出来ず、毎日の様に笛を吹いて少しずつ集めて行った。
頑張ればカンレに会わせてくれるから……それだけが僅かに残る心の拠り所だったからだ。
彼に会えた時は貪る様に求め合った。
だがどんなに唇を重ねても、体を重ねても……心が満たされることなど無かった。
仲間を死地に追いやることで得られる幸せなどで満足できる訳が無い。
それでも彼は最後まで優しかった。
ただ決まって最後に言う言葉は『自分を見捨てて逃げろ』だった。
出来ない。仲間を殺して得たいと思ったのは彼との幸せなのだから。
これが終われば二人揃って解放してくれると、あの騎士は約束してくれた。
その様子や雰囲気から"嘘"だと分かる言葉だったが。
「カンレ……会いたい」
最後に会ったのは二ヶ月前。
それ以降はどれだけ『会いたい』と申し出ても、『作戦中だから無理だ』と断られている。
不安ばかりが募るが、それでも生きていると信じるしかない。それしか出来無いから。
自分を案じてくれる化け物を抱き寄せ泣き続ける。
何度も逃げ出したいと思った。その度に挫折して諦めた。
兵たちに化け物をけしかけたとしても、こちらが全滅させられる可能性の方が高い。
兵士たちが持つ武器は本当に強力なのだ。そして数もまた脅威だ。
逃げ出すことの出来ない檻。もう諦めるしかないのだ。
「グル?」
「……?」
不意に抱き付いていた化け物が顔を上げ辺りを見渡す。
女性の腕から逃れ、尻尾を振って走って行った。
自分の御業で従えているはずの化け物がなぜ?
不安に思い走って行った方を見ていると、尻尾を振って戻って来る。
だが様子がおかしい。まるで誰かの足元に纏わり付く様に歩いている。
顔はずっと上を向き、嬉しそうに振る尻尾の動きが尋常では無い。
訳が分からず膝の上に置いている横笛を握り、吹いて意思を通わせるか悩む。
「無駄ですよ。私の方がシャーマンとしては上ですから」
「えっ?」
見ていたはずなのに不意に人影が現れた。
いや纏わり付いていた化け物は最初から分かっていた様だ。
歩いて来る少女の存在を。そして彼女の"姿"を。
「私の名前はレシア。シャーマンです」
(C) 甲斐八雲




