其の漆
「イットーンを通らずにガキンに向かうと言うのか?」
「ああ」
旅支度を進めている相手を見て、クックマンは呆れた様子で息を吐いた。
とんでもないことを口走ることがある相手だが、今回の言葉は無理な領域だった。
「ミキよ。無理は言わん」
「不可能だと言いたいんだろ?」
「その通りだ。街道を通らない道程だと……森の中を突っ切る方法しかない。分かっているのか?」
「噂話程度でな。地元の狩人でも一度入ると無事に帰ってこれないとか」
「そうだ。けもの道を通って行くしかないが、そこを通る獣が危な過ぎる。人なんて頭から丸かじりする大型の肉食獣ばかりだ」
今回の行程は野宿の機会が多くなりそうだから、食料や水などを多く集めた。
それを袋や箱に詰めるのはミキで、レシアは近くでクルクルと踊っている。
手伝いをさせてもどうせ遊びだしてしまうから最初から期待などしてなかった。ただ手伝わない姿勢を全面に出されるのは腹立たしい。あとで小言の一つも言うと決めた。
「そんな場所を人が通れないからこそガギン峠は交通の要所なんだぞ?」
「だよな。でも通れるんだとさ」
「本当か? それが事実なら商売のやり方が変わるぞ」
ガギン峠を経由する都合、イットーンを通って来なければいけない。
それをしないで真っ直ぐ来れるのなら物流が大きく変わる。
「ああ。それは無理だ。俺も怪しんではいるが、レシアが言うには出来るらしい」
「あの子が言うには?」
「そうだ。ある方法を使う」
「ある方法?」
やはり興味が強いのか、クックマンの探りは止まらない。
特に隠すことでも無いから、ミキは素直に手の内を明けることにした。
「アイツの"友達"に運んでもらうんだよ」
「……そりゃ確かに無理だな」
手で顔を覆い商人は諦めた。
何かの時の為にとググランゼラに居た時にクックマンだけには彼女の"友達"を紹介してある。
一目見た瞬間に腰を抜かして顔を青くしてしまったが。
彼女の友達……一つ目の巨人に荷物と人まで背負って貰い、森を抜けて行くのが今回の作戦だった。
それを実行できるのは、彼女が化け物と意思を通わせることが出来るシャーマンだからだ。
他の者が真似して出来ることではない。
「つまりお前たちは、あの巨人に運んで貰ってガギン峠に行くのか?」
「そうなるな」
「……何しに行くんだ?」
「改めて聞かれると答えに困るんだが、まあ人助けと言うか……そんな感じだな」
「儲けにもならんことをするのか?」
「儲けは無いな。でもまあ……経験を得ることの方が大切だからな」
「経験?」
ある程度の荷物を纏めたので、ミキは手を止めた。
「そう経験だ。俺もレシアも一番得たい物……それは金でも地位でも名誉でも無い。経験なんだ」
「それを得てどうする?」
「互いに目指す頂きが高過ぎるんだ。だからきっと死ぬまで無茶なことをするんだろうな」
「……そんな話を笑いながら言うお前も十分おかしいんだろうな」
「違いない」
否定などしない。
ミキも自身がおかしい部類に入る人間だと理解していた。
クルクルと回りながら近づいて来たレシアが、ピタッと彼の背中に張り付く。
肩越しに出来上がった荷物を確認して、そっと頬にキスしてから首に腕を回す。
「私もミキもいっぱい経験を積んで……あれになりたいんです。だから頑張るのです」
「まずお前は言葉の勉強をしような」
「にゃ~」
全力で立ち上がり彼女は逃げて行った。その様子にミキの中で今夜の説教は確定した。
その日の気分で生きている彼女を真面目に相手をするだけ無駄なのかもしれないが……それでも少しは言って聞かせないと心配になってしまう。自由奔放すぎるから。
「まあお前たちの人生だから俺がとやかく言うことは出来ないが……ミキよ」
「ん」
「余り無理はするなよ。闘技場と違ってその辺で死ねば、躯は自然へと帰ることになるんだからな」
「ああ。そうだな」
作り終えた荷物を椅子にしてミキはそっと空を見た。
前の自分の遺体はどうなったのだろうか?
殿の傍に埋葬されているのならこれ以上に嬉しいことは無い。
でも他の者は? 宮田や幸などはどうなったのだろうか?
「ミキ~。これも持って行って良いですか~」
「それは無理だろう?」
「大丈夫です。こうくくり付ければ……にゃ~」
抱いていた子ヤギが暴れ出し、レシアが悲鳴を上げて倒れた。
当たり前だが、子ヤギとて親と引き離されそうになれば必死に抵抗する。
何より彼女が持って行く理由としたのは、可愛いからでは無くて非常時の食料としてだろう。いや最初から食料として選んだ可能性の方が強いが。
「なあクックマン」
「何だ?」
「もう少し干し肉と塩漬け肉を分けて貰えるか?」
「……お前は本当にあの子に甘いな」
「言うなよ。惚れた弱みだ」
思いもしない言葉に、商人は一瞬面くらった。
だがそうでも無ければ、自分の命を賭けて闘技場の舞台になど上がらないだろう。
出会った頃は……変に頭の回転が速く冷めていた印象のミキだったが、今の方が本来の彼なのかもしれない。
生き生きとしていてそれでいて掴み所が無い。
「特別にワインの小樽も付けてやる。あの子の相手をしているとお前でも酒ぐらい飲みたくなるだろうさ」
「悪いな。本当に助かるよ」
(C) 甲斐八雲