其の拾肆
当初両方に油を使った罠を仕掛けるはずだった。
罠作りを担当することになったホルムとアムートは、何度も話し合って結論を出した。『無理だ』と。
絶対的な油の量が足らないのと、分けてしまえば効果が落ちる。
初手は相手の心を、多数である優位を忘れるほどの衝撃を与える一撃が欲しいこともあり、ホルムたちは右翼に油を集めることにした。何より老人は自身を餌に共に死することを選んでいたから、彼の意見が押し通る格好になったのだ。
なら左翼はどうする?
罠が無いのは流石に宜しく無いと、こちらは木の柵と藁人形を多く配置することにした。
火薬を使って火を灯し、煙に巻いて敵を焼くことにしたのだ。
右翼と違い油の臭いのしない左翼は敵兵を多く引きこめるかもしれない。そうすれば火が灯り、初手の記憶を持つ者たちは慌てふためいて大混乱になる。柵や穴で逃げられず焼け死ぬ者が多く出れば……敵の戦意は挫かれ正面突破に傾倒するはずだ。
予定ではそれまでに敵の大将格をある程度殺しているはずだから、指揮系統も崩れているはず。
『こちらの勝利条件を相手が間違えている限り……ミキの策は必ずはまる』
そう予言していた老人の言葉通り、左翼の敵兵は突然の煙と立ち昇る炎で混乱をきたしていた。
「兄さん。あっちがダメだ」
「どうした?」
「敵兵が地面を踏み固めたのか導火線が途中で消えたみたいだ」
「……」
アムートは弟の報告に眉をしかめた。
『導火線』
禿頭の老人から教わった新しい考えの火薬の使い方だった。
何度か試行錯誤し、どうにか使えるようにはなったが……初めて使う道具であったから、この手の不具合は計算の内に入っていた。入ってはいたが場所が悪い。
「俺が行って火をっ」
隠れている穴から抜け出そうとする兄を、カムートは殴って止めた。
「兄さんは最後まで火の動きを見ててくれ」
「カムート?」
殴られた頬を押さえ、呆然と見る兄にカムートは笑いかけた。
「カーリに手を出して孕ませたうっ憤だよ。勝手に一人で幸せしやがって」
「……」
「だから兄さんは最後まで生きるんだ。帰る場所があるんだから」
言って松明を手に走り出した弟の背を兄は見続けるしか無かった。
必死に走りカムートは火の消えた場所へと急ぐ。
掘って再度着火している暇など無いから、そのまま通り過ぎて次の場所に火を灯そうとして……自分の背中が焼けるような痛みを発するのに気付いた。
「お前か……火を点けて回っているのは!」
手には血で濡れた剣を持つ敵兵が背後に居た。
それを認識し、カムートは自分が斬られたのだと知った。
「やらせんぞ! これ以上は!」
二撃目をどうにか松明で受け止めたが、半ばまで斬られたそれは地面へと落ちる。
武器を失いカムートは背中の痛みから地面に膝を着いた。
「陛下からお預かりした兵を……良くも、良くも!」
カムートは知らない。目の前の男が左翼の将軍である人物だとは。
炎が走った時に彼は急ぎ後退して退路を作ろうと奮闘したのだ。だからこそ炎が立ち上っていない場所で松明を手に走るカムートを見つけた。
「死ね!」
振り上げた剣は……振り下ろされない。
飛び込んで来たアムートが相手の両腕を掴み制していたからだ。
「にい、さん」
「カムート! 火を点けろ!」
「っ!」
半ば斬られて地面に転がる松明を掴み、カムートを地面を這う。
アムートもまた指揮官との力比べに負け……相手の剣を、その刃を胸で受けながら笑っていた。
「何がおかしいっ!」
「ああ……人間って奴は、凄いなって」
「何が!」
相手の腕が離れアムートは斜めに斬られる。
それでも笑い、地面に伏しても笑った。
「見せてやれ……カムート。これがどん底を見た……人間の強さだ」
兄を斬って捨てた将軍は急ぎ視線をもう一人に向ける。
彼もまた笑い、燃える松明の先を握って軽く持ち上げていた。
「俺たち、兄弟の、勝ちだ。ば~か」
口から血を溢してカムートは腕を降ろす。
剥き出しの導火線に火が灯り、また炎が走り出した。
将軍はそれを見つめて地面に剣を放り捨てた。
捨て身の兄弟が作った火の海から逃れる道が無くなっていたからだ。
(アムートさん。カムートさん)
燃える炎の中で数多くの命が潰えて行く。
焼け死ぬ者。煙を吸って動けなくなる者。逃げ道を求めて仲間を斬り殺す者。
人の行為で人が死んで行くのをレシアはただ見ていた。
生あるものは必ず死を迎えるとは言え……この終わり方を想像していた者がどれ程居ようか?
(私たちは酷いことをしているんですね)
『そう言うな。やったのは俺たちだ。だから君はそこで平和の為に踊ると良い』
『そうそう。難しいことなんて考えないで踊ってれば良いんだって』
明るく笑う兄弟を見つけ、レシアは微かに笑う。
きっと二人がそれを望んでいるのだと気付いたからだ。
『まっ俺たちは先に行くから後からのんびり来ると良いよ』
『そうだね。あと……カーリに伝えてくれ。帰れなくてごめんと』
(はい。必ず)
二粒涙を溢し、レシアは自然へと還る二人を見送りそれでも踊り続ける。
平和を求めて……平和を願う舞を。
(C) 甲斐八雲




