其の拾漆
「大将?」
「……ん」
「行かないんですか?」
ひょいと顔を覗かせた男に向かい、彼は空になった木製のカップを投げつける。
飛んで来た物を片手で受け取り、彼……ゴンは笑いながら部屋の中へと入って来た。
「行かないんですか?」
「俺が行くような男に見えるか?」
「まあ……今の様子ですと無理ですね」
ケラケラと笑い、ゴンは手にしたカップを相手に放り投げる。
受け取った人物……ミツは、置き場に困り隣で尻を出し寝ている女の背に置いた。
「あぁん……もう無理」
「良いから寝てろ」
「は~い」
甘い声を発して眠る女からミツは視線を戻す。
食い入るように相手が女の尻を見ていた。
「自分の女が居るだろう?」
「言っても良い女は全部大将が連れて行きますから」
「人聞きの悪い。勝手に寄って来るだけだ」
「へいへい」
やっかみを含んだいい加減な返事をし、ゴンは頭を掻く。
女たちが自分たちを見たらどっちを選ぶかなど決まっている。
主従関係がはっきりと見えるのだから、良い生活を送れるなら主に尻を振るものだ。
愚痴を言っても仕方ないので、ゴンは話を戻すことにした。
「で、行かないんですか?」
「……行きたいのか?」
「俺っちはどっちでも。まあ行きたい気持ちの方がちょっとばかり勝ってますがね」
「そうか」
頷き、ミツは顎回りの無精ひげを擦る。
「行きたいのなら一人で行け」
「冷たい言葉だわ~。大将の人間性を疑います」
あからさまに衝撃を受けたかのようにゴンが体を斜めにする。
しばらくその姿勢を維持していたが、言葉の追加が無いので元に戻した。
「本当に行かないんですか?」
「ああ」
やる気のない声を出しミツは頷く。
「俺はどうも聖地と言う場所を信用していない」
「何でまた?」
「……きっと今頃あれも気づいているはずだ」
「何をです?」
グイグイと詰めて来る相手の言葉にミツは呆れた。
「……お前のその先を急がす口調はどうにかならんのか?」
「大将がもったいぶるのがいけないんですって。言いたいことがあるならスパッと言ってな」
「堪え性の無い」
息を吐きミツは軽く頭を掻く。
「あの場には居るはずなのだ。シャーマンの"長老"たちがな。だが一度も姿を現さなかった。だから俺はあそこを信じられなくなって出た」
「そんなん……大将が見えなかったん違います?」
「……」
何気なく言われた言葉にミツの表情が渋面になる。
「あの不思議な……巫女さんでしたか? あの子は違うモノが見えるとミキの奴も言いてましたしね」
「それにしても呼んでおいて顔を出さない者たちは信用出来ん」
正論ではあるが、どこか苦し気だ。
軽く頭を掻いてゴンは口を開いた。
「行かないんですか?」
「くどい」
「そうですか」
頑なになっている相手は行きそうにない。
ゴンとすればたぶんこれが最後の大戦な気がして……出来れば行きたい。
「まあ大将が行きたくない言うなら仕方ないです」
「……」
「ただまあ……傾奇者とは程遠い行いですけどね」
「なに?」
相手が一番気にする単語を出し、ゴンは煽る。
「自分が知ってる傾奇者なら、きっと喜んで出向いて大いに楽しむだろうと……でも仕方ないです。大将が行かん言うなら俺っちは一人で行って楽しんで来ます。留守の間は宜しゅうに」
ヒラヒラと手を振りクルッと相手に背を向ける。
これで相手が動かなければそれまでだが……。
「待てゴン」
「はいな?」
「楽しむだと?」
「はいな」
振り返りゴンは軽く笑う。
「戦うのもそうですが、大軍が動いているってことは金目の物も仰山動いてます。それを横からかすめ取ってついでに暴れて遊ぶ。これが傾奇者じゃなくて何を傾奇者と?」
「……そうか。その考えがあったな」
笑い立ち上がったミツは、軽く首を鳴らす。
「大将」
「何だ?」
「行かないんですか?」
「そうだな。行って傾奇のも悪くないか」
ニヤリと笑ってミツは寝ている女の尻を軽く蹴る。
「うぅん? なあに……旦那様?」
「出かけるから全員起こして仕度しろ」
「ん~。何処に?」
眠気眼で身を起こした女に、しゃがんだミツが顔を向ける。
「戦場だ」
「儂かと思っていたのか?」
「『長』とか『老』とか呼ばれてますからね」
「確かにな。だが儂らには名前が無い。その都合老いた生き字引を"長老"と呼んでいるだけさ」
老女の姿となっている狼と話しながら、ミキは歩いていた。
フラフラと彷徨うように花束を抱えた妻は好きにさせておく。
カロンはマリルにも馴染んだ様子で、今頃二人並んで泉で浮いているはずだ。
「それで聖地の長老とやらは?」
「見えんか?」
「見えません」
「この聖地に来てからずっとお前たちの傍に居て見ておるぞ」
笑う老女にミキは気付いた。
「見えないのですね」
「その通り。だが一人だけ見えておるのが居るだろう?」
「あれは特別ですから」
普段から見えすぎるから気にしない妻だ。
居て当然だとすら思っている節がある。
「ではシャーマンの長老とは?」
「聖地で生きて死んで行ったシャーマンたちの成れの果てだよ」
言葉を区切り老女は進行方向の石を見る。
「巫女が旅立ちミツに逃げられ……聖地で暮らしていたシャーマンたちの大半が絶望を抱いた。大半がここを出てセキショを通り西へ向かってシャーマン狩りにあったと聞く。残った者も多くは絶望してな」
辿り着いた先は墓石に見える。
磨かれた石には何も刻まれていないが、墓所特有の静謐さを感じた。
「頑張って生きていれば……今代の巫女に会えただろうにな」
「そうですね」
墓石のような石の周りには積み上げられた人骨が並んでいる。
埋めなかったのは……近くに埋められる場所が無かったからか。
「正直辛い戦いになるだろうな」
「ええ。でも覚悟の上です」
妻が置いた花束を見つめ、ミキは静かに手を合わせる。
「ただ……自分は吉岡に勝った武蔵の子ですから。負けませんよ」
(C) 甲斐八雲




