其の参拾弐
イースリーは何とも言えない胸騒ぎを覚えながら窓の外を見ていた。
こんな風に椅子に腰かけて街の様子を見るなどいつ以来か……直ぐには思い出せない。
隠れるように逃れるように、周りの視線が恐ろしくて隠れ続けて来た。
「ウルラー様にどう告げたら……」
あの二人の勢いに押し切られたと言えば自己弁論は成り立つ。
だが心の何処かで望んでいたことを噛み締め……そっと一度頭を振る。
『決して綺麗な人間ではない。本来なら王妃になるなど思ってもいけない。何より……純潔では無い』
否定的な言葉などどれ程までも並べることが出来る。
むしろ逆に肯定的な言葉など……ただ一つしかない。
『前王の娘』
それしかない。
だからこそ自分たち家族は、兄や姉たちは、あの女に狙われ殺され尽したのだ。
今となれば呪いのようでしかない血だが、この血筋こそが自分に残された唯一の武器だ。
「ミキ~。私だって食べられる量って言うものがあります」
「その割には子羊の丸焼きを半分喰らうとか化け物だろう?」
「このっこのっこのっ!」
賑やかしい声に顔を向けると、閉じられていた戸が開く。
愛しい人を笑顔で叩く女性は……何故か焼かれた肉の塊を葉に包み抱いている。後から入って来た彼もまた肩に荷物を乗せていた。
「済まん。遅くなった」
「でもでもご飯ありますよ~。丸焼きです」
「……はぃ」
机の上に肉を置いた少女が嬉しそうに葉を広げると、香ばしい匂いが室内に広がり……イースリーはその匂いに触発されて自身が空腹であることを思い出した。
「これを焼いてて時間を喰った」
「別に構いません」
肩に担ぐ荷物をベッドに放り投げ、彼はやって来ると同時に肉に嚙り付こうとしている妻の頭を殴る。
良い音がして……少女は頭を抱えて蹲った。
「このままと言う訳にもいかんな。切り分けるから待っててくれ」
慣れた手つきで肉を切り分ける様子に……ナイフが何処から姿を現したのか不思議に思った。
「あの……どうしてお肉を?」
「ああ。ちょっと血が必要になってな」
「首のここを斬ってドバっと……ミキはもう少し私が見ていることを気に掛けて欲しいです」
「血抜きが上手く行ったから肉が美味かったろう?」
「……もう二日は置いておきたかったです」
贅沢を言う馬鹿に手刀を掲げると、彼女はまた頭を抱えて逃げて行く。
そんな様子にクスクスと笑ったイースリーは、切り分けて貰った肉を受け取った。
「レシア」
「は~い」
「宿の者に言ってパンと飲み物を貰って来い」
「わ~い」
嬉しそうに声を上げて彼女が駆けて行く。
やれやれと肩を竦めて呆れる彼が椅子を引っ張って来て、イースリーの近くで座った。
「あの……ミキ様」
「ん?」
「王弟エスラー様は?」
「ああ。殺した」
「……」
余りにあっさりっとした言葉に一瞬理解が出来なかった。
言葉と一緒に肉を飲み込んだイースリーは、喉に詰まらせて軽く咽る。何度か咳をしてどうにか落ち着いた。
「もう?」
「ああ」
「今朝陛下の元に行くとか?」
「その足で行ってやって来た」
いくら何でも非常識すぎる。何処の世に物のついでで王弟を暗殺する者が居るのか?
頭を抱えそうになったイースリーは、どうにか我慢した。何より"彼"を思えばその心中は計り知れない。
どこかそんな彼女の様子を観察している節のあるミキは、軽く笑って口を開いた。
「だがあれは本当に王弟なのか?」
「えっ?」
顔を上げたイースリーは彼を見る。
「最後は命乞いを失禁していた。『死にたくない死にたくない』と泣いていたよ」
「……」
言われて納得してしまう。彼はそう言う人間だ。
「甘やかされていたのです。実の母親であるオルティナに」
「だろうな。それにしては酷過ぎるが」
「はい。ですが元々彼は優しい性格の人だったと聞きます」
いつだか王から聞いた話をイースリーは思い出した。
「心根の優しい少年だったエスラー様を歪めたのは全て母親です。彼女が彼をあんな風に育てた」
「そうか」
チラリとベッドの荷物に目を向けてミキは視線を彼女へ向ける。
「だが兄とは違い前王の血を引く者なのだろう?」
「……」
「傀儡にするには正しいことだと俺は思うが」
馬鹿な者ほど扱う側としては御しやすい。女や酒を与えておけば良いのだから。
何処に行ってもやることは変わらない……そう思っているミキに、真っ青な顔色をしたイースリーが今にも泣き出しそうな表情を見せる。
「どうしてっ!」
「はっ?」
「どうしてそのことを知っているんですかっ!」
この国一番の秘密だ。それを正しく知る者は王とその母親だけのはずだ。
オルティナが誰に喋っているかイースリーは知らないが、王が喋って聞かせた相手なら知っている。
唯一自分にだけ……彼は打ち明けてくれたのだ。
余りの様子に暫し思案したミキは合点がいった。
「レシアに隠し事は無理だぞ?」
「ああ……我が王よ。私は貴方にどう償いをすれば……」
「王妃になって尽してやれ」
「……」
頭を抱えて蹲った彼女を見てミキもいたたまれない気持ちになる。
「ミキミキっ! 焼きたてのパンですよ!」
満面の笑みで両手で籠を持ち、湯気が昇るパンを持って戻って来た彼女を見つめ……流石のミキも頭痛を覚えた。
(C) 甲斐八雲




