其の参拾壱
「何と申した? もう一度申せっ!」
投げつけられた扇を右肩に受けながらも、畏まった男性が口を開く。
「はい。エスラー様のお屋敷で騒ぎが起きたと聞き駆け付けましたところ、何者かの襲撃があったとのことです」
再度問いかけて返って来た言葉に変化は無かった。
カクカクと自分の顎が震えるのを感じながら、この屋敷の主人であるオルティナは目を見開いた。
「検分している者の話では、エスラー様が普段居られた部屋に大量の血が残っていて……何よりあのお方が発見されておりません。仮定の話ですが、殺害されて運ばれたのだと思われます」
淡々と告げて来る男の声がやけに遠くに聞こえる。
オルティナは倒れそうになりながらも必死に耐えた。
「嘘じゃ……エスラーが死んだと申すか?」
「可能性があると言うだけです」
「嘘を申すでないっ!」
掴んだ果実を男に投げつけ……オルティナは両手で顔を覆う。
このような事態は想像していなかった。
どんなに愚かな息子であっても"あれ"を殺す意味など無い。何より先に殺すべき存在が居る。
そう思ってオルティナはエスラーが狙われることは無いと思っていた。
「……そうか。ウルラーがやったのだな?」
彼女が辿り着いた答えは単純で短絡的だった。だが心の何処かに確信めいた物があった。
こちらが"あれ"が大切にしていた女を殺したから、仕返しにこちらの"大切な"存在を奪ったのだ。
「そうか。ウルラーよ。お前はこの母と本気で殺し合いを望むと言うのだな?」
クククと口の端で笑い、彼女は畏まったままの男に目を向けた。
「皆を集めよ」
「召集の理由は?」
「決まっておる」
笑い母親である存在は口を開く。
「あの愚かなる王を誅してこの国を私のものにする」
部下からの報告を受けた王は、知ってはいたがやはり驚いた。
"巫女"と名乗るあの娘が来たのは今朝のことだ。それからまだ太陽は南の高い位置までしか動いていない。それなのに本当に弟を殺めたのだ。
覚悟をしていたとはいえ……その報告に彼の心は荒れる。
愚かな振る舞いばかりする弟であったが、それでも大切な"家族"だ。
「誰か」
「はっ」
控えていた武官が静かに歩み出る。
「エスラーを殺めた者を見つけ出し我が前へ連れて来い」
「……生死のほどは?」
「問わぬ!」
「はっ」
王の強い言葉を受け、武官は一礼をしてその場を離れる。
指示を出す彼の声を聴きながら……ウルラーは心の中で亡き弟に懺悔の祈りを捧げた。
「済まぬ……エスラーよ」
「一体全体……全く」
やれやれと肩を竦めて彼は頭を掻く。
城門の門番からの報告を受けてやって来たイマームは、自分を頼る女たちを見てため息しか出ない。
女たちも女たちで、まさか本人が出て来るとは思っていなかったのか……千人斬りを見て怯え切っている。
「将軍」
「何だって?」
「はい。どうやら将軍が出会った男に命じられた様子です」
「あの男め……」
娘を助けて貰った恩があるとは言え、その恩をこんな形で請求するとは……ほとほと困ってイマームは頭を掻く。
「なあおい?」
「「ひぃ……」」
「いやいやそう怯えるな。話は分かったから」
だが女たちは、将軍を見ては恐れ震える。
その様子を遠巻きに見ている兵たちがどんな話をしているのか……想像するだけで腹立たしい。
「ワハラ」
「はい」
「……任せて良いか?」
「仕方ありませんね。将軍はこの国では恐怖の対象ですから」
呆れて苦笑する副官の態度にも腹を立てつつ、イマームは出来るだけ優しげな声を作る。
「聞いてくれ。お前たちは今からこの男の指示に従えば良い。決して悪いようにはしない。それはこのイマームが誓おう」
だが震える女たちは身を寄せ合うばかりだ。
力無く肩を落とした将軍は、副官の肩を叩いて城へと引っ込んで行く。
その寂しげな後ろ姿を見て……ワハラは内心笑ってしまった。
流石は『宮本』の名を継ぐ者だと。
人の痛い部分を的確に穿つやり方は……義父である武蔵に似ていると、そう思いまた笑った。
「さあ聞いてくれ。今からお前たちから話を聞く。知っていることを隠さず全て話して欲しい。勿論将軍イマームが約束したからには決して悪いようにはしない」
告げて女たちを宥めて言葉を少しずつ募る。
見えて来たのは女たちが王弟の屋敷に居たという事実と、そこを三木之助が襲撃したと言う事実だ。
にわかに信じられずワハラは押し黙ってしまう。
義父と違い三木之助は決してその様な粗暴なことはしない。
用心深く相手を観察して痛い部分を的確に攻撃して来る策士だ。
その性格のおかげで自分はどれほど彼にしてやられたか……数えるのが馬鹿らしくなるほどだった。
(つまりまたお前は俺の考え着かないようなことをしている訳か)
仲間であった彼を思い……ワハラは息を吐いた。
(御館様。だから何度もご注意したのです。『あれに戦略などを教えるとろくでも無いことに使う』と)
だが仕えていた主人は、むしろ喜んで彼に学問を授けていた。
太平の世となるのに……まるでその時代に反するかのように。
(おかげで自分はまた彼の尻拭いだ)
苦笑してワハラは女たちの言葉を纏めて行った。
(C) 甲斐八雲




