其の弐拾玖
重い頭を軽く振って彼は枕から頭を引き剥がした。
上半身を起こし深く深く息を吐く。
ろくに眠れない日々が続いていた。あの日もたらされた報告……思い出すだけでも胸が張り裂けそうになる。
「……イースリーよ」
震える顎を動かし口を閉じる。だがガクガクと歯が当たってしまう。
激しい震えに襲われ……王は自分の腕で自らを抱いて耐えた。
失った代償が余りにも大き過ぎた。まさか王となった自分を、ここまで敵に回すようなことをあの女が仕掛けて来るとは思いもしなかったのだ。
思い込みからの失策。全ては自分のミスだ。
「すっごい汗ですね。これを使ってください」
「ああ」
手渡された布で顔を拭き……彼は違和感に気づいた。
この寝室は暗殺者を恐れて人を呼ばない限り誰も居ない手筈になっている。
ならば自分に布を渡した者は……?
慌てて辺りを見渡すが誰も居ない。
一瞬夢かと思ったが、自分の手の中に布はある。
「ふぇ~。王様の部屋ってもっと立派だと思ったんですけど……意外と質素ですね~」
「っ!」
確かに声が聞こえた。だが姿は見えない。
言いようのない恐怖に王は声を上げ衛兵を呼ぼうとした。
「あわわ~。人を呼ぶのは止めて下さい。面倒臭くなるから!」
「……」
と、王の寝所の前でクルッと回って女性が姿を現した。
「イースリーさんから手紙を預かって来てます。王様のウルラーさんで合ってますか?」
「……ああ。如何にも」
姿を現したのは異国の女だった。肌の色が抜けるように白い。
だが王の気持ちはそれ以上に彼女の言葉に向けられていた。
「イースリーと言ったな! 彼女は!」
「はい? 今頃鳥さんのベッドになってるかな~」
「鳥……さん?」
「む~。ミキが居ないと色々と面倒です。とりあえずこれを読んでください」
本当に面倒臭くなったらしい女性……レシアは、懐から手紙を取り出して王に手渡す。
慌てて広げ読み出した彼を見つめ、クスクスとレシアは笑った。
「そんなに心配だったんですね」
「……」
「ですよね。大好きな人ですから」
はっきりと彼の纏う空気からそれを理解し、レシアは嬉しい気分になった。
手紙を読み終えた王は……深く息を吐いて一度目元に指をやると目頭を揉んだ。
涙は出ていなかった。
「イースリーを助けて貰い感謝する」
「いえいえ~」
「しかしこの申し出は」
「あ~。そっちはこっちの手紙を読んでからお願いします」
慌ててもう一通の手紙を取り出し彼に押し付ける。
渋々受け取った王は……その手紙を読んで目を見開き驚愕した。
「お主が巫女かっ!」
「は~い。そう呼ばれてま~す」
クルクルと回ってレシアは返事とする。その行動に意味は無い。ただ暇だっただけだ。
突然の訪問と手紙の内容に驚愕しつつも……王は改めて口を開いた。
「この申し出は引き受けられん」
当たり前だ。自分の母親を殺す許可など王は出せない。
「はい。でも何を言っても私の夫は行動を開始してますから~」
「なに?」
「それがイースリーさんとの約束なんです。心から愛している人と平和に過ごせるのならどちらを選ぶべきか……聡明な王ならきっと分かるだろうとミキが言ってました。私の言葉は合ってますかね?」
疑問符付ではあるが胸に突き刺さる言葉だった。
確かに母親とイースリーを天秤に掛ければ……だが彼は王だ。国王である以上、国の決まりを護らなければいけない。
「それにミキが狙うのはお母さんの方じゃないですよ」
「……エスラーかっ!」
「はい。イースリーさんから聞きました」
王は愕然とした。
この国一番の秘密を彼女が打ち明けた。つまりそれ程本気なのだ。
確かに妹には母を恨む気持ちもある。むしろ恨んで当然だ。今回のことで母が彼女の最後の一線を越えたとも言える。
だがそれでもあのことは決して口にしてはいけないことだ。
「イースリーから聞いたのだな?」
「は~い」
クルクル踊るレシアは嘘は言っていない。
見たも聞いたも一緒のような物……その考えが彼女の中にあるだけだ。
もし王が『イースリーの口から聞いたのだな?』と問うていれば彼女の返事は『否』だった。
いつも通り自分の力を使い彼女が心の奥底に隠していた秘密を見つけて覗き見ただけだ。
熟考に熟考を重ねた王は、重い口を開いた。
「……この件に関して特に精査はしない。それで良いか?」
「ダメです」
「?」
ピタッと踊りを止めてレシアは迷うことなく胸を張る。
「難しい言葉は覚えられません! 手紙にしてください!」
「……書面で残したくはない内容なのだがな」
「だったら読んだら燃やします!」
力強く断言する彼女に……王はため息交じりで苦笑した。
ベッドに引っ掛けていたガウンを身に纏うと、机まで歩き手紙をしたためる。
正規の物では無いから走り書き程度なのに……今まで書いて来たどの手紙よりも内容が重い。
「これを持って行け」
「は~い」
右手で手紙を受け取り……レシアは動かない。
訝しむ王に彼女の方が口を開いた。
「イースリーさんからの手紙の返事は?」
左手を出して『早く早く』と催促する彼女に、王は堪え切れずに笑った。
「無礼者だな」
「むっ」
頬を膨らませるレシアに王は目を向ける。澄んで迷いのない目を。
「手紙などで伝えるものか。自らの言葉で彼女に届けよう」
「……失礼しました」
軽くスカートを抓んで一礼したレシアは、嬉しい気持ちを抱えて姿を消した。
「本当に面妖な」
苦笑した王は足を進めてベランダへと向かう。
「自らの言葉で……か」
王としてではなく男としての一大事が決まり、ウルラーは告白の言葉に頭を悩ませることとなった。
(C) 甲斐八雲




