其の弐拾捌
ため息を吐いて、イースリーは窓際に運んだ椅子に腰を下ろし闇夜に浮かぶ月を見ていた。
こんな風に月を見るのは何時振りか……思い出そうとして苦笑する。
子供の頃は王城の一室で平和に暮らしていた。
王である父親は、抜けた能力は無かったが、それでも国を安定させようと勤めていた。
そんな王の唯一の楽しみが『女性』であり、彼には数多くの側室が居た。その中には自分の母親や母親が同じの兄姉たちもいた。他にも兄弟姉妹が数多く居ると聞いていたが、原則会うことなど無かった。
しかしある日を境に王城内は一変した。
王が病気に倒れ、宰相が権力を握ってから国が乱れだした。
難しい話などまだ理解出来なかったイースリーが覚えているのは、酷くやつれた顔で自分を抱き『貴女は私が護るから』と言っていた母親の表情だ。
母に抱かれ幼い自分は全幅の信頼を寄せ甘えた。
きっと守ってくれる……何から、誰から護られるのかは分からなくても母親の胸の中でそう思い信じた。
でも母親を護る者は居なかった。
側室オルティナの陰謀で父親……王に対する毒殺容疑を掛けられ母親は斬首された。
兄たちは縛り首にされ、姉などはきっと弄ばれてから殺されたのだろう……どう処刑されたのか、どこに埋葬されたのかすら記述が残っていなかった。
自分が難を逃れることが出来たのは、ある日を境に侍女の格好をして過ごすようになったからだ。
母親を捕らえに来た兵たちは侍女などには手を出さず関係者だけを連れて行った。
残された自分は、親しい侍女たちと肩を寄せ合い生き残った。
だがあの女に見つかった。
城下で細々と暮らしていた所に襲撃を受け……アルーが喉に矢を受けた。
襲って来た男たちに乱暴されて半数の侍女が死んだ。
自分も乱暴され殺されかかった。だが運悪く生き残ってしまった。
全てに絶望し、瀕死のアルーを抱え皆で『死のう』と話し合っていた所を救われた。
生き残った自分たちを救ったのは……奇跡的に回復した王だった。
一時的に体調を戻した彼の命で、自分たちは救われ隠された。
王城の奥……離れにある『鳥小屋』の管理と言う仕事を与えられて。
胸の奥がズキッと痛んでイースリーは涙した。
あの日以来、皆を護れるようにと必死に剣を学んだと言うのに……また何も出来なかった。
結局自分を残して皆が旅立ってしまった。『共に死のう』と誓い合ったのにだ。
国王が崩御し、後を継いだのはあの女の息子だった。
だが彼は母親を遠ざけ国の安定を最優先した。
確りした王だと思った。
あの女の息子でなければ……何度もそう思った。
ついに王が鳥小屋の存在を知り自分が呼ばれた。
第一印象は『若い』だった。次に感じたのは『王に似ていない』だった。
優しく出迎えてくれた王は、自分のことを知っていた。父王が残しておいてくれた手紙を読み知っていたのだ。
『済まなかった』
王から掛けられた第一声がそれだった。
深々と頭を下げられ……涙ながらに謝罪して来たのだ。
自分の胸の奥で彼に対するわだかまりが氷解するのを感じた。
許す許さないでは無くて、『彼はこのことに関係していない』と理解し、無関係な者が頭を下げる様子に逆に胸が苦しくなった。
それ以来目立たぬように彼の影となり、鳥小屋に住まうシャーマンたちと協力して来た。
気づけば自分もそれ相応の齢となり……母親によく似た容姿を纏っていた。
婚姻話も来ていると噂で聞いている。だが兄である王が全てを握り潰しているのもだ。
あの場所の管理をしているのだから自分を兄が手放すことなど無い。
死んでいることとなった今こそ"自由"になれる最後の機会かもしれない。
逃げ出せば、
「無理ですよ~」
その言葉にビクッと震え、イースリーは辺りを見渡した。
ピョコッと窓の外から顔を出した巫女に……椅子に腰かけたまま腰を抜かす。
悲鳴を上げなかったのは驚き過ぎて喉に舌が貼り付いたからだ。
急遽宿の者を起こして彼と新たに部屋を借りて仲良く向かったはずの巫女たるレシアは、窓枠に腕を乗せてジッと彼女を見る。
「無理です。貴女はここを離れられません」
「……どうしてですか?」
「ん? 私と同じです。大好きな人を置いて他の場所に行ける訳ないじゃないですか~」
クスクスと笑う彼女に、イースリーはしばらく相手の顔を見つめ……顔が焼けるほど熱くなるのを感じた。
「そんなっ! 私は王に仕える女官です。それにあのお方とは母親違いの兄妹です。兄妹での婚姻は」
「だがお前は死んだ。その括りは無くなったはずだ」
「っ!」
横からの声に目を向けると、今度は壁際に彼が立っていた。
ちょっとした外壁の柱の出っ張りに足を乗せてだ。
「どんな場所に居るんですか!」
「それが勝手に部屋を出たんでな。追って来ただけだ」
「ミキは過保護すぎます」
窓枠にぶら下がっている馬鹿の言葉に彼はため息を吐く。
「で、話を戻すと……お前はもう死んだことになっているらしい。ならどうする? 死者が蘇ってあの城に戻るか?」
「……」
顔を赤くしたまま押し黙る女性に、ミキは優し気な視線を向けた。
「さっきの話し合いだと平行線のままだ」
事実そうなった。イースリーがどんなに頼んでも彼は首を縦に振らなかった。
『復讐なら手を貸さない』とはっきりと拒絶されたのだ。
「……もし」
「ん?」
「もし私が……」
顔を上げイースリーは彼を見る。
「王を……愛している王を救って欲しいと頼んだのなら?」
「条件による」
レシアの首根っこを掴み彼は部屋に戻るように指示を出す。
渋々従う彼女は、外壁を伝い上の階の部屋に戻りだした。
「条件とは?」
「簡単だ。お前が王の子を産んで育てること」
「っ!」
自身も外壁に手を掛け、ミキはイースリーを見た。
「こっちはシャーマンを護ってくれる存在が欲しいんだ。痛みを知るお前なら、死ぬまで護ってくれそうだしな……だから復讐を成し遂げて死なれるのは困る」
ニヤッと笑いミキは言葉を続けた。
「条件はお前が長生きをしてシャーマンを護ることだ。この国の"王妃"は、シャーマンを集めて大切にする存在であって欲しい」
「……」
「返事は明日の朝にでも」
姿を消した彼を見送り……イースリーはそっと自分の胸に手を置き涙した。
(C) 甲斐八雲




