其の拾伍
「陛下」
「どうした?」
「はい」
飛んで来た部下の返事がそこで止まる。
額に玉のような汗を浮かべ全身を震わせる部下を見、王たるウルラーは全てを察した。
「"あれ"が来たのだな」
「……」
沈黙と深く下げられた頭に王は確信を得た。
軽いめまいを覚えながらもどうにか精神を保ち王は頭を振る。
「謁見の間に案内せよ。我も仕度をしたら出向こう」
「はっ」
また飛んで行く部下の背を見送り……王は力無く頭を振った。
「お久しぶりですね。母君」
「ええ。ウルラーよ」
慇懃に振る舞う彼女に一段上の場所に居る王が苦笑いを浮かべる。
「母君よ。今は王だ。王を呼び捨てにする行為を我は許すことは出来ん」
「……偉そうに」
扇で口元を隠し前王の正室であった彼女が笑い声を発する。
ザワリと護衛の兵たちに緊張が走るのを見て女性は笑うのを止めた。
「自分に自信が無いからそうやって数で圧倒するのですか? ウルラー」
「ええ。自分は王ですから使えるものは何でも使います」
軽く手を上げ王が兵たちを制す。
王は軽く足を組んで母親である相手を見下ろした。
実際は前王の後妻に当たる存在であった彼女はまだ若い。その美貌と知性で王に取り入り敵対する女たちを全て平らげ駆逐した。
残ったのは自分だけ……後の女は全て殺した。王との間に出来た子供たちを含めてだ。
そして前王が老いて死んだ時彼女の計画は完成するはずだった。
アフリズム王国最初の女王。
だがその野望はウルラーの裏切りで潰えた。
前王の部下たちをまとめ上げ彼は母親の野望を打ち滅ぼした。それ以降彼女は城の奥に引っ込んだままだ。
しかし若き王は知っている。
彼女がまだ牙を研ぎ次なる機会を狙っていることを。
「して母君よ。此度はどのようなご用件で?」
「……お前が飼っている鳥の目を借りたい」
ピクッと額の血管を動かし王は堪えた。
「何に使うのですか?」
「人を探したい」
「……どのような人物ですか? 特徴を申せば我らが兵が探し出しましょう」
だが『ククク』と笑った女性は冷たい視線を王に投げる。
「お前の無能な兵では探せないでしょう? 現に今もまだ見つけられずに捜索していると聞きます」
「っ!」
言葉から察することが出来た。
故に若き王は急いで頭の中で思考する。
彼女の狙いがはっきりとした。彼女もまた巫女を求めているのだ。
「母君よ」
「何かしら?」
「その申し出は断る」
はっきりと告げて王は玉座から立ち上がる。
もうこれで謁見は終わりだと言いたげな息子の様子に、静かに激高した女性が手にする扇を畳んで投げた。
誰もがそのような暴挙に出るとは思っていなかったが為に反応が遅れた。
「っ!」
ガツッと音を発して扇が床に落ちる。しかし王は無傷である。
「イースリーよ」
「……王よ。ご無事でしょうか」
「ああ。大儀であった」
身を挺して壁となった女官に母親が目を剥く。
「ウルラー! その者は!」
「……我に仕える女官の一人ですが」
「まだ生きていたのか!」
はっきりと見える形で激高し、彼女が駆け寄って来ようとする。
しかし今度ばかりは女性の背後に居た女官たちがそれを制する。これ以上の暴挙は流石に許されない。
どんなに国の重臣たちの支持を裏から受けていても、表立ってこれ以上の騒ぎを起こせばもみ消しようが無いのだ。
「ええい離せ! 離さぬか!」
「……母君は錯乱している。早々に連れ出せ!」
「「はっ」」
その場に居るほぼ全員の部下たちが安堵の声を発し、その指示に従う。
騒ぐ母親が運ばれて行く様子を見つめ……ウルラーは深いため息を吐いた。
「イースリーよ。無事であるか?」
「はい。我が王よ」
まだ痛みを発する肩から手を放し、女官は深く首を垂れる。
その様子に王は、腹の底から込み上がる感情を抑え込み息を吐く。
「母君が悪さをするかもしれん。鳥小屋の警備を厳にしろ。良いな?」
「はい。我が王よ」
女官の礼を見つめ王は自室へと戻って行った。
「母さんが出向いたのに断った……だと?」
報告を聞いたエスラーは手にしていた盃を落とした。
石の床に跳ねた杯が乾いた音を発する。その音が室内に響き渡るほど誰もが沈黙を守った。
「兄さんは何を考えている? 母さんの申し出だぞ? それを何故?」
「自分には分かりかねません」
部下の返事を呆然とした面持ちで聞いたエスラーは、沸々と沸き上がって来る感情に身を任して激昂する。
「うわぁ~っ!」
手当たり次第に暴れて気を紛らわし……しばらくして彼は動きを止めた。
「ならば僕が出向いて直接頼もう。そうすれば兄さんも分かってくれるに違いない」
「陛下」
「何だ?」
「……陛下が出向いても国王陛下は応じません」
「何故だ!」
声を荒げて部下に詰め寄る。
襟首を掴んで部下を立たせて乱暴に殴りつける。
「どうして兄さんは僕を見ない! 僕は純粋に手伝いをしたいだけなのに!」
殴られながらも部下は何処か冷ややかな視線で主を見ていた。
弟の本性を……心の内を見抜いている国王が、王弟を信じることなどあり得ない。
残念ながら王弟は母親に似すぎてしまったのだ。
自分が欲するものを手に入れたがる……自分を律せない者に。
「ふざけるな! ならどんな手を使っても手に入れて見せるぞっ!」
王弟はそう吠えて親指の爪を噛み始めた。
(C) 甲斐八雲
 




