其の玖
「止まれ!」
アーチッンに向かい進み出して四日目のことだ。
反対側から……つまりアーチッンから来た兵士たちにクックマンの商隊は止められた。
「うむ。身分証など間違いでは無いな」
「へい」
「行き先は我らがアーチッンか?」
「へい」
将軍とは思えない相手だが、クックマンは腰を折り気味に揉み手でもしそうな勢いで頭を下げる。
荷馬車の上からそれを見ていたミキは、荷台から顔を出して好奇心旺盛の視線を浮かべているレシアの頭をポンポンと撫で、問題を起こさないように押さえていた。
「商品は……女か」
「へい」
「アーチッンから先は?」
「へい。アーチッンで休憩をしてから、闘技場のあるググランゼラに向かう予定となってます」
「そうか」
問題無く会話が進んで行く。
何人か兵士が来て荷物などをチェックしているが、怪しまれる様な物は運んでいないはずだ。
ミキとて全ての商品を把握して居る訳では無いので、その部分はクックマンを信じるしかない。
兵士たちは全ての馬車を見て回って居る。
商品が乗る馬車などはとても丁寧に調べているが、部下や護衛などが乗る馬車は確認程度だ。
と、一人の兵が来た。
ミキは特に身構える様子も無い。
ただ荷馬車を確認した兵は荷台に乗るレシアを見て……動きを止めていた。
見た目だけは一級品だ。自作の服は踊る時に邪魔にならないように緩めに作られている。
その幼げな表情と色気を放つ衣服のアンバランスな状況に若い兵の視線を独占していた。
こんな所で問題は困るとミキが思っていると、背後から彼女が抱き付いて来た。
スリスリとミキの頬に自分の頬を擦り付けて『自分は彼の物です』と言いたげに甘える。
絶望を味わった様子で若い兵は離れて行った。
いくつかの馬車で荷物の確認などが行われたが、目立った問題が起きた様子は無い。
クックマンも兵たちに小銭も渡すことなく、平和的に解放され通過が許された。
ブライドンの兵たちが通り過ぎるまで街道の脇で止まり見送る。
並んでそれを見るクックマンにミキが声を掛ける。
「数は1千以上だな」
「どう思うミキ?」
「ガギン峠を攻めるなら問題ない規模だろうさ」
「実際は?」
「イットーンを攻めるなら……街に入った時点で終わるな。何か聞かれたか?」
「ああ。イットーンの街の様子を詳しくな」
「何て答えた?」
「『全滅の報告を受けてこぞって娘を売りに来た。おかげで商品を揃えられたから良い商売が出来そうだ』ってな」
「街の……兵の様子とか聞かれなかったか?」
「聞かれたよ。ただ聞かれるまでは言わなかった」
「質問の内容は、兵の数って辺りか?」
「流石だな」
通り過ぎる兵を見送り……ミキはクックマンに頼んで、護衛の数人をイットーンへ向かうよう指示して貰った。もしブライドンの兵に『なぜ戻る?』と聞かれたら『うちの親分が宿屋に嫁に渡す贈り物を忘れたそうなので……』と答えろと命じてある。
大半その手の忘れ物は、部屋を掃除する者が自分の懐にしまってしまう。
それを理解していても人を走らせて宿に戻り問い合わせることはあるからだ。
そんなことをするには訳がある。自分の考えが正しかったか、ミキは確認したかったのだ。
最悪……その可能性は少ないが、ハインハルとブライドンの戦いが長期化すれば、他国が動く可能性だって残っているからだ。
「ミキ~」
「どうした?」
アーチッンまでもう少しと言う場所でクックマンの商隊は休憩していた。
窯も作られちょっとした煮炊きも行われている。
普段から食べ物に目の無いレシアはそれを見つければ窯の傍に居るはずなのだ。だが居なかった。
フワッと染み出る様に現れたと思ったら、レシアは彼の手を引っ張り続ける。
視線で何事かと促してみるが、彼女は頑なに口を開かない。
仕方なく腰に刀を差して、ミキは彼女の案内に従い共に歩き出した。
しばらく歩いていると……前を行くレシアが足を止めた。
それ以上進みたくないと、態度からうかがうことが出来る。
譲られるように前を進むミキはそれを見た。
立木に背を預けて蹲っている男性だ。中年と呼ばれるくらいの年齢に見える。
そして一目で分かる。男性の座って居る地面が濡れているのだ。それは至る場所から流れ落ちる彼の血が作り出す染みだった。
ミキは腰の刀を軽く引いて片膝を着くと、そっと相手の首筋に手を伸ばして脈を診る。
「何か言い残すことは?」
「……。……」
弱々しい脈に生きていることは理解出来た。ダメ元で掛けた声に相手の唇が微かに動いた。
「分かった。……逝くか?」
フッと緩んだ表情から、ミキは微かに頷いた。
「南無八幡大菩薩……御免」
脇差を抜いて迷うことなく一突きで心臓を打つ。
うっと呻き声を発して男は息絶えた。
ミキはざっと相手の様子を確認するが、その服装は狩人か何かの様に見えた。
まず目に入るのは全身には至る所に存在している傷だ。
致命傷に至る傷は無い。全身を傷つけられ、失血死寸前だったのが窺い知れる。
そっと相手の左手に触れてから、彼は立ち上がった。
「レシア」
「はい」
「踊りを」
「……はい」
離れてこちらの様子を見つめていた彼女は、ゆっくりとした足取りで近づいて来た。
脇差の血のりを拭って鞘へと戻し、ミキは視線だけで辺りを確認する。
微かに感じたのは人の気配なのかもしれない。
不用意に動きを大きくすること無く、ミキは彼女の踊りを見つめる。
そして右手の中に在る物を一度だけ確認した。
「ミキ」
「ん」
「どうしますか?」
不安げに向けて来るレシアの視線に、彼は軽い口調で答えた。
「死体はそのままで良い。埋めても化け物が掘り返すしな。金目の物も持っていないし……介錯も供養してやったんだから感謝してくれるだろうさ」
「……ミキ?」
「さあ戻るぞ。飯が出来てるはずだ」
らしくない相手の対応にレシアが面食らっていた。
だが彼は強引に相手の腕を掴んで強引に抱き寄せる。
キスでもするかのように顔を近づけて耳元で囁く。
「誰かが見てる。何も言わずに黙ってろ」
「……」
パクパクと動いた少女の口は現状を理解していないのだろう。
「飯を食ったらお前を抱くかな。ん? 飯の前が良いか?」
「……」
少女の肩を抱きながらクックマンの商隊へ向かい歩く。
悪乗りついでにレシアの尻を撫でてみたら……ビクッと彼女は驚いて跳ねた。
(C) 甲斐八雲