其の弐拾参
「天草?」
ミキも知らない名前に顔を顰める。
どんなに自分の記憶を紐解いてもそんな人物など知らない。
「ああそうだ。天草四郎時貞と申す者だ」
「……申し訳ございません。どんなに思い出しても」
「そうか。ならばお主が死んだ後に出た人物かも知れんな」
それだったら知りようが無い。
変な意味で安心し、だがミキは自分の心にその名を刻んだ。
「その人物は、どのような者で?」
「うむ。何でも西に現れ切支丹共を纏めてファーズンを乗っ取った。それに吉岡の者たちが合流し、両者が手を取り版図を広げている。それだけであったのならば問題は無かった」
砂地の上に落とした盃を拾い老人は息を吐いて砂を飛ばす。
「だが彼らは知ってしまった。聖地に隠されている秘密をだ」
「秘密ですか?」
「ああ。それを解き放ち手にするために動いている」
老人は砂の地図に絵を描き加える。
「西から中央の草原に進出する。その場所にあるのが聖地の入り口だ。だがそれを阻止するように」
『入り口』と書かれた文字を半円の線が覆う。あたかも西からの壁のようにそれは書かれた。
「ある馬鹿者が作った壁があってな……西の者からは『壁の国』とも呼ばれている」
「……あの石垣でしょうか?」
「見たのか?」
「はい。チラリと」
「……」
ため息を吐いた老人は懐から白い紙と筆を取り出すと、スラスラと何かしたためてそれを折る。折って伸ばして開いて折って……作り出した紙の鶴を手の平に乗せて天へと向ける。
フワフワと飛び上がったそれはクルッとミキたちの上空を一周すると、北西の方へ飛んで行った。
「お前たちに甘すぎる馬鹿者が居るらしい。少し叱るように言っておいた」
「……少しでは無くてガツッと叱っておいて貰いたかったです!」
黙って聞いていたレシアが何故か力説すると、またミキに擦り寄り甘えだす。
彼も老人もとりあえず放置しておいた。
「まあそれを知っているのなら隠す意味もない。この地に砦と言うか城を築いてファーズンの侵攻を止める手はずになっている」
「どうしてでしょうか?」
「それだけ聖地に眠っているモノが厄介なのだ」
老人は自分の頭を撫でた。
「儂の話……儂が聖地に行ったまでの話に嘘はない。そこであれを若返らせて子を作った。それも嘘ではない。だがお国の死因は別にある。否……あれは今も死んでいないのかもしれない」
「それはどう言う意味でしょうか?」
「捕らわれているのだよ。あの亡者たちの支配者である存在に」
「支配者?」
鼻で笑い老人は頬杖を突く。
「閻魔じゃよ」
「……それは厄介にございますな」
「ああ。厄介だ。だから儂は考えた。お国を救い出して共に死する方法をな」
ジロリと老人は改めてミキを見る。
その品定めのような視線に彼もまた笑って応じる。
「自分はただこれを護るだけです」
「分かっとる。だが巫女である以上……時が来れば向かい合わなければならない」
「仮に逃げたら?」
「大陸に住む全ての者が死に絶えるだけじゃ。そしてここは亡者の住まう場所になる」
「またご冗談ですか?」
「生憎と事実だ」
苦々しい表情で笑い老人は頭を振った。
「だがファーズンの馬鹿共は閻魔を敵として討とうとしている。本心は知らんがな」
「もしそうなれば?」
「言う必要はあるか? 若いのが考えている通りだ」
老人は顎でレシアの足の上の存在を示す。
「その馬鹿鳥が多少の亡者共なら喰らい浄化することも出来るが、閻魔が出て来れば誰にも止められない。この地は全てを飲み込まれてしまうだろう」
「……それでお国殿は?」
「答えを急ぐな若いの」
ただ老人も自分の話が長いと気付き苦笑する。
「巫女として閻魔の現出を封じようとした。だが寿命がな……無理をして若返ったのが仇となった。だからあれは自分の身を賭して閻魔が来るのを抑え込んだ。変わりに中央草原に空飛ぶ大トカゲが残ってしまったがな」
「あれは?」
「閻魔の愛玩動物だ」
愛玩動物に殺されかけた身としては、ミキとしては相手の脅威を計り知れた。
あれを飼える相手が地上に出ようものなら間違いなくこの世の終わりだろう。
「それでご老人はどんな企みを?」
「……娘っ子が閻魔と相対している隙にお国を救い出す」
「その後は?」
「聞くな……儂らはもう十分に生きた。それだけだ」
「そうですか」
ミキはそっと甘え飽きて寝ているレシアの頭を撫でた。
自分がこの世界へと来たことで、彼女が大きな宿命を背負ってしまったらしい事実に胸が苦しくなる。
「ご老人」
「何じゃ?」
「……自分は何をすれば良いんでしょうか?」
「変わらんよ。その娘っ子を愛しているのなら死ぬ気で護るだけだ。違うか?」
「……そうですね」
最初から変わらない決定事項だ。
愛した者を命を賭して護る……どうしてそのことを変えられようか。
「むに? ……お話終わりましたか?」
「話は終わったぞ。ただ見せられた幻と言うかあの村や亡者たちの意味を聞いていない」
「あ~。そうですね。お爺さん。あれは何なんですか?」
二人の視線を受けた老人はツルッと頭を撫でた。
「ああ。ただの悪戯で儂の趣味だ」
笑顔で頷いたレシアは、足で座り寝ている鳥を掴んで老人に向かい投げつけた。
(C) 甲斐八雲




