其の陸
『ずいぶんと遅くまでレシアを叱ってしまったな』と内心反省する。
自分も酔っていたのが悪いのだが、まだまだ修行が足らないと彼は痛感した。
修行と言えば、義父は鍛錬の妨げになると『女遊びなどしていない』とことあるごとに言っていた。
気づけば違った意味で現在義父より困難な修行をしている。
魅力の塊でしかない異性を横に置いての禁欲生活……これほど辛い修行などそうは無い。
それを自覚してベッドで横になった時は、流石のレシアも彼に背を向けて横になった。
怒っているのは様子からして良く解る。
寝て起きてから相手の気分次第で謝ろうとミキは決めた。
不意に感じた気配にミキは目を覚ました。だが相手の動きの方が早かった。
「……何がしたい?」
「あれです! 起きて気付きました。何で私はあんなに怒られないといけなかったんですか!」
胸の上に座り馬乗り状態となった彼女は、プリプリと怒っていた。
『今更だな』と心底彼は思う。
「もうミキは怒り過ぎなのです!」
「……そうだな」
「……そう素直に認められると困るんですけど」
『ならどうしろと言うんだ?』と気持ちが表情に出てしまった。
あわあわと慌てた様子で、レシアは彼の胸の上で飛び跳ねる。ベッドの作りが良いせいもあってそれほど重さが苦にはならない。
ただもう少し"恥じらい"を覚えて欲しい。
「あれです。私だって……えっと……少しは頑張ってるんです」
「何を?」
「……あれです。あれ」
言葉が出てこないと言うか、その言葉を知らない様子に見えた。
ただ伝えたいことは何と無くだが解る。
それだけにミキとしてはそれを許しても良いのか悩んでしまう。彼女としては、自分なりに『恥じらい』を学んでいると言い張っているのだ。
「まあ良い。お前は頑張ってると言うんだよな?」
「そうです」
「これからも頑張るんだな?」
「もちろんです」
「なら頑張れ」
どうにか腕を引き抜き、相手の頭を撫でる。
突然のことで一瞬キョトンとした表情を見せるレシアだったが……頭を撫でられていることと、何より相手に『頑張れ』と言われたことが本当に嬉しかった。
だからその顔に満面の笑みを浮かべ、その身を前のめりに倒して彼にキスをした。
「朝の分を忘れてました」
「そうか……もう昼ぐらいの時間に見えるけどな」
「ミキが怒り過ぎたせいです」
「そうだな」
間近にある彼女の少し怒った様子の顔に、その頬に手を当てた。
つやつやできめの細かい肌は、触ると心地良さすら感じられる。いつまでも触っていたくなるほどだ。
「とりあえず退いてくれないか」
「……重たいですか?」
「いや。腹が減った」
「そうですね。ご飯に行きましょう」
幸せそうにパンを齧っている相手をそっとしておき、ミキは軽く頭を掻きながら現状の把握に努めた。
今朝方……早馬が到着したのだ。それが伝えた報告は、『討伐隊の全滅』だった。
どうやらミキの考えは正解だったらしい。
昨夜のうちに"商品"を売り抜いていたクックマンはホクホク顔だ。
それ以外の旅商人たちは慌てて売りに走ったが、街の商人たちは買い取りを拒否した。
何せ正規兵が400人近くも殺されたのだ。その中には兵を指揮する将なども居ただろう。
『働き手を失った家族はどうなるのか?』
自身も奴隷同様の生活を送って来たミキは良く理解していた。
大黒柱であった"夫"を失った妻が、まず最初に売るのは……"娘"だ。
息子は将来の働き手として残す。だが娘は嫁ぐ以外に行き先が無い。
だからこそ最も最初に売られるべき"商品"なのだ。
食堂のテーブル席で食事をしながら、ミキは店の外の様子に目を向けていた。
現在イットーンの街で最も高値で買い物が出来る商人はクックマンだろう。
そして売る方の身としては、少しでも高く売ろうと彼の元へと押し寄せて来る。
当たり前だが……クックマンとて全てを買い取る金は無いし、人間を受け入れられる規模も無い。
待ったなしの早いもの勝負だ。
「ミキ」
「ん?」
「どうしてそんな嫌な顔をしているのですか?」
「……人の一生って、ぞんざい安い物なんだなって思ってな」
「そうですね。でも私もミキも"奴隷"でしたよ?」
「俺は違うけどな。でもまあ……そうだな。奴隷になることが悪いとは言わないさ」
「なら何ですか?」
「……お前は好きでもない相手の元に売られるのは耐えられるのか?」
パンを齧る手を止めてレシアはその首をゆっくりと傾けた。
「分かりません。私の場合……幸運にもミキの"物"になりましたから」
「そうか」
言って彼はまた視線を見せの外へと向け直した。
「なあレシア」
「はい?」
「確かに俺はお前を受け取った。でも……立場上所有者になったとは言え、お前のことを"所有"している思っていない。たまに物扱いはしているけどな」
「んぐぐ! ……ならミキは私のことをどう思っているんですか?」
恐る恐ると言った様子で彼女はそう質問をする。
聞きたくも無い答えが返ってくるかもしれないと恐怖を感じながら。
「俺と同じだよ。解放奴隷とでも思ってろ」
「私は解放されたのですか?」
「ああ。だから誰かに俺たちの関係を聞かれたら、お前の好きに答えれば良い」
「好きにですか? こ、恋人とか言っても良いんですか?」
「構わんよ」
彼は見ていないが、現状レシアの表情は幸せ過ぎて蕩けていた。
「ならミキが誰かに聞かれたら何と答えるのですか?」
「……」
その質問の答えをミキは準備していなかった。
だから一度中空を見つめて……答えを決めた。
「"婚約者"と言うよ」
(C) 甲斐八雲