其の拾玖
「まだ見つからないのかっ!」
「申し訳ございません」
静かに頭を垂れて来る部下に手にしていた盃を投げつける。
力み過ぎた投擲の結果は、あらぬ方向へ飛んで行くことだった。
椅子に座り激しく膝を揺らす人物……ホルオスは、襲撃を受けた日から安心して寝れなくなった。
またどこかに連れ攫われ、今度こそ殺されるのではないかと思い不安になる。
「あの踊り子の行方はっ!」
「はい。給金を貰い店を出てから見つかっておりません。たぶんもう街を出たかと」
「確証は無いのであろう! ならば探せっ!」
「ですがホルオス様。その娘が手伝ったという確証も」
「煩い黙れっ! 勘が告げているのだっ! この私の勘が彼女は仲間だとなっ! 良いから探せっ!」
「……はい」
上司の余りの無能っぷりに、部下の男は内心で肩を竦めた。
運とコネと汚れ仕事だけで今の地位にやって来た男だ。所詮はこの程度なのだろう。
国王となった者が仲間だったから宰相の椅子に座ることが出来たのだ。
必要が無くなればあっさりとその首くらい飛ぶ。地位もそうだが、物理的にその胴体から上もだ。
一礼して部屋を出た部下は、先の長くなさそうな上司を見てもう一度息を吐いた。
あんな者を上司とするくらいなら……思い頭を振る。
歩きながら、彼の思考は自身の奥へと埋没して行く。
たぶん最初に仕えた主人が良すぎたのだ。
仕事は出来たし、部下想いだった。何よりその交渉術でどれほどの富をこの国にもたらせたか分からない。
マルトーロとの軍事同盟を締結させたのも彼の手腕だ。
優秀な人だった。そんな彼が何故あんな路地裏で暗殺の憂き目にあったのか……。
「優秀過ぎるのも良し悪しだったのかもしれないな」
「済まんな。恩に着る」
「ホル」
「言うな。その男はもう死んだ」
「……」
兄の店で働いていた男に礼を言い、老人は街の路地を歩く。
下働きを専門にしている彼は、現在とある大臣の屋敷で働いている。
若造を躍らせた結果……襲撃を恐れた国の者たちが、式典の日時を国民に通達しない事態となっていた。
『準備が整い次第にやる』
いい加減なホルオスらしい考えだ。
ニヤリと笑って老人は路地を歩く。
式典の準備が滞りなく進んでいるのは、今の会話から十分に拾えた。
規模などを考えると……二~三日中には行われるであろうことは安易に予想出来た。
本当に無能な男だ。
(だが良い。あくまで目標は国王だ)
老人は軽く胸を押さえて息を正した。
緊張か興奮か……胸の鼓動が激しくなっただけでズキッと痛みが走ったのだ。
間違いなくもう限界も近いのであろう。それでも良い。
(後は式典の最中にどれだけ頑張れるかだ)
老人はよろける足をパシッと叩き、また姿を隠すために路地裏へと消えて行った。
「明日みたいですよ」
「……」
「何ですか?」
「お前が居ると必死に情報を集める者が浮かばれないと思ってな」
嘆息気味に息を吐いて、ミキはとりあえず式典の日時を知った。
彼の言葉に不満気味のレシアは、『とうっ』と声を発してミキの腕に抱き付き甘える。
なんてことは無い。
国の建物に歩いて入って行ったレシアが、人々の会話からその事実を拾って来たのだ。
シャーマンの御業を用いれば、この様なことは朝飯前の簡単な散歩だ。
「ミキ」
「何だ?」
「ご飯の前に……良いですか?」
「分かった。行こう」
暇さえあれば日に一~二度は、彼女の母親の墓に出向いている。そこでレシアは踊りの練習をしているのだ。
静かな墓場でその様な行為は不謹慎に見られる。
だが彼女の舞はただ静かに美しい。
誰もが一目見て……気づけば涙を溢して見入ってしまう。
鎮魂の舞。
彼女の清らかで優しい気持ちを体現したそれに……見た者の心が鷲掴みにされてしまう。
だからミキは寝たふりをして見ないようにしている。
自分の中に眠る感情をほじくり返されたくないからだ。
喪った者を思い返すほど辛い物は無い。
それも自分が蒔いた種だけにだ。
上機嫌で前を歩く彼女の背を見つめ……ミキはふと思った。
こんな風に"彼女"の背中を、後ろ姿を眺めたことがほとんどない事実をだ。
いつも控えめに一歩後ろを歩いていた彼女だからこそだ。
ピクッと頭を軽く動かし、クルッと振り返ったレシアは迷うことなく抱き付いて来た。
「どうした?」
「へへへ……ミキを独り占めです」
「離せ。歩きにくい」
「ああっ! ……ミキは意地悪さんです」
『ん~』と喉を鳴らして甘えて来る彼女を邪険に出来ず、せめて抱き付く場所を左腕へと促すと迷うことなく応じる。
改めて左腕に抱き付いたレシアは……そっとその体を相手に寄せた。
「ミキ」
「何だ?」
「寂しいのならそう言ってくださいね。私だってミキが泣きたい時に膝を貸すぐらいは出来るんですから」
「……そうか」
「はい」
もう一度彼の腕に体を力いっぱい抱き付かせ、レシアは傾けた頭で相手の腕を擦り付ける。
こちらの気配を察して変な気遣いをさせたことぐらい相手の様子からも分かる。
分かるが……現状寂しさを抱えているのは相手の方だ。
「なら甘えさせて貰おうかな」
「良いですよ」
だから少しからかいたくなった。
「なら今夜少し貸して貰うかな」
「どうぞ」
「……その胸の谷間でも」
「うおっと……ミキ? 冗談ですよね?」
「膝以外はダメか?」
「……ミキが言うなら」
顔を真っ赤にしてプルプルと震える彼女の頭を撫でる。
「無駄な肉に挟まれて窒息したくないから止めておこう」
「ミ~キ~っ!」
寸前の差で彼女の拘束から腕を引き抜いて、ミキは駆けて逃げる。
それを怒ったレシアが追いかけるのは言うまでもない。
(C) 甲斐八雲




