其の肆
両腕に布を抱きしめたレシアは、ホクホク顔で上機嫌だ。
ただ彼女が選ぶ色は、基本原色系だ。
白、赤、青、黄などをこれでもかと確認して購入した。
「なあレシア?」
「はい」
「お前ってどうして黒を買わないんだ?」
「ん~。別に嫌いって訳じゃ無いんですよ? ただ私の目に見える黒って嫌な気配が多いんです。それを着ていると呼んでしまいそうで……」
「どこに行っても黒はそんな物か」
「はい?」
「気にするな」
ポンポンと頭を撫でてやり、どこかで食事でもするか否かで悩んでいると……彼女が足を止めた。
「……たぶん喧嘩です」
「そうか」
「複数の人が一人を……」
本当にどんな耳をしているのかと思うが、それはそれで結構な雑音を拾うから大変らしい。
それでも普通に生活が出来るのは、雑音を気にしない性格の持ち主だからとも言えなくない。
「あっ子供です。子供の喧嘩です」
「子供が複数で喧嘩するなんてな……」
大人の喧嘩だったら通り過ぎていただろう。だが子供の喧嘩なら話は別だ。
彼女が路地裏の方へ顔を向けているおかげで大体の場所が解る。
まだ手足に痛みを抱えているレシアにはゆっくりと来るように伝え、ミキは一足先に駆けた。
「……だよっ!」
「やっちゃえやっちゃえ」
確かに三人の子供が同じくらいの背格好の少年を足蹴にしていた。
ただやられている方を見て、ミキは微かに笑みを浮かべる。
「何してるんだ?」
「やっべ。大人だ」
「関係無いだろ? あっち行けよ」
「そうだそうだ」
どうも主犯格の少年は命じているだけで、一番体格の良い子が実行役。もう一人が応援係らしい。
「そうか。なら無関係な男がここで暴れても……問題無いよな?」
「「「……」」」
腰の物に手を当てただけで、少年たちは震え上がって縮み上がる。
「あっちに行け」
『うわ~』っと声を残して少年たちは逃げ出した。
その背を見送り、ミキはしゃがみ込み蹲っている少年に歩み寄る。
「誰に習った?」
「……」
「確実に頭と顔を護るその構えだ」
「……知り合いに」
「余程喧嘩慣れした知り合いなんだろうな」
的確に腕で頭と顔を護っている少年の構えには隙がない。
無手の喧嘩なら余程のことが無ければ大事には至らないはずだ。
それでも少年の手足には擦り傷が、顔は鼻血で汚れていた。
「立てるか?」
「はい」
「ミキ~。終わりましたか?」
「ああ」
「うわ~。ボロボロです。でも今の私だったらその手足にだって負けません」
「全く自慢にならんな」
手を伸ばし立ち上がらせた少年が、大きくよろめく。
立った瞬間、右足首を庇っている様子が見て取れたが……ミキはしゃがんで確認する。
「痛てっ!」
「骨の類は無事そうだ。逃げる時に捻ったか?」
「分からない」
「そうか。だから座って相手の気が済むまで殴らせていたんだな?」
「……」
どこか恥ずかしそうな表情を見せるのは、負けた姿を褒められている複雑な心境を表しているのかもしれない。
クスッと笑いミキは彼の頭を撫でてやった。
「家は何処だ?」
「えっ?」
「歩いて帰れないだろう?」
「でも……」
「子供が遠慮なんてするな。そこの連れなんて、その齢で遠慮など忘れて俺に背負えと頼み込んで来るぞ?」
「頼み込んではいませんっ!」
「ほら」
しゃがんで背を見せると、少年が恥ずかしそうに抱き付いて来た。
「家は?」
「川の向こうです」
「そうか。お前の名は?」
「タインです」
「タインか。俺はミキ。そっちはレシアだ」
「あっはい。ありがとうございます」
「良いよ。今日はただの気まぐれだ」
一方的に強者に打ちのめされている姿が、遠い昔の自分の姿と重なり無視出来なかっただけだ。
「この馬鹿たれが~っ!」
拳骨を食らった少年が吹っ飛んで地面を転がる。
それにしても綺麗な受け身だ。
「またザジーリーんとこのガキにやられたのか?」
「……」
「いつも言ってるだろうがっ! 男だったら百回殴り返して来いって! 喧嘩に負けた挙句に旅の人に運んでもらうだなんて……父ちゃん悲しくて涙も出てきやしねえっ!」
追い打ちとばかりに父親の雷が落ちた。
少年の案内で辿り着いた彼の家は、大きな仕事場だった。
チラッと見ると布を作っている様に見える。規模としては本当に立派な部類だ。
「ったく……旅の人。本当にうちの馬鹿息子が」
「いいえ。ただの気まぐれです」
「はあ……」
「ただ必死にやり返さないで受け止めていた姿に、昔の自分を思い出して仲裁に入っただけですよ」
「そうですか」
好奇心の虫を見せたレシアが勝手しない様に後ろ手で捕まえ、ミキは改めて相手を見た。
逃げ出そうとしている息子を後ろ手に捕まえる父親は、ずいぶんと体格の良い男だ。
武器でも持たせれば兵士にも見られそうなほど立派な筋肉が見える。
「職人さんで?」
「ああ。ここで糸の色染めと布作りをしているタハイと言います」
「色染めですか」
その言葉にレシアがビクッと震えるのを掴む腕から感じ取った。
昨日痛い目を見たことを思い出したのだろう。
と、やはり気になった。
「ところでタハイさん? 一つ聞きたいんだが……」
「何でしょうか?」
「あっちから木の棒を掲げて走って来る女性は?」
「へっ?」
振り返ったタハイもその姿が見えた。
「このクソ親父っ! またタインを殴ったわねっ!」
とても綺麗な上段からの振り下ろしが……タハイの脳天を直撃した。
(C) 甲斐八雲




