其の拾漆
夜営している馬車から遠く離れた小川のほとり……その場所に二人は居た。
上半身裸で身を清めているレシアと、そんな彼女に背を向けて夜空を見上げるミキだ。
満天の星空と煌々と灯る月。
照明など必要としないほど辺りは明るい。
「だからあれです。ミキはもう少し私の性格を分かってくれるべきです」
「ほう。つまり何が言いたい」
「……焚火の前で踊れば汗なんかいっぱい出るんですから、その前に止めて下さい」
「ならお前は踊りたい気分になってる時に『踊るな』と言われたら踊らないんだな?」
「そんなの無理に決まってます。踊りたい時に踊るのがシャーマンです」
「全てのシャーマンがそうだとは限らないだろう?」
「きっとそうです! シャーマンは皆そうです!」
レシア以外に出会ったシャーマンは、ハインハルで出会ったラーニャだけだ。
彼女は分別をわきまえたごく普通の女性だった。
今頃レシアが育った村で平和に暮らしているはずだが。
それ以外にシャーマンと呼ばれる人物とは出会っていない。
大陸の東には余り住んでいないのか、それとも身を隠しているのか……忌み嫌われる傾向があるだけにどっちとも考えられるが。
そもそもミキはシャーマンについてあまり詳しくない。
一応レシアから話を聞いているが、今までの様子からその言葉をどこまで信じて良いのか怪しい所だ。
何より彼女が知っているのはシャーマンとしての生き方だけだ。
「なあレシア?」
「はい?」
「シャーマンって生まれながらに成れるのか?」
「……さあ?」
分かっていた返答にミキはため息を吐く。
こんな具合だ。だから彼女に聞いても意味を成さない。
「ならそっちに聞くか。シャーマンってどうすれば成れるんだ?」
「……」
「気づいてるよ。シャーマンの御業も実は簡単な方法で見抜けるんだ。知ってたか?」
「そうなんですかっ!」
「お前は黙ってろ」
「……はい」
バシャバシャと水の音がしたが、まあとりあえず平気だろうと判断し、ミキは"よっ"と声を発して立ち上がると馬車の方から来た相手を見る。
「悪いことをすると自然から嫌われて御業は使えないと聞いたんだがな?」
「……それはシャーマンだけだ。この業は生来我らの物。力無きシャーマンは自然から力を借りて使っているが、我らはそんな助けなど要らない」
「そうか。で、目当てはレシアか?」
「分かっているなら素直に引き渡せ。さもなければ」
「ひっ……助けて……」
幼い少女の首筋にナイフを突き付けるのは……その子の母親と思っていた女性だ。
「逃げたのは三人と聞いたがな」
「……猟犬たちと会っていたのか?」
「知らずに仕掛けたのか? だから足元をすくわれる」
「……っ!」
「いっ……」
犬歯をむき出しにして女性は少女にナイフを向ける。
やれやれと肩を竦めたミキは、相手から僅かに視線をずらしてその背後を見た。
「あとは宜しく」
「!?」
ハッと振り返った女性は、その場に誰も居ないことを知る。
その隙にミキはレシアの元へ飛び、懐からナイフを抜いた。
「だからさ……見え見えなんだよ」
「っ!」
あたふたと服を着ていたレシアの横を過ぎたナイフが、彼女の背後に迫っていた者の眉間に刺さる。
ビクッと全身を震わせ……それでもレシアに手を伸ばす姿勢は見事だ。
愛しい人の腕を掴んで抱き寄せ、腰の後ろから引き抜いた十手で相手の喉を打つ。
ボキッと何かが砕ける感触を残し、襲撃者は地面に伏した。
「こっちは老婆と共に居た女か。ならもう一人隠れているのか?」
「……」
「まあ良い。どっちにしろお前の敵は俺だ。相手をしろ」
「人如きが我らに勝てるとでもっ!」
「今しがた一匹死んだのを見ていなかったのか? この"犬"が」
「っ!」
捕らえていた少女を突き放し、女性が突進して来る。
ミキは軽くレシアの額に唇を這わせてから彼女を離した。
ギンッ!
相手が突き出したナイフを十手で弾く。
と、もう片方の手で掴んだ十手を女性の顔面目掛けて繰り出す。
フッと目の前に居た相手が消える。
ミキは軽く視線を地面に向けて、体ごと右を向いた。
「なっ」
「だから言ったろう?」
振りかぶったナイフを降ろそうとしていた女性と目が合う。
左の十手でナイフを受け、刃を十手の突起……鉤に絡める。
「見え見えなんだよ」
「ぐわぁ~っ!」
女性の顔が醜く崩れ人とは思えない形へと変わりだす。
人狼……西洋では有名な化け物だが、生粋の日ノ本の民たるミキは知らない。
彼の目からすればそれは恐ろしい化け物なのでは無く、レシアとの旅の妨げになるただの敵だ。
犬の様に突き出した口が耳まで裂け、それを大きく広げて噛みつこうとする。
恐ろしいまでに冷静な彼は、相手の口に……下から思いっきり十手を突き上げた。
ガチンッ!
下顎を突かれ、上下の口を強制的に閉じられた相手は、牙と鮮血を溢れ出す。
それでも襲いかかって来るのだから、その闘争本能は本物なのだろう。
ミキは後方に退き十手を腰の後ろへと戻す。そして左の腰に手を当てた。
「浪人、宮本三木之助玄刻」
「ガァッ……グゥルルゥ」
「人の言葉は操れぬか」
それならば致し方ない。
ミキは静かに刀を抜いた。
「南無八幡大菩薩。……化け物は死んだら何処へ行くのだろうな?」
(C) 甲斐八雲