其の拾陸
レシアが騒いだお蔭で馬車の中は和気あいあいとした空気に満たされる。
誰かが持っている食べ物を皆に提供すると、それに続いて他の者も提供する。
気づけば馬車の中は簡単な食事をしながらお喋りをする場と化していた。
本来お喋りを得意としないミキはその手のことはレシアに一任し『護衛をしておかないと』と言って馬車の後部の出入り口へ移動した。
その場で立って外の様子を見ているのだ。
だがそんな彼の動きを苦々しく見ている者が居た。
レシアを奪い逃れようとしていた"過激派"と呼ばれる部類に属していた者だ。
見張りと称して立って居る彼のお蔭で、目標足る"巫女"を抱きかかえて馬車の外に逃げ出すことが出来なくなってしまった。
残りは出口と呼ぶには小さすぎる窓だけだ。
行動を起こしたいが、失敗すれば終わりだと理解している。
次に何かしらミスをすれば、"穏健派"の猟犬たちが自分たちの首を食いちぎるのは間違いない。
そもそも穏健派共の考えが気に食わない。
あれだけの力を持ってシャーマン如きに従う姿勢が。
自分たちの祖先が持っていた御業を彼女らに教え、共に生きて来たのはまだ許せる。
そうしなければ人とは違う自分たちは人に狩られ、そして女だけの彼女らも男たちの暴力に屈し蹂躙されてしまう。
互いに痛い部分があるだけに支え合って生きて来たことは悪いとは思えない。
それでも……あの場所を、"聖地"を、外敵から守って来た自負が彼女たちにはあった。
命を賭して守って来たのは間違いなく"人狼"たる自分たちだ。
それを数十年前に現れた"人の雄"にその立場を奪われてしまった。
彼は『聖地を護る』と言ってシャーマンたちを惑わし、最も才能を持っていた娘を娶ったのだ。
人狼たちは護りの中心から追いやられ、代わりに雄の"仲間"と称する者たちが我が物顔で歩き回る。
耐えられなかった。
聖地はそもそも雄を受け入れたりしない場所だったはずだ。
その禁を破り、人狼を廃するシャーマンたちに対して不満が高ぶるのは必然だった。
『憎い』
ギロッと本能が溢れ出てしまいそうなほど出口の雄を睨み、人狼は怒気を高める。
自分たちに残されているのは、巫女を奪い支配することで聖地から人狼以外を追いやることだ。
後のことは後で考えれば良い。今をどうするかが重要なのだ。
『憎い』
奥歯をきつく噛み締めて、ジッと見つめる。
軽く頭を振った雄がゆっくりとした動きで馬車の中を見た。
(こうも露骨に視線を向けて来るとか……馬鹿か?)
呆れつつも標的の様子を確認して、ミキはレシアを見る。
勧められるままに食べ物を頬張っている彼女は、自分が太ったと言う事実を忘れているのかもしれない。
ある意味いつも通りだが本当に成長が無い。
(まっいいか。今度からはしばらく歩きだ。……荷物を多く背負わせてやろう)
心の中で悪だくみをしつつ、ミキは視線を外に向けた。
遠くでこちらを追う獣の姿が見える。
レシアが危険と判断したら助けに入る気なのだろう。
その時自分の身はどうなるのか?
考えたミキは自然と口元に笑みを浮かべていた。
(面白いな。だがこの宮本三木之助玄刻を愚弄し過ぎだ。本当に)
怒りの余り、はらわたが煮えくり返りそうな怒気を……彼はどうにか抑え込んだ。
日が西に傾いた頃、馬車は街道を外れてちょっとした広場で停まる。
今夜はこの場所で一晩過ごすのだ。
乗客も手伝い夜営の支度を進める。
「貴重品などは馬車の中に入れてください。手放したくない物は個人で持ってても構いません」
全ての窓は内側から木戸を閉じ、唯一の出入り口である扉には南京錠の様な物が二つ掛けられる。
鍵は御者が一つと焚火の前に置かれた陶器の器の中に一つ。合計二つの鍵を使わないと開けられない。
御者が持つだけなら夜分に荷を漁るなど出来るが、焚火の前にある鍵は皆が見ている。
それもそのはず……天幕などは立てず、各々防寒用の毛皮に包まり焚火の回りを囲っているからだ。
食事は各々の負担なので各自が食べ物を持ち寄り煮炊きなどを始める。
ミキたちは調理に加わらず食材を提供する方へと回った。
女たちが掻き混ぜる鍋から離れないレシアを他所に、ミキは御者が焚火を中心にして何やら液体を撒いているのに気付いた。興味を覚えて近づく。
「それは何だ? 臭うが」
「これは狼の小便です」
「……何のために撒くんだ?」
「これを撒いとくと、動物なんかは狼の縄張りだと思い込んで寄って来ないんですよ」
「そんな物か」
「あはは。この国に住む住人の知恵です」
その作業の様子をしばらく見つめ、ミキは御者と共に焚火へと戻る。
出来上がった食事を頂き、あとはいつも通り空腹を満たして幸せ気分なレシアが焚火の前で踊りだす。
彼女は火を見ると気分が向上するのか良く踊る傾向がある。
本人が楽しそうにしているからミキは何も言わずに眺めて居た。
こんな水場から遠い場所であんなに汗をかいて……どうやって身を清めるのか興味を覚えつつ。
案の定何も考えていなかった彼女は、泣きながら彼に助けを求めた。
(C) 甲斐八雲




