其の弐拾漆
構えたボウの簡易的な標準の先から、白い塊が嘲り笑う様にして逃れる。
ディッグは舌打ちをしながら場所を移ろうとして足を止めた。
横合いから飛んで来た矢に気づいて体を返して回避する。
一般的な弓を構えた化け物に狙いを定めて矢を放つと、グリラの眉間に鋭く刺さり鮮血を溢れさせた。
これで残り二匹。
物陰に体を押し込み急いでボウの準備をする。
弦を引いてフックに引っ掛け矢を番う。
彼が用いているのは、トリガーと引き金と呼ばれる部分を引けば弦を押さえるフックが外れ、矢が放たれるタイプのボウである。
作りは簡単であるが毎日手入れをしなければいけないので今使う者は少ない。
それでも彼は毎日の手入れを怠らず、それを用いて数多くの獲物を討ち取った相棒だ。
突然の接敵となっても彼は常に戦える状態であった。
だがそんな攻撃を白いグリラは、全てを回避し続けている。ボウを構える姿を見せるだけで大袈裟とも思える動きで回避して距離を開けるのだ。
ディッグの攻撃する姿勢を覚えているのだろう。
把握した現状を再確認した熟練狩人は、舌打ちをして今居る場所から飛び出す。
飛んで来た矢が彼の居た場所を射抜いていた。
思っていた以上に厄介な敵だった。
白い傷有りが護衛代わりに連れていたグリラは両方とも弓を扱って来る。
その腕前は素人染みた酷い物だが、化け物特有の身体能力でそれを補って余るのだ。
熟練の狩人を思わせるタイミングで攻撃して来る相手に、ディックは完全に手を焼いていた。
立木に背中を預けて呼吸を整える。
視界の隅でチラチラとこちらを伺う白い傷有りの存在が腹立たしくてならないが、相手が誘っていると分かっていて行動するのは馬鹿者のすることだと……ディッグは自分に言い聞かせて堪えた。
本当に昔の自分を相手にしている様で頭に来るが、だがそれは敵の考えが筒抜けと言えるので対処のしやすさがある。
圧倒的な数の不利でも戦い続けられているのはそれが要因だ。
フッと息を吐いたディッグは転がる様に飛び出し、ボウを構えた。
自分に向かい矢を放ったグリラが棒立ちになって居るのを見て、好戦的な笑みを浮かべて引き金を引く。
ビンッとフックから外れた弦が矢を押し出し、グリラの眉間に吸い込まれた。
ディッグの矢は普通の物よりも太く射程は短い。
自分の安全よりも相手を殺傷することに重きを置いた武器なのだ。
と……左肩に衝撃を覚えて、ディッグはたたらを踏んだ。
痛いというよりも熱いという感覚。チラリと向けた視線には突き刺さる矢が見て取れた。
何故? 弓を持ったグリラは全て撃ち殺したはずだと、矢が飛んできた方に目を向ければ……白いグリラが弓を握ってしたり顔で笑っていた。
謀られた。最初から弓を持っていなかったから勝手に扱えないと思い込んでしまったのだ。
痛みに顔を歪めながらボウに矢を番えようとして、左手で持った矢を取り落とす。
激痛に左手が動かない。手が痺れて止まらない。
そんな老いた老人の姿を見つめ、その口をニタッと開き笑うグリラは……手に持った弓を投げ出してゆっくりと歩き出す。その動きは勝利を確信した余裕のある歩みだ。
これから一方的に殺してやろうという意思がハッキリと伺える。
相手と向かい合う様に体を動かし、ディッグは正面から白いグリラを見据えた。
今にして思えば……相手はこちらを殺したいほど恨んでいるはずだと気付いた。
子供が単独で行動しているなど生き物である以上考えられない。ならあの日撃ち殺した化け物の中に親が居たことぐらい容易に想像出来る。
きっと復讐の暗い気持ちを抱えて生きて来たのだろう。
(儂は……自分のことばかり考えて周りが全く見えて無かったのだな)
苦笑に顔を歪めて、ディッグはそれでもまた左手で矢を握る。
自分は狩人だ。だから最後まで狩る者として意地だけは見せたい。何より簡単に諦めたくなどない。死にたくないのだから……最後まで足掻いてやると。
苦痛に対してきつく唇を噛み締め、ディッグは相手を睨み続けた。
「お爺ちゃん!」
その声にディッグとグリラは弾かれたように顔を動かした。
走りながらボウを構えている少女……カロンの姿に両者はそれぞれ反応する。
ディッグは迷わず少女の方へと走り、グリラは射線軸から逃れようと大きく飛び退る。
それぞれの反応は、それぞれの答えを導く。
カロンを抱きしめたディッグは、少女の持つボウに矢が番えられていないことに気づいていた。
そして矢が飛んで来ないことに不思議がったグリラは、自分が騙されたことに気づいた。
怒りに任せてグリラは、地面に足が着くなり全力で二人の元へと走り出す。
その様子に少女の表情が恐怖で歪むが、ディッグは彼女が持つボウに矢を置いた。
ビンッと引き金が押されるとフックが外れて矢が飛ぶ。
「ぴぃぎぃいっ!」
右目に深く矢を刺したグリラは……顔面を赤く染めて動きを止めた。
「馬鹿者が。何故来た」
「うん。でも……」
老人に抱き締められた少女は、その顔を涙で濡らしている。
その顔を相手に向けて……大きく鼻を啜る。
「お爺ちゃんに……死んで欲しくないから」
「……儂もだよ」
偽りのない言葉が二人の口からこぼれていた。
(C) 甲斐八雲




