其の弐拾参
全身から汗を滴らせ、レシアはカロンを抱え村へと戻った。
いつもながらに酷いことをサラッと言う彼であるが、今回のは本当に酷い。酷過ぎる。
昨日は子供欲しさにキスを求めてやんわりと断られた。あれも酷い。
『今回はこんなに頑張ったのだからいっぱいキスをして貰います』と心に誓い、レシアはようやくカロンを放した。
地面に足を降ろした彼女は、とととっとたたらを踏んで動きを止めた。
ゆっくりと辺りを見渡して、その青い顔をレシアに向けた。
「助けに行かないと!」
「でも……」
「だって二人だけじゃ!」
少女の言いたいことは分かっている。
グリラの群れを前に残った二人の身を案じているのだ。
だがレシアは彼に絶対の信頼を寄せている。必ず帰って来ると信じているのだ。
そっと少女の眼を見つめ、レシアは身を屈めた。
「大丈夫です。あの二人は帰って来ます」
「本当に?」
「……」
念を押されると言葉に詰まってしまう。嘘を嫌う為、安易な約束など出来ない。
その反応が少女を不安を掻き立て、行動することを選ばせる結果となった。
走り出した少女はいつもの不調が嘘のような走りだった。
完全に出遅れたレシアは慌てて少女の後を追う。
彼女の纏っている空気の残滓を追って足を動かし続ければ、カロンの後ろ姿を発見した。
村の女衆が集まり、何やら獣の皮を伸ばして干しているその場に飛び込み必死に声を上げていた。
「お願い……親方を助けてください!」
青い顔で必死に訴える少女に、女たちは顔を見合わせ言葉に困る。
男たちとは違い、彼女たちはディッグに対しての嫉妬などは元々無かった。
ただ夫の言葉に付き合い続けてきた結果、彼を嫌う傾向になっただけだ。
それだけに必死に元村長の助けを求める少女の言葉に心を激しく揺り動かされる。
「何の騒ぎかね」
「村長……」
振り返った女たちの誰もが苦しい表情を浮かべた。
ディッグの弟であるゼイグとの不仲は村で知らぬ者は居ない。
何より彼が兄を殺したがっているのも知れ渡っているのだ。
それを知らないカロンでは無かった。いや……親方と呼んでいるディッグの噂話は日頃から拾い集めて来た彼女は誰よりもそのことを理解していた。
それでも、
「お願いします。親方を……おじいちゃんを助けてください!」
「……」
駆け寄り服を掴んで必死に懇願する少女姿に女たちは、我が子を見るかのような視線を向けていた。
助けられるものなら助けたい……そう思うのが親心だろう。
だが一人だけ、静かな声音で口を開いた。
「ディッグは死にたがっているんだ……なら逝かせてやれ」
「どうし」
「アイツは病気で腹の中の一部が悪くなっている。医者が言うにはもって一年らしい」
「う、そ?」
「事実だよ」
村長の言葉に少女は膝から崩れ落ちた。
地面に手を突き……込み上がって来た涙を止められず声を上げて泣く。
カロンに向かい伸ばし掛けた手をゼイグは止めた。
自分には彼女に掛けてやれる言葉なんて無かったからだ。
重い沈黙が辺りを包む。見守っていた女たちも誰一人として声を発せない。
ただ一人……彼女を除いて。
「一つ聞いても良いですか?」
「何だね」
「はい。……病気だから助けないって言葉が、私には良く分からないんです」
カロンの背後から足音一つ発せず近づいたレシアは、そっとしゃがんで彼女を背後から抱きしめる。
小さい肩を大きく震わせ泣く少女が……余りにも不憫で可哀想だった。
村長はその問いに重々しく口を動かした。
「アイツは戦って死ねる場所を求めて狩りを続けている。きっと性根が狩人では無く戦士なのだろう。ならば戦って死なせてやるのが周りの者の配慮だと思うのだが?」
「ん~。やっぱり分かりません。だってあの人は全く死にたがって無いですから」
「死にたくないだと?」
「はい。あの人が纏っている空気は生きたいと言う感じの物です」
抱き締めた少女を支えてレシアは立ち上がる。
言ってて気づいている。誰かをそんな気にさせるのは、いつも彼のお節介だ。
知らない所できっと本人も気づかないほど自然に気持ちを変えさせたのだろう。
だがゼイグはその言葉を受け入れられず、頭を振って深く息を吐いた。
「お嬢ちゃんはアイツの本質を知らないんだ。あれは戦うことが好きな」
「ならどうしてカロンちゃんを引き取って育ててるんですか?」
「それは……」
村人全員の疑問を言われ答えに窮する。誰もがその訳を知らない。
でもレシアは、困った様子で狼狽えている村長に笑顔を向けた。
「あの人は優しい人です。そして寂しがり屋なんです。あれですよね……本当の気持ちに嘘を覆うから良く分かりませんでしたけど、最近分かるようになったんです。この村の人たちは嘘つきばかりです」
「嘘つき?」
「はい。皆であのお爺さんを嫌っている様なことを言って気にかけている。貴方だって『死んだ方が良い』とか言って本心では『生きてて欲しい』と思っている。何て言うか……この村には常に"嘘"と言う霧がかかっているんです。だから皆さんの本当の気持ちが見えてこない」
ギュッと抱きしめた少女は、自力でその霧を払い除けた。
だから素直に"おじいちゃん"と呼んだのだ。
「私はシャーマンです。シャーマンは嘘を嫌い真実を見て事実を告げます。確かそんな存在だと……育ててくれた人に聞かされた記憶が残ってます。だから言います。嘘ばかり言っていると、事実が嘘に飲み込まれちゃいますよ?」
良い話が台無しになってしまいそうな彼女の言葉に、誰もが口を閉じて視線を地面へと向けた。
(C) 甲斐八雲