其の拾弐
微かに感じた物にカロンはゆっくりと目を開いた。
最初に見えたのはいつも通りの天井。
そしてその視界の片隅に入ったのは、驚いた様子で戸惑っている女性の表情だった。
その手には布を持ち、辺りを見渡してオロオロとしている様子が滑稽だが本当に可愛らしい。
美人は何をしても絵になるんだ……と、幼いながらもカロンはその事実を知って学んだ。
「何を、してる?」
「……はわ~。様子を見に来たらカロンちゃんが寝てて、でも涙がこぼれてたから拭いてたんです。それだけです。何もしてません」
何故か焦っている様子でそんな必死に言い訳染みた言葉を並べるから何かしたのかと思われてしまうのだ。
だがレシアはそのことに気づいておらず、胸の前で両手を握り締めて上下に振っていた。
どうしてこの人はこんなに全力なのだろう?
様子を見ているとそんな気持ちになって来た。
本当に全力で裏表が無くて、真っ直ぐで素直で……
「馬鹿、なんですね」
「しみじみとした感じで酷い言葉を言わないで下さい!」
図星を差された様子でレシアは傷ついたのか、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
クルクルと変わるその表情を見ていると本当に飽きない。
笑いそうになって呼吸の心配をしたカロンは、浅く呼吸を繰り返した。
「大丈夫ですか?」
「うん。今日は、調子が悪い」
「それは見てれば分かりますけど……」
気づかれたから開き直ったのか、レシアは手に持つ布でカロンの頬を拭きだした。
その瞳からこぼれ落ちた涙を綺麗に拭って行く。
「ありが、とう」
「良いんですよ。体調が悪い時は甘えると良いんです」
心底嬉しそうな笑みを浮かべてレシアが笑う。
最近風邪を引いてミキに甘えたことを思い出したのだ。
その事実を知らないカロンは、だらしなく笑う年上の女性を……生温かな視線を向けて見つめていた。
綺麗なのにとても残念な時がある。ただそんな部分も彼女の魅力なのだろう。嫌な気はしない。
空想の世界から無事に帰還したレシアは、思い出した様子でまた彼女の頬を拭いた。
「もう、良いです」
「ですね」
何となく間を持て余しての行動を少女に悟られ、レシアは次を必死に考えた。
会話は相手の呼吸が苦しそうだから続けるのに抵抗がある。ならやはり拭き続けるのが一番だ。
「寝汗とか平気ですか? 良ければ私が拭きますね」
「……」
「遠慮しなくて良いんですからね」
咄嗟に自分の体を庇った相手の行動を恥ずかしがったのだと思ったレシアであったが、見る見る少女の顔が泣き顔になるのを見てまた慌てた。
「ひっく……えっく……」
「えっあっ……え~!」
自分の体を抱く様に腕を回し、ボロボロと涙を溢す相手にレシアは完全に途方に暮れた。
一体どんな間違いを犯したのか理解出来ないからだ。
ただ涙を溢すカロンとて、相手の言葉が優しさからだということは理解していた。
だから片腕を動かしこぼれる涙を拭う。
「あのあの……ごめんなさい」
「違う」
「はい?」
「わたし……酷いから」
「ふぇ?」
大きく鼻を啜り、カロンは胸の中に溜まっている不満と一緒に声を発した。
「傷跡が。体中に」
「……そうですか」
相手の言葉と気持ちを受けて、レシアはそっと手を伸ばした。
まだ本調子では無いのだろう少女の血の気の無い頬を優しく撫でる。
「大丈夫ですよ」
「……?」
「傷跡は生きている証です」
「でも」
「他の人に悪く言われたんですね。分かります。私なんていつもミキに『食って寝て踊る生き物』とか言われてますから」
慈愛に満ちた表情で告げ、その顔色が一瞬で変わる。
少女から顔を背けて『いくらなんでも酷い過ぎます。あとで文句を言っても良いですよね?』と何やら不満を呟いてからまたその整った顔を向けて来た。
「女の子だから特に気になりますよね? でも私を育ててくれた人が言ってました。『人を外見のみで判断するのは、最も愚かなこと』だって。小さい時に言われて意味なんて解らなかったけど、今ならその言葉が良く分かります」
『凄いでしょう!』とばかりに胸を張る彼女に、カロンは微かな笑みを返した。
優しい人だ。どうしてこんなに優しく出来るのだろう?
そう考えるだけで何故か自然と頬が緩む。
「だから私はその酷いと言う傷跡を見ても悪く言いません。だってそれは貴女が生きている為の証なんです。そんな酷い傷を負っても貴女は生きようとしてます。生かそうと頑張った人もいます。色々なことがあって貴女は今、生きてるんです」
ゆっくりと手を伸ばし、まだ力の入らない様子の少女を抱きかかえて……レシアは相手の上着に手を掛けた。恐怖からかビクッとカロンの身が震える。
そんな反応を見せる彼女に優しく微笑み、レシアは静かに上着を脱がした。
胸の中心に貫かれた様な物が。
右脇腹から左脇腹へ……大きな爪で抉られた様な物が。
そして背中には縦に走る爪の跡らしき物が。
大小含めると、これでもかと傷跡が少女の体に走っていた。
「頑張ったんですね。この一つ一つが貴女が生きている証です」
「ん……」
そっと腹部の傷跡に指を乗せ、レシアはその線を指で追った。
傷跡の薄い皮膚を撫でられる感触に……カロンはくすぐったそうに身を震わせる。
「自分だと綺麗に拭けないでしょう? 私が隅々まで拭いてあげますからね」
「怖くない?」
「ぜんぜんです。力強い命の断片が見えて……ちょっと興奮しちゃいます」
その発言にカロンは、相手が危ない性癖とか言う物の持ち主なのかと疑ってしまった。
(C) 甲斐八雲