其の拾
「本当に何もしてません!」
自分を咄嗟に助けてくれた相手が……意味も分からず窮地に追い込まれているのを見て、放っておけるほどカロンの性根は腐ってなど居ない。
まだ震える口にゆっくりと力を入れる。
「わた……俺が倒れたのを、抱えてくれた」
「本当か?」
そっと伸びて来た彼の手が優しく頭を撫でてくれる。
大きくてゴツゴツした感触の手だが、何故かカロンは心の中が暖かくなるのを知った。
まるで親にでも撫でられているかの様な安心感から、そっと目を細めて弓にする。
「野菜を取られそうになって、少し動き過ぎた。今日は調子が悪いらしい」
「そうか。辛いなら無理はするな」
言って彼がまた頭を撫でてくれた。
「で、レシア? 後で少し話そうか」
「……はい」
勤めて真面目な彼の口調に、自分を支えてくれている彼女がシュンと意気消沈した。
野菜のことは言わなくて良かったな……と、カロンが思った時には後の祭りだ。
落ち着いてから野菜を分けてあげれば許してくれるだろうか?
そんなことを考えながら、カロンは視線で彼を追った。
地面に転がっている野菜を手早く拾い上げ、ザルに乗せる。それをレシアに手渡した。
「暴れるなよ?」
「……」
そっと体に回された彼の手が、自分の小柄な体をひょいと持ち上げる。
抱えられたカロンは、恥ずかしさと宙に浮く不安定さから……そっと相手にしがみ付いた。
「ミキ。ずる……何でも無いです」
肩越しに一睨みしただけで彼女が沈黙する。
怒られ慣れしていないのか……そう考えると彼女の自由奔放な部分も納得が行く。
「このまま家まで運んでやるから」
「……でも親方の」
「そんなに調子が悪いのに、手伝いに行って倒れでもした方が厄介だろう? 手伝いたいと言うなら相手に迷惑を掛けないことを学んでからだ」
「……はい」
「……ごめんなさい」
何故か背後から謝罪の言葉が追随して来た。
一回で二人を叱るなんて頭の良い人なのだろう。
何より自分を抱えている両の腕が全く下がらない。余程鍛えていることが窺い知れる。
優しく運んでくれる相手に身を任せ……カロンはゆっくりと目を閉じた。
「それでお前から見てどうだ?」
「ん~。何て言えば良いんですかね?」
「頭を使え。刺激が足らないなら」
「にゃ~っ! 大丈夫です!」
スッと構えた手刀に怯え、レシアはワタワタと両手を振り回しながら頭の中で言葉を纏める。
「何て言うか……たぶんあれです。あれなんです」
「子供相手だから使いたくないのは分かるが、お前の目に見えているのは良くない気配か?」
「……はい」
相手の問いに素直に応じてレシアは頷き返した。
最初見えた時は本当に一瞬で、見間違えたかと思った。
まだあんなに幼い"少女"が、良くない空気を纏っていることをレシアは理解出来無かったのだ。
だが今朝見た時は昨夜と違い、はっきりとその空気が見えた。
全身を覆いつくす様な嫌な空気は……紛れも無い"死"を連想させる物だった。
「何であんな小さい子があんな空気を纏うんですか? 変です」
「病気や怪我に年齢は関係無いだろう? お前の目に映る以上は、それがあの子の現実だよ」
借りている道具置き場の中へと移動して来た二人は、カロンのことで話し合っていた。
まさかレシアを探していて、説明すべき出来事が起こっているとは思いもしなかったが。
家へと運び込んだ彼女を寝かしつけ、軽く家の周りを探したが……ディッグの姿は無かった。
子守を頼んだとばかりに狩りに行ったのだろう。
体よく押し付けられたが暇を持て余している身としては断る理由も無い。
看病をすると言って騒いでいるレシアが傍に居たら気も休まらないだろうから、ミキは彼女の首根っこを掴んでこの場所へと移動して来たのだ。
「あの子は乳飲み子の時に怪我をして……長く生きられない体らしい」
「……ミキの目から見てもそうなんですか?」
「勘違いするな。俺は医者じゃ無いから何でも知っている訳じゃない」
「でも……」
「人の命を奪うことは出来ても、治すことは出来ない。俺を過大評価するな」
諭されてレシアは首を垂れる。
確かに相手は色々なことを知っていて頼りになるが、知らないことだってあるのも事実だ。
そっと伸びて来た彼の手が、頭に置かれ優しく撫でて来る。
「あの老人からの頼みだ。あの子を出来るだけ笑わせてやって欲しいとな」
「……私も笑って欲しいと思います。でも」
「でも?」
「あの子の回りにある空気は、嫌な物と悲しいのと後は……嘘なんです。その三つがあの子周りに居座ってます」
「……そうか」
言われて何となくだがミキは理解出来た。
きっとあの子は自分のことを理解しているのだろう。
そして隠されていることも知っているのだ。
頭の良い子だと思う。だからこそ……悲しい気持ちを抱えているのも仕方ない。
「あのお爺さんもそうです。怒りと悲しみと嘘を纏って……この村の人たちも大半が"嘘"を纏ってます。こんなの初めてです」
「そうか」
「もうミキ。どうしてなのか解っているなら教えてください」
シャーマンと言う性質上……否、彼女の本質が嘘を嫌う傾向がある。
故にその目に見えるこの村の"嘘"を彼女は理解出来無いのだ。
ポンポンとミキは優しく相手の頭を撫でる。
「今はまだ何とも言えないよ。もう少し黙って様子を見よう」
「……分かりました」
納得いかない様子の彼女に、ミキはそう嘘を吐いた。
(C) 甲斐八雲