其の玖
ジッと見つめて来る相手の視線が本当に煩わしい。
小さな畑の野菜を手入れし、それを終えたカロンは……物陰から顔を出して伺っている相手に声を掛けた方が良いのか思い悩む。
まるで遊んで欲しい犬の様にキラキラした目でこっちを見ている。
と、相手の目が自分の顔を見ていないことに気づき、腕の中にある野菜を乗せたザルを軽く動かすと視線が追った。
目当てはこれか……と分かってしまうと、何故だか悪戯がしたくなる。
カロンは迷うことなくザルを両手で持ち大きく揺らす。
相手の顔と体も大きく揺れて……物陰から転がり出た。
「何している」
「ん~。美味しそうな野菜です」
「やらんぞ」
「え~」
起き上がり駆け寄って来た彼女が本当に悲しそうな声を出す。
何処にでもある普通の野菜にこんなに悲しくなるなんて……相手の食生活を心配しつつ、カロンは少し傷んでいたから間引いた物を手に取った。
「これは少し傷があるけど」
「大丈夫です」
「なら」
手渡された野菜を服に擦って汚れを落とし、レシアはバクッと一口で頬張る。
幸せそうな表情を見せる相手は……本当に喜怒哀楽が多い綺麗な女性だ。
昨日覗いてしまった全裸姿も本当に綺麗だった。
傷一つなくて綺麗な肌で。
ギュッと自分の胸元の服を握り締め、カロンは込み上がって来る感情を抑え込んだ。
自分の体に無数に存在している傷跡は、自分を死に追いやる呪いの様な物だと理解している。
"親方"と呼んでいる彼が必死に隠していても……他の村人の噂話が自分の耳に届いてしまう。
だから全てを理解してもカロンは知らない振りを続けていた。
「あ~。美味しかったです。今日はとっても野菜な気分だったんです」
「……気分で食べる物を選ぶのか?」
「ん~。何て言うか……『今日はこれが食べたい』って思う日とかありませんか? 今日の私はとっても野菜が食べたかったのです。あとお肉です」
「肉は昨日」
「食べました。干し肉でもあんなに美味しいのは久しぶりでした。でも今日の私はお肉が食べたいんです」
「いつも食べたいのか?」
「違います。たま~に魚が食べたくなります」
「そうか」
相手が単なる肉好きだと理解し、カロンは自宅の在庫を思い浮かべた。
今日の狩りで無事に獲物が狩れれば肉を得ることも出来る。
でも最近は本当に獲物が少ない。その原因はグリラが増えたことで、それを狩っている親方は本来褒められるべきなのだ。
だが村人たちから白い目を向けられ、そんな中でも彼は文句一つ言わずに狩りを行っている。
そんなに村人と元村長の間には深い溝が存在しているのか……ずっと一緒に居るカロンだが、その辺りの詳しい話は知らないでいる。
「もう一つ良いですか?」
「えっ? あっ? ダメだ」
「良いじゃ無いですか~」
「ダメだ。本当に」
頭の中で別のことを考えていたら、彼女がザルの中を漁っていたのだ。
両腕で抱える様にして相手からザルを離し、カロンは絶対防御の姿勢を見せる。
本当に残念そうな表情を見せる彼女には申し訳無いが、体の都合"肉"が余り食べられない自分からすると、野菜が唯一の食料なのだ。
これをグツグツと煮てドロドロになるまで形を崩した物をゆっくりと喉に流し込む。味気など無いが、生きる為に必要だから我慢して食べている。
と、不意にカロンの視界が大きく歪んだ。
フラッとした体を自分の足では支えきれず、とっさに伸ばした手は空を掴む。
あっと思いながら目には空が見え、後ろ向きに倒れたんだと思ってみたが……背中や頭に衝撃が無い。
暖かくて柔らかな感触がカロンを包み込んでいた。
レシアだ。
彼女の瞬発力と反射神経はミキでも舌を巻くほどの天性の物だ。
故に突然顔色を悪くして倒れ込もうとした少女の背後に回り込んで、抱き止めることなど簡単に出来る。
「大丈夫ですか? うわっ……顔が真っ白です」
「……」
大丈夫と言おうとしたが、喉に舌が張り付いてしまったかのように動かない。
微かな唸り声にも似た音を出していると、倒れる自分を抱き止めて取れた相手の暖かな手が頬を触れる。
「寒いですか? 震えが止まりませんね」
別に寒い訳ではない。
でも今の自分が、血の気が引いて顔色が悪いのも分かっている。ただ血が足らないのだ。
フワッと相手の腕が自分の顔や体を包んでくれた。
レシアは地面に両膝を降ろし座ると、その足の上に少女を支えるようにして抱きしめたのだ。
「ん~。これで少しは暖かくなりますかね?」
本当に寒い訳ではない。
でも相手の懐はとても暖かで、何より吸い込む空気に花の匂いを感じる。
甘い感じの花と新緑を思わせる木々の匂いもだ。
大きく肺の奥まで空気を送り込むと、何故かとても癒された気分になる。
「震えが止まりました」
「だい……じょうぶ」
「本当ですか? ダメならミキを呼びます。ミキは呼ぶと直ぐに来てくれるんですよ。来て欲しくない時も直ぐに来ますけど」
「お前分かってて言ってるだろう?」
「ふにゃ~っ!」
脳天の手刀を叩き込んで黙らせると、ミキは彼女の傍らに膝を着いて……抱きかかえられているカロンを見た。
「大丈夫そうだな。顔色に赤みが差し始めている」
「本当ですか? 良かった~」
「で、何をしたんだ?」
「ん? ……私は何もしてません!」
最近こと"信用"と言う物を感じさせない彼女の言葉に、ミキは黙って二本目の手刀を叩き込んだ。
「で、何をした?」
「本当に何もしてませんから~。お話してたら突然フラッと……本当ですから~」
涙目で訴える相手の言葉に嘘の気配は微塵も無かった。
(C) 甲斐八雲




