8.はじめてのせいしんしはい(他人への)
ふよふよ飛んで祭壇の裏に隠していた死体(暫定)をあわてて回収した―水に沈んで溺れそうになっていた―私は、洗った服を絞って身につける。冷え切った体には辛いが、この洞窟に人がいると分かった以上全裸でうろうろするわけにはいかない。
溺れていた間に入り込んだらしい水が起こす、鼻の奥の鈍痛に耐えながら水底から回収した運度靴に足を通した。びしゃびしゃの靴下までは穿く気には慣れなかったのでプール端のタイルの上に並べておくことにする。
ぐじゅぐじゅと足音をさせながらローブ姿の男に近づくと男が取り落とした携帯を拾い上げた。ぱかりと携帯を開くと真っ黒の画面に写った死体(暫定)と死体(暫定)の首にかかったソウルイーターの私が見える。
この携帯が死体(暫定)のズボンの尻ポケットに入っていた事は洞窟の探索を始めた頃に気が付いていた。
だが残念ながら充電が切れていた携帯は何処を押してもうんともすんとも反応しなかったので一度確認した後はしまいこんでいたのが、まさかこんな方法で役に立つとは思わなかった。
なんでここに落ちていてのかは不明だが水にダイブする前に靴を脱いでプール際に置いた記憶がうっすらとあるのでその時に一緒に地面に置いたのだろう。結局靴はあわてて身を隠す際に一緒に水の中に入れてしまったが。
携帯が落ちたままなら靴もそのままにしておけば良かったと後悔しながらローブの男が地面に置いたたいまつを拾い上げる。
自分自身にかけた『精神支配』で自己の定義すらも『支配』する事が出来るのなら自分自身の形状を変形することにも使えるのではないかと思ったのが探索をしている間の事だった。なにせ体を変形するどころか自身の発する光量さえも自由に出来ないのでは不便極まりない。探索の間は死体(暫定)とソウルイーターの体で魂を行ったり来たりさせることで光量の加減が出来たが普通は自分の魂を他人の体にいれたりなんて事はしないはずだ。
ソウルイーターもその名前のとおり魂を食事として捕食したりするのだろうし、捕食するには獲物に近づかなければならない、それなのにびかびか光って飛んでいたらすぐに獲物に自身の存在を見破られてしまうだろう、そうならないためにもソウルイーター自身で自分の光量させる事が出来ないのはおかしい話なのだ。
しかし、私自身には体の変形も光量の調節もどんなに頑張っても出来なかった。きっとこれは私の中で私自身のイメージが40型円形蛍光灯で固まってしまったせいなのだろう。
転生ものでよくあるチート材料の現代知識がまさかここで私の足を引っ張ってくるとは思いもしなかった。
そこで出てくるのが『精神支配』である。『精神支配』で自己意識を一時的にでも塗り替えることが出来るのならば自分の体が自由に変形できる、もしくは光量を自由に設定できるという思い込みを私自身に植え付けることが出来ると考えたのだ。そして一度出来たことなら自分自身への固定観念を崩す材料になり『精神支配』が解けた後でも自分自身の変形が可能になるかもしれない。
ただそれを思いついた時点では死体(暫定)の体力が持つまでに洞窟外へ出ることが最優先事項になっていたので検証は後回しになっていた。
ローブの男が水場に近づいてくるのが分かったので試しに隠れて様子を伺うために発動してみたのだが、存外ローブの男が死体(暫定)に好意的な口調でなかったので―小僧と呼んでいたのはおそらく死体(暫定)の事なのだろう―そのまま『精神支配』をかけるためにステルス状態からの体当たりをしかけたのだ。
暗闇からのヒットアンドアウェイの2連発で上手く脳震盪を起こしたローブの男は地面に横向きに倒れびくびくと震えている。頭だけをつかんでこちらに向かせると失神までには至っていなかったのか抵抗しようとしているのか手をばたばたと見当違いの方向へ動かした。どうやら意識混濁がおきているようだ『精神支配』をかけるのならば今のうちだろう。
たいまつを近くに置き両手で顔を固定しぐるぐる回るローブ男の瞳を覗き込んだ。初めて他人にかける『精神支配』は自分自身にかけるそれよりも時間がかかる感じがする。それとも『精神支配』を実行している体がソウルイーターのではなく死体(暫定)の体なせいかもしれない。
これは要検証課題だなと考えながら私はローブ男の魂を侵していった。
上手く脳震盪を起こさせることに成功したローブの男は地面に横向きに倒れびくびくと震えている。頭だけをつかんでこちらに向かせると失神までには至っていなかったため、抵抗しようとしているのか手をばたばたと見当違いの方向へ動かした。どうやら意識混濁がおきているようだ『精神支配』をかけるのならば今のうちだろう。
ローブの男のぐるぐると回っていた瞳がぴたりと止まる。男の手足もゆっくりと止まりパタリと地面に落ちる。
私はローブの男に『精神支配』がきちんとかかっているか確認しようと口を開いた。
「・・・・っ」
声を出すのに失敗した。
思わずげほげほと咳き込みながらそういえば声を出すのは初めてだっけと頭のどこかで考える。死にかけて蘇生してそれからずっと動かさずにいた声帯がいきなりまともに機能するはずも無かった。
私はあーと母音を伸ばして喉のチューニングをするともう一度男に向かって声をかけた。
「貴方は誰?」
初めて聞く死体(暫定)の声は低くも無く高くも無く、ただ不思議と親しみを感じる声だった。
「私は貴方、貴方は私」
虚ろな目をしてローブの男が答える。私はローブの男に微笑を返す。『精神支配』に成功した。