65.自由の使い方
「があ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぅ゛!!」
身を、いや文字通り魂を削られる痛みに体を折る。
前に少年神官に短剣で切りつけられた時に感じた痛みだが同じ痛みでも今回はその強さが比ではない。
体一つ持っていかれたのだから当たり前だといえば当たり前なのだが魔法を直接ぶつけられるというのはこれほどまでに痛みを伴せらうものだったとは思わなかった。
胃の中のものを全部ひっくり返し顔から流れ出す涙と鼻水と胃液が地面に小さな川を作る頃、ようやっと私の意識は現世に戻ってきた。
肺が痛くなるような呼吸をしゃくり上げるように繰り返しながら顔を上げる。私の直ぐ側には私と同じように体を縮めて両手で耳を塞いでいるセラがいた。
何時の間に戻ってきたのかと思ったが狼男を閉じ込めようとした部屋からここまでそう遠いわけではない。
恐らく私に魔法をぶつけられたのと同じタイミングだったのだろう。それと同時に全ての私の体が同じように悲鳴を上げたはずだ、ソウルイーターの体だらけのこの洞窟内に私の悲鳴が鳴り響いたことだろう。
服の袖で汚れた顔を拭うとセラに這いよりその肩を叩いた。セラは直ぐに閉じていた目を開けあたりを見回し恐る恐る耳を塞いでいた手を離した。そのままゆっくりと立ち上がる。
こちらを見つめるセラの視線に私は被りを振る。
「せっかく頑張ってくれたのに失敗しちゃったよ」
私の言葉にセラは首を振るって私の肩をぽんぽんと叩いた。気にしなくていいという事なのだろう。
だがいつまでもセラの気遣いに甘えているわけには行かない。実際問題としてあの狼男を私は無力化でいきなかったのだ、この場所に直接繋がるルートはお潰しておいたが狼男がここにたどり着くのは時間の問題だろう。
早く次の手を打たなくては行けない。
◇◇◇
『犬』は香の充満する部屋からなんとか這い出して大きく息をついた。今だ頭がふらふらする。香の匂いもさることながら、あの飛行する環状の物体が放った悲鳴?が酷かった。全身の体毛が総毛立つ様な断末魔。洞窟自身が震えているような振動。逃げようとしていたので思わず掴んで魔法を放ってしまったが攻撃されて悲鳴を上げるなんてまるで生き物だ。いや、手に掴んだつるりと冷たい感触、あれは明らかに無機物の感触だ。だとしたら一種のリビング系モンスターの用に擬似的な魂を持ったものなのかもしれない。『犬』が知っているオートマタは奴隷商か製作者の技量の為かまさに操り人形といったものだったが高名な魔法使いや技術者が作ったものは魂の様なものが宿るとも言われている。あのハーフエルフがエルフ帝国の関係者なのならばそういったものがここにあるのも不思議ではないだろう。
それよりも問題は最大火力で魔法をあれに打ち込んでしまったことだ。『犬』自身そう魔力が多いほうではない、同じ威力で打てるのはあと1回程度。しかし魔法を使えることを相手に知られてしまったのでもう魔法は切り札にはならないだろう。
『犬』は立ち尽くしていた。
命令待ちのまま立ち尽くすオートマタと床と壁にへばりついた血痕。
ようやく回復してきた耳に届いた部下の声を頼りに道を戻り壁を堀り何とかたどり着いた場所にはそんな光景があった。
血は匂いから察するに床に着いたものは奴隷商の、壁にへばりついた物は同行していた奴隷の物だ。停止したオートマタの体勢から壁にへばりついた血は奴隷がオートマタに壁に叩き付けられたらしい事が予想できる。これほどの血の量なら奴隷はもう生きてはいまい。そしてそれは部下の報告からも確認できた。部下は奴隷と奴隷商両方の死を確認したらしい。
ならばあってしかるはずの死体は何処へ行ったのか?
部下によると部下が私を呼ぶために遠吠えをした瞬間、奴隷商に刺さっていた短剣が部下めがけて飛んできたらしい、部下は慌ててその場から離脱したが短剣は特に部下を追う事はせず暫しして部下が戻ってきたときにはもう死体はなくなっていたそうだ。
奴隷商が死んだのなら『犬』がハーフエルフを襲う必要はもう無い。奴隷商の敵討ちをするほどの情も『犬』には無い。
しかし、『犬』は傍らに座る部下を見た。壁にへばりついた血の跡を見た。
何故自分達の部下は傷つか無ければいけなかったのだろうか、何故奴隷は死ななければいけなかったのだろうか。
いや、分かっている、自分達があのハーフエルフを襲わなければこんなことにはならなかった。種をまいたのは自分達だ。しかしだからと言ってこのまま引き下がるには傷を負いすぎた。
自由などうらやまなければ良かった。
自由など手に入れても今更それをどう扱っていいのか、それがどんなものであったのか『犬』にはもう分からない。




