63.囚われの少女
不定期投稿といいながら随分間があいてしまいましたがもう暫く更新頻度が低い状態が続きます。
彼女の名前はなんと言っただろうか、奴隷商が王都の何処かから連れてきて珍しく調教もせずにすぐに売り払われたので、一緒にいた時間は短いが記憶には残っている。奴隷商はどうせここに売られたのなら直ぐに使い潰されるのが目に見えているのでわざわざ手をかけて調教する気にならなかったのだろう。
そんな事も彼女が売り払われて初めて知ったのだが。
小さくともランプの光の中からでは暗い壁の隙間から覗いている『犬』には気付かないのだろう、少女はぼんやり空中を眺めながら小さく折りたたんだ膝の上にあごを乗せる。少女が頭を動かした瞬間、部屋の中でカチャリと金属がなる音がした。
犬が音の鳴る方へ視線を辿らせれば少女の体の影から鎖が伸びて壁に杭で固定されていた。どうやらその鎖は少女が首を動かすたびになる事から、少女の首につながれているらしい事が分かる。鎖が少女の皮膚を傷つけないように巻かれているフリルがたっぷりと付いた布とあいまってその光景は酷く悪趣味だ。
部屋の中には幾つかの小箱と天地を逆転させたつぼが幾つか転がっている。どうやらここは倉庫を利用した簡易的な牢屋のようだった。
この洞窟の中で多くの人の死―恐らく殺人―があった中彼女が生きていてくれた事は正直に嬉しかった。
それは『犬』自身が同じ奴隷の身である事も理由の一つだが、単純に子供が無為に死んでいく事が耐えられないからだ。人よりも獣に近い人狼は、人よりも本能に近い倫理観を持つ、社会を回す事よりも種を存続させる事に重きを置いているのだ。
さて、そして彼女はこんな所につながれているのだろう。彼女をこの場所につないだのは十中八九あのハーフエルフだろう、奴隷にするならわざわざこんな所に無理につないで置く事は無い。『犬』の主人の奴隷商人は自分が手に入れた奴隷はすべからく隷属印を皮膚に彫らせている。前の持ち主が死亡しているなら自分の魔力を隷属印に注いで主従契約を書き換えればいいだけだ。
ならばハーフエルフにとって彼女は奴隷にも出来ない、何か都合の悪い存在だという事だろうか?
『犬』はそこまで考えた所で思考を停止させた。ここでこれ以上考えても仕様が無い。何故彼女がこんな所に捕らえられているのか、そんなものは彼女に直接聞けば良い。
『犬』は壁の亀裂から部屋の中を見回して彼女以外誰もいない事を確認すると足元の小石を拾い、少女の近くに弾き飛ばした、小石は小さな音を立てて狙い違わず少女の目の前で止まった。
訝しげに少女は顔を上げ小石の出所を探し始めた。そして隙間から覗く『犬』に気付き、顔を驚きの表情に―変えはしなかった。
別に不思議なことではない、物心付く前から奴隷の生活を送っている者にはこんな風に感情を一切表に出さない者が多い。幼い年齢に反して人に使われることに慣れているその態度は彼女もその手合いである事を想像させるに容易かった。
驚いた顔をしなかったがその代わり少女はじりじりと―鎖が音を立てないように―こちらへとにじりよって来た。
鎖は意外と長さがあるらしく少女は難なく『犬』が入る壁の亀裂まで近寄ってきた。
『犬』は少女に顔を寄せて何故こんな所に閉じ込められているのかと問いかけた。久しぶりに発し発した
人間の言葉はあやふやで、久しく使われることの無い動かし方をした喉はぎしりと錆び付いた様な声しか出してはくれなかった。それでも十分に顔を寄せていた少女には聞こえたようで、少女は暫し眉根を寄せて考え込むようなしぐさをした後、ゆっくりと首を振った。
『犬』は少女自身、何故自分がここに閉じ込められているのか分からないのだと解釈すると次にここに彼女を閉じ込めたのは黒髪でひょろりとした体躯の神官―ハーフエルフであるかを問うた。
この質問には少女は直ぐに首を縦に振る。
今度は一体どれぐらいの間ここに閉じ込められているのかと聞くと彼女は少し考えるそぶりをした後、手と手をゆっくりと離し、体の前で命一杯に広げた。どうやら沢山と言いたいようだと重いながら『犬』は少女が元々座っていた側にあった木箱に付いた新しい白い引っかき傷―恐らく石灰の混じった石か何かで着けた傷だろう―を見つめた。規則正しく5つ毎に分かれている傷はどう見ても経過した日数を数えたものだ。傷は13個目で止まっている。彼女が数字で答えないと言う事は途中で数えるのを止めてしまったからなのだろうか。しかし、それだけの間ここに閉じ込められているにしては小部屋はあまり汚れていない。彼女は案外丁寧に扱われているのかもしれない。
そして『犬』は少しばかり躊躇してから、ここで起きたであろう、彼女の主人を含めた不特定多数の殺人にあのハーフエルフが関わりがあるかどうかを口にした。
少女は先ほどと同じように―首を縦に振った。




