56.追跡
私は荷車の上で荒い息をついていた。洞窟まで激走する荷車はひどい揺れで吐きそうだ、今胃の中には胃液すらも入っていないのがせめてもの救いか。
では一体何が入っているのかというとそれはソウルイーター体だ。私は震えが止まらない指先を何とか伸ばして逃げるときに掴んで来たそれを見た。
一見して私が何時も火を起こすのに使う魔力を湛えた鉱石のように見えるそれは私が先ほど口から吐き出して『羊飼い』の顔面にぶつけたものである。
私はウリヤスが頼んだという商品を受け取りに行く前にセラに『羊飼い』の人となりを聞き出したのだがセラ自身は『羊飼い』の元にいたのはそんなに長い期間ではなかったようであまり詳しいことは分からなかった。
もちろんこの世界の常識を碌に知らない私が神官を偽って接触するのは危険だとわかっていた。ならばと約束を無視して洞窟に引きこもる方向も考えてはみた、しかし取引相手が現れなければ『羊飼い』はウリヤスを探すだろう。なにせ本人の注文で商品をもう用意しているのだ、代金をもらえなければ丸損である。
しかし洞窟に閉じこもるにしても限度がある。それにあの巨大な犬、森で見かけた二股の猫と似た魂の形をしているあの犬は、あの猫が普通の猫ではない様に、あの犬もまたきっと普通の犬ではない。あの犬が本気を出しさえすれば神官達に隠された洞窟の入り口など簡単に見つかってしまうような気がした。
それにあれはウリヤス自身が注文したものだ。ミコトを召喚し私 を自分の意のままにしようとしたウリヤス、そんなウリヤスが頼んだものが私 に関係ない物だと考えるのはさすがに軽率すぎる。せめてウリヤスが何を『羊飼い』に頼んだのかぐらいは知っておかなければいけない。
だとすれば結局私のとれる手は少ない。ウリヤスの部下を偽って『羊飼い』と取引するしかない。
幸いこの国の貨幣は上級神官の燃え残った部屋に十分残っていた。いったい商品がいくらするのかは当のウリヤスがもう居ないので分からないが貴金属に値する鉱石の類も結構な数が残っていたのでそちらも使えば払えないという事も無いだろう。何せもともと本人が購入を希望していた物である。自分の払えないような物を頼んだりはしないだろう。今手の中にある鉱石や勝手に森の中を走る荷車は念のためを考えてソウルイーター体で作った―作るのに夕方までかかった―物だった。待ち合わせ場所を見張っていた犬の漏れ出た思考からどうやら私は罠にかけられるらしいことが分かったので身動きが出来なくなった時や、身ぐるみを剥がされた時の最後の反撃手段として鉱石は飲み込んで体の中に隠しておいたのだ。
ついでにお茶に盛られた薬もお茶事『肉体吸収』で無効化できたのでとっさにした行動とはいえ悪くない判断だったと思う。吐き出すときにすさまじく苦しいが。
おかげで私の体の自由を奪っているのは香の効果だけだ、まさか屋外であんな拡散しやすい薬を使うとは思わなかったがこの世界には魔法があったのだ。迂闊だった。
『羊飼い』は私を追いかけてくるだろうか?いや、来るだろう。商売人の仮面を剥がした『羊飼い』のニタニタした笑みを思い出す。
あれは明らかに自分より相手を下において嬲るのが好きな手あいだ。そして往々にしてそうした奴は反撃をされると強い怒りを覚える。元から自分を律する事が下手なのだから頭に血が上ればなりふり構わなくなるのは当然の事だろう。
厄介なのは『羊飼い』よりもあの犬とオートマタだろう。オートマタは魔力で動いている魔法の様なものだから無理やり魔力の流れをかき乱して一時的に動作不能に陥らす事ができたが、魔法図自体が体の中にあるのだ、時間がたてばまた元に戻るだろう。
もう一度同じことをすればできるだろうがそれをするにはあの巨大に触れていなければならない。先ほどは相手が私を傷つける意思が無かったため出来たが、次はそうはいかない。下手すれば捕まった途端手足をへし折られる可能性だってあるのだ。
一時的なオートマタの作動停止と引き換えにするにはあまりにも大きな賭けだ。
そうこうしているうちに犬が追いかけてきたようだ。ソウルイーターの魂の感知をレーダーにして周辺を警戒していると、件の犬と普通の犬が数匹隊列を組んで追いかけてくるのが分かった。スピードは荷車より犬の方がわずかに早い、荷車はこれ以上スピードは出ない、追いつかれるのも時間の問題だろう。このまま洞窟に逃げ込むわけには行かない。
私は荷車を山の方向へ向けて走らせる。向こうの道をすすみ、こっちの道をすすみ、道は森から山へ入り傾斜の付いた地面は森よりも更に悪路だった。なんとか痺れが薄まってきた体で荷車の縁にしがみつき振り落とされないように気をつける。
だんだんと犬達との距離が近づいてくる、あと10mも無い。
一瞬後、木々が途切れた。
地下水が噴出し地面に叩き付けれら、滝を作っている。
背後から飛び出した犬達ががけ下に落ちていくのを空中に浮かびながら見下ろした。
なんと言うことも無い、近くまで犬達をひきつけて置いて崖上から空中を走るように飛び出したのだ。ソウルイーター体は宙を飛ぶことが出来るが、犬たちはそうは行かない。結果私に釣られ飛び出して来た犬たちはがけ下に落ちていった。
そこそこ高いここは森を流れる広い川に繋がる支流のひとつだ。崖の中腹から水が噴出し、結構な高さの崖を作っている。この高さから落ちればたとえ死ななくとも骨の一本や二本ぐらい折れたかもしれない。
私はがけ下に落ちていった犬にあの巨大犬が含まれていることを確認すると空中をすべり地面に着地すると洞窟へと急いだ。




