53.ある犬の話2
12/18 巨大犬と普通の犬の区別が付きにくいので巨大犬は『犬』表記にしました
山から流れ出る小川は幾つかあるがそれらは山から丘へとその傾斜を変えるあたりで合流し大きな一本の流れになっている。その合流地点から数百m程度下った場所に目印の巨岩はあった。どこから流れてきたのか高さ3mもある巨大な岩、この周辺にはここまで大きな岩はこれぐらいしか無いので間違えはしないだろうが、もし間違えてしまっても川まで出てきさえすれば『犬』の嗅覚をもってあのハーフエルフの居場所は直ぐに分かる。
奴隷商は罠を仕掛け終わった後にようやっと冷静さを取り戻したのか、自分の想像が全く外れ、ハーフエルフ以外の神官が来た場合はウリヤスとの取引を通常通り行うつもりなので自分たちのキャンプ地に連れてこいと言われていたが、案外あの男の予想もそう外れてはいないのかもしれない。
巨岩が見える森の木の上に隠れて身をひそめていれば、もう少しで日も暮れる頃、確かに神官服を着たハーフエルフが現れた。しかも一人だ。自分より大きな重量のあるものを運ぶのに一人で来るのはさすがに不自然だ。
ハーフエルフに一体どんな事情があるのかは知らないが少なくともあのハーフエルフ自身は王都の神官の一味ではない様に思える。『犬』は首に下げている笛を器用に口にくわえると力いっぱい吹き鳴らした。
エルフは森に生き、森のために死に、森で生き抜くのに適した体をしている。人族よりも身軽で木の上から上を飛び移る跳躍力を持ち、風の匂いをかぎ分け侵入者を警戒し、葉のこずえの音を聞き分け外敵を判別する。つまり筋肉や腕力を除けば地べたを這う人族よりもよっぽど上等な身体能力をしている。
だがやはりそこは人間種、いくら鼻や耳がよかろうが獣には敵いはしない。この笛はエルフにすら聞こえない高度の音を出す笛で『犬』が力いっぱい吹こうがいくらあの神官もどきがハーフエルフだといえ聞こえはしない。
奴隷商の元にいる自分の部下たちにハーフエルフの到着を知らせると音もなく木を駆け下りる。『犬』の白と黒の体毛は木々に隠れきれるような柄では無いというのに森の中を移動する『犬』はそこに『犬』がいると思い目を凝らさなければ見つける事も難しかしい。事実ハーフエルフにほど近い場所に移動しても当の本人は明後日の方向を向いてきょろきょろとあたりを見回すだけで全くこちらには気づきもしない。
こちらに気づかないのを良い事に『犬』はまじまじとハーフエルフを観察する。肉の少ないほっそりとした体つきと何処かぼんやりとした顔つきは昼間に対峙した時に一歩の引かなかった男と同じ人間なのかと疑いたくなるほどだ。それほどまでにハーフエルフは無防備だった。あまりの無防備さにこのまま背中から襲い喉を掻き切ってやりたくなる。
『犬』は静かに頭を振った。あれは王都の神官ではない。自分があのハーフエルフを襲っても神官達には何の意味もないのだと言い聞かせる。
『犬』がこの地を訪れたのは過去3回、5年の間で3回、計11人もの奴隷を自分の主人は売った。最初にこの地に訪れた時は随分多くの奴隷を欲しがるものだと思ったが2度目に来た時も同じ人数を欲しがり驚いた。いったいどれだけの奴隷を雇用するつもりかと、それほどまでに神官達は自身の身の回りの世話ができないのかとのんきに思ったものだが3回目の時に奴隷商と神官の話の折に出てきた言葉。
「前のはすぐにだめになりましてね、しょうがないので実験体にしましたよ」
この神官たちは奴隷を使いつぶしている。しかもおそらく非道な方法で。怒りと共に悲しみが『犬』の心に押し寄せた。1回目に売られた奴隷達も2回目に売られた奴隷達も皆『犬』と共に長かったり長くなかったりした時間を過ごして来た者たちだった。ポリアは自分の食事を少し分けてくれた。エウラはよく『犬』の毛皮を握りながら泣いていた。アラウは隷属印の幻痛に耐えている時によく肩を撫でてくれた。3回目に売られていったあの小柄な奴隷はまだ無事であろうか。神官達と共にどこかへ行ってしまったのだろうか、それとも・・・
気が付けばハーフエルフがこちらを見ていた。『犬』は気がつけば怒りのあまり牙をむき出しにして威嚇のモーションに入っていた。流石にうなり声までは上げてはいないが『犬』の異様な殺気にハーフエルフも気付いたらしい。
『犬』はまるで何も無かったかのような顔ですたすたと森の方へきびすを返すとちらりと後ろを向いて、ハーフエルフが着いてくるのを待つ。
ハーフエルフは若干困ったような顔で手に持った荷車を押しながらゆっくりと『犬』の後を追いかけていった。




