44.ソウルイーターの洞窟暮らし5
かくじつに・・・とうこうが・・・おそくなっている・・・・!!
ソウルイーターに照らされながらセラが入っていった隣の部屋へと進む。
室内は私とセラが寝泊りしている旧中級神官宿舎に近い作りだが私たちの所よりここは若干広いがその分部屋数が多く一つ一つの部屋はむしろ狭くなっている。ここは元々下級神官の宿舎だったのだ。
部屋の中にはベッドとクローゼットと小さな書き物机しかない、家具の自体は中級神官宿舎のものとほとんど変わらないが部屋の作りが狭いので私たちが寝泊りしている部屋より窮屈で雑然としている。
火事の後始末の後の片付けでした事は壊れかけた宿舎から使えそうな道具、食品類を物色して倒壊しそうな壁や屋根は潰して山にしただけだ。壁が焦げただけの建物は食料庫だけをあさって他の部屋には入りもしていない。つまりこの部屋は元の住人が最後に出て行った時のままということだ。
寝ていたところを叩き起こされて跳ね除けたようによれたベッドシーツ、椅子に掛けられたままの私服であろうカーディガン、机の上には読みかけらしいペーパーバックが放置されていた。
指で触れると机の上にはうっすらと埃が積もりかけていた。
誰も出入りすることの無かった室内はそこに誰かがいたという事実だけを残し眠りに付こうとしていた。
この部屋の主は火に巻かれたか、『精神支配』した神官に殺されたか、それとも私に『魂狩り』をされたが、いずれにしてももうここへ戻ってくることは無い。私が決めて私でした事だ、私の所為でこの部屋の主は死んだ。そうやって悪戯に罪悪感を煽る言葉を浮かべても私の心はそよぎもしなかった。
初めて神官を『魂狩り』にした時も、ウリヤスの側仕えをソウルイーターで刺したときも、ウリヤスをミコトの手で刺した時も、私に有ったのは自分が傷付けられる恐怖だけで相手を殺すことへの躊躇はまったく無かった。必要だった。それは卵を食べるのにその卵の殻を割るような、そんな当たり前の行為として私の心に受け入れられえた。あの若い少年神官を無理やり『魂狩り』した時でさえ、口では抵抗がある等と言いながら私の精神はあの少年の『魂狩り』を当然の事と受け入れたのだ。別のあの言葉自体が嘘だったわけではない。私は確かにあんな子供がこれから私に喰われるのは気の毒だとは思ったのだ。かわいそうに、そう思ったのも事実だが私は彼を『魂狩り』することを躊躇などしなかった。それはきっと私が日本人の常識と倫理観をもったままソウルイーターになったから、そして私が他者の魂を喰い生きる事が当然であるソウルイーターだから。
相反する二つの心が同居する、それが今の私なのだ。
だからどうだというわけでもない。
別に日本人の倫理観と常識を持ったせいでソウルイーターの自分に悩んでいるわけでもないし、ソウルイーターの私は他者の魂を喰わねば生きていかれないのだから私はこれからも必要ならば誰かの魂を食べていくだろう。
それは人間が生き物を可愛いと愛でながらも、生き物を食べなければ生きていけないのと同じような事ではないだろうか。
そう考えれば今の私の精神構造もそう異常な事ではないのかも知れない。
ともかも今は、私が今後、人間の魂を喰う事に精神的支障が無かったことを喜ぼう。私の今生はソウルイーターなのだから。
気持ちを新たに私はゆっくりと部屋の中を見回して机の上の本を手に取った。本の紙は分厚いが恐らく羊皮紙ではない。パピルスは薄い脆い紙だと聞いた事があるし、これは恐らく現代と同じパルプで出来た紙なのだろう。ぱらぱらとページをめくるがアルファベットとも漢字ともつかない良く分からない文字が並ぶだけで読むことは出来ない。フィオレの記憶に文字は無かったが、そもそもフィオレはこの国の人間では無かった様なのでこの国の識字率は良く分からない。だがこの本自体がそれほど大切に扱われている風でも無い事を考えれば娯楽用の読み物はある程度あり、安価ではないがそう高価でも無く識字率も悪くは無いということだろう。
安価ではないというのはこの本があまり綺麗でなく経年劣化の跡が見えるからだ。高価ではないから下級神官がこんなふうに本をぞんざいに扱えるが、安価で現代のように吐いて捨てるほど本があるわけではないからこんな古くなった状態でもまだ読まれ続けているということだろう。
いつまでもこの洞窟に中に引きこもって生活できる訳でもなく、いつか―おそらく食料が無くなれば―ここを出てこの世界の人間と交流する必要が出てくる時に文字を知らないというのは不利になるだろう。これは私も早急にこの世界の文字を覚えなければいけなさそうだ。




