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32.テッド

夜の分は日付が変わる前までには…

 「本能かな?」

 その男は軽薄な口調でそんなふざけた事を言った。


 目の前がカッと赤く染まる。頭の奥で血管が鳴り響いている。鼻の頭に、眉間に皺がよっていくのがわかる。

 こいつは今何をいった。本能?そんな事が皆を殺した理由になるものか。そんなものが同僚(ライナス)を殺した理由になるものか。


 男はそんなテッドを見てふと困ったような顔をしていった。

 「困ったな、泣いている子供を殺すのは流石に抵抗がある」


 最初テッドは男が何を言っているのか分からなかった。

 ずぶ濡れになった頭から滴ってくるにしては随分と生ぬるいそれは自身の煮えたぎる体と同じ温度で顔をなぞっていくそれに言われて初めて気付く。

 テッドは泣いていた。直前に放った水魔法で濡れていたテッドの頬を今は涙が濡らしている。

 何故自分は泣いているんだ。

 ライナスが死んだことがそんなに悲しいのか、ただの同僚ではないか。大の男が声を上げて泣くほどの事か?


 そんなテッドを見て痛ましいものを見るような顔をして穏やかな声で、わかいそうにと男が言った。

 「友人だったんだね」

 むせび泣く幼子を宥める乳母のようにいたわるようなその声は意識をしていないと今まさにこの男がライナスを殺したことを忘れてしまいそうなほどだった。


 友人だった。男への怒りとは別にその言葉はすとんとテッドの胸に落ちてきた。しかし即座に否定する。違う、 自分とライナスは唯の同僚だった。まだ(・・)同僚でしかなかった。

 若くして中級神官になったテッドはその幼さもあり上級神官からの受けも良かった。テッドを側仕えにしたがる上級神官もたくさんいた。もちろん彼らは将来有望であろうテッドを自分の傘下に引き入れたかったというのもあるだろう。しかしそれだけではない上級神官も多かった。

 テッドはそういったしがらみも愛玩動物的な扱われ方をする側仕えという地位も嫌いだったので上級神官からのそういった誘いを全て断ってきた。テッドのそういう態度は元々覚えの悪かったほかの神官のとの仲を更に悪くさせるものだった。しかし自身でそういう身の振り方しか出来ないのを分かっていたテッドはそんな同僚達の反応を当たり前だと理解していたし、納得もしていた。

 しかしライナスは違った。ライナスは誰にもたいしても公平に親しみやすい男だったが特にテッドにはよく気を掛けてくれたしテッドと他の神官たちの間を取り持つような事もしてくれた。それはやはりテッドがまだ若く幼いために兄貴肌を発揮したのもあるだろうがライナス自身がテッドのそんな生意気でいっそ頑なな態度を好ましく思っていてくれたことも要因の一つだ。

 だからこそライナスとテッドは友達ではなかった。ライナスはどこまでもテッドの兄貴的存在であろうとしたしテッドもそんなライナスに甘えていた所もあった。それはテッドにとって楽だったからだ。

 だらしの無い兄としっかりした弟、そんなお互いの関係がテッドにとっては楽であったためテッドはライナスを利用していたのだ。


 本当は―


 本当はテッドはライナスと友達になりたかった。ライナスに子供扱いを受けるたびにテッドは苛ただしく思っていた。自分の事を、家族の事、故郷の事を笑って話すライナスに、テッドも話したかった。自分の家族の事、故郷の事。自分の事を。

 話して互いに笑いあいたかった。

 対等になりたかった。


 こんなふうに守ってなどほしくは無かった。


「お前を殺す」


 口から搾り出した言葉はかすれひび割れ憎悪に塗れまるで自分の声だと思えなった。


 テッドはの頭は怒りに支配されていた、しかしこの怒りは同僚を殺された怒りだけではない。

 ライナスと友人になる勇気が無かった自分への憤怒、いつだって手の届く所ににあったその機会を永遠に失ってしった事への悲嘆と、失望。

 それらが今テッドの中でない交ぜになって渦巻いている。いまテッドはその全てを男への怒りへと変換してぶつける事により自我を保っている。そうしなければ今にでもテッドは我を忘れて泣き叫び、この異常な現実に狂ってしまいそうだからだ。

 だからテッドは自分の中の全てを憎悪と憤怒として、男を睨むその瞳に乗せる。


 テッドが涙を流しながら睨みつける男は困ったような顔のまま、だがしかしその目は何の感情も写していなかった。空恐ろしいほどに空っぽなガラス細工のような瞳。そんな瞳でただ口調だけは依然とやさしくそいつは言った。


 「君が友人を殺され悲しみ憤怒するのは当然だし、心ある人間として正しいことだと思う。だが君のその感情が必ず相手に伝わるとは思わないことだ、人間は自分の感情を他人に伝えることに長けていない。同族同士ですらの感情を完全に相手に伝える事は非常に困難であり、それが異種族同士であるならそれはもはや不可能に近い。もし君が自然豊かな森に入り熊に襲われ友人が命を落としたとして君が熊に対して怒り、激昂したとしてもそれは熊には何の意味も無いことだろう」


 掌で白銀のナイフをもてあそびながらぺらぺらと男が喋る。


 「まあ要するに何が言いたいのかというとだね。不用意に森に入った君達の自業自得だということだ」


 テッドは男に肉薄するために地を蹴った。


 男は肩を竦め小さく呟いた。

「ほら、まったく伝わらないだろう」


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