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31.ただの化け物

 気が付けば私は彼女の体に縋り付き涙を流していた。柔らかな体に押し付けた頭を伝って、胸の奥から鼓動が響いてくるのを感じる。しかし、魂の抜けた彼女の体では直にそれも止まるだろう。もしかしたら内臓からの出血で気道を塞がれて息が止まる方が早いかもしれない。


 私は神官たちに彼女の顔の傷を治させると目を閉じさせ、短剣で胸を一突きにした。

 顔に着いた汚れをぬぐうと、胸の傷の小ささもあいまって、彼女の姿はまるで浅い夢に微睡んでいるようにさえ見えた。


 あの瞬間、フィオレに魂を捧げられた瞬間、確かに彼女は私を支配した。私の意志ではなく、彼女の魂を私の中に送り付けたのだ。

 魂を捧げる、その事が彼女にとってどういった意味を持つことなのかは私には分からない。だがそれは『魂狩り』とは確実に違い、彼女から送られた魂には彼女の意志があった。彼女の意志と彼女の原点。もっとも強い彼女の欲求。


 恐らく魂を捧げるというのはそういった、神への願いを自身の魂を道具として送り届けるものなのだ。

 しかし、神がその願いをかなえるとは限らない。神とは優しく、残酷で、無慈悲だ。すべてのものに等しく希望と等しく絶望を与える。そこに余人の都合など何の意味もない。

 それでも恐らく人々は魂を捧げる事をやめないだろう。たとえどんなに無意味でもそれが彼らに与えられた最後の手段であり究極の自己犠牲であり、最高のエゴイズムであるからだ。

 彼らはそれによって自身の願いが叶えられたかどうか知るすべはない。知る必要もない。なぜならもう彼らはそれによって、もう救われているからだ。悲しみも喜びも希望も後悔もその全てが昇華され無になる。極点の自己満足、最上の救い。


 しかし、彼女はそれは、それだけではなかった。


 私が彼らにかけた『精神支配』は「何も疑問を持たずただ死体(暫定)の命令に従え」ただそれだけだ、私がソウルイーターであることも『チェノボグの使い』であることもましてや彼女の信じる『生と死の神ティニト』であるなどとは思わせてはいない。

 ただ彼女は気づいたのだろう。私が魂を搾取する存在で、どんな性質を持ちどんな物の考え方をし、彼女が自身の魂を引き換えに、私に望みを願えば私がそれを拒むことができないだろうと。たった数時間、共にすごしただけで彼女はそれを理解したのだ。


 私が化け物なのか彼女の信じる神であるかさえ彼女にはどうでもよかったのかもしれない。


 神とは優しく、残酷で、無慈悲だ。すべてのものに等しく希望と等しく絶望を与える。そこに余人の都合など何の意味もない。彼女はそのことをよくわかっていた(・・・・・・・・)

 だから彼女は賭けに出たのだ。彼女にとっては分の高い賭け。彼女は最後自身の賭けの勝敗を確信していたのだろう。あの笑顔は自身の願いが聞き届けられた確信の笑みだったのだ。


 私の中に激しい怒りがある。こんな方法で私に願いを叶えさせた彼女に、こんな願いをさせるに至った彼らに、そしてこんな状況を招いた全ての元凶である私に。

 彼女が私を神として願うのならばそれを否定しよう。私は『チェノボグの使い』でも『生と死の神ティニト』でもない一個の化け物(ソウルイーター)として、自身の存在をここに証明しよう。慈悲も無慈悲もない、ただ自分の都合によって絶望と希望を撒き散らす、自身の利益と欲望のみに従う化け物として。


 私は子供の手足を貫く楔に手をかける。それはどういうことか私の指先の動き一つで涼やかな音を立てて簡単に割れていく。


 それが賭けに負けた私ができるささやかな彼女への抵抗だ。


 穴の空いた子供の手足を魔法で塞がせるとベルトを外し子供を解放する。自力では動けなさそうだしこのままここに放置すれば焼け死ぬか一酸化中毒を起こすかのどちらかなのでとりあえず神官Gに背負わせておく。


 バックドラフトを警戒して寝室側に退避してから執務室と廊下のドアをソウルイーター体で押し開ける。ソウルイーターの体は物理による衝撃、熱、冷気にたいして完全耐性があるのでいざとなれば全て捨ててソウルイーターの体だけで脱出が可能だ。

 もちろん死体(暫定)も子供も、ついでに『精神支配』した神官たちもいるのでそんな事はできないが。

 心配していた爆発現象も起きなかったので私たちは廊下に出るとそのまま大回りに回って沐浴室まで走る。魔法で鎮火できるからか中級神官たちは脱出よりも消火活動の方を優先しているらしく廊下の火はほとんど消えていた。ソウルイーターの感覚であたりを探査すると上級神官たちはまだ談話室の消火活動に手をこまねいている、思っていたより動きが遅いと思ったがどうやら一部の怪我人を治療しながら火を消すという、まだるっこい並行作業をしているらしい。

 随分悠長にやっているが、彼らには自分達が襲われているという自覚が無いのだろうか?それとも自身の魔法や魔力にそれほど自信があるということか?


 私達はそんな彼らを尻目に沐浴室の壁まで来ると事前に土の属性魔法で切れ目を入れておいた壁に魔法を打ち込んで破壊する。轟音がするが元々出口から遠い沐浴室には側仕えも上級神官もいやしない。

 土の属性魔法の使える神官Eが生きていればもっと穏便に出口を作れたのだが今更どうしようも無い。それに直ぐにこっちで起きた物音などかまっていられなくなる。


 誰もいない上級居住地入り口までくると神官ABに用意させていた油樽を入り口からまだ火の手が上がる玄関の方へ放り込ませる。

 爆音と共に樽が弾けて当たりに油を撒き散らす。火の勢いが収まりかけていた玄関から談話室は花火が弾けるように燃え盛る。今ので何人か油を浴びて全身から火を噴いている者がいる。ほうっておけば数分もたたずに死んでいくだろうがそこまで私は待つつもりはない。

 ソウルイーター体で炎の中につっこみ瀕死の人間からざくざく『魂狩り』をしていく、さらに炎の近くで消火活動に励む神官たちもざくざくやって行く。熱と煙に体力と精神を削られている神官たちに致命傷を与えて魂を狩るだけの簡単なお仕事。


 神官たちが異変に気付いたときには談話室にいた人間の半数が減っていた。後は異変に気付き炎の側から離れた側仕え数人と、背後で治療を受けていた者と治療をしていた者たち。

 何者かに襲われていることにようやく気付いた彼らは火から離れ固まり、周囲を警戒しだす。


 さすがにこの状態で私が火から飛び出るとばれてしまうので私たちが出てきた沐浴室側の出口にも火を放ち、彼らはこのまま放って置くことにする。警戒し続けるのは体力を消耗するだけだし、このまま襲撃者が何も仕掛けてこないと分かればまた消火活動に入るだろう。消火が終わり気が緩んで体力も消耗した彼ら背後から襲うのは簡単だろう。勿論彼らを襲うのは一緒に炎から抜け出してきた上級神官Iと側仕えの中級神官Hである。

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