14.ある下級神官たちの夜2
下級神官はふらふらと奴隷に手をひかれるまま暗がりへと進む。奴隷の豊満な胸元を見ているとなぜだか頭がぼんやりとしてきて気持ちがよくなって上手く頭が働かない。おかしいな、酒には強い方だったのにと独りごちながら、そういえば今日はこの奴隷は嫌に大人しいなと気が付いた、奴隷たちの中でも一番年長のこの奴隷は圧力の影響を多分に受け日中まともでいられる時間の方が短いのだが。今日はあの中級神官に大人しく従い神官たちに酌もして回っていた。そんなまるで使い物にならない奴隷がまだ処分されずにいるのはひとえにこの熟れた体つきと男を意のままにする見事な手腕だった。その結果彼女は多くの上級神官たちからの『お気に入り』という寵愛を受けている。頭がおかしくなってもその男を籠絡する技術は身に染みて残っているのだろう。
下級神官はごくりと喉を鳴らし視線を這わせそのゆらゆら動く尻に手を伸ばそうとした、その時。奴隷がふと立ち止まった。
見渡すと中級神官たちと酒を飲み交わしていた場所からは随分離れてしまった。いけない、仕事中なのだもう戻らないと、そう思うのだが意識は、首に下げた豪奢なネックレスを揺らす奴隷の胸元から外すことはできない。多くの上級神官たちのお気に入りの奴隷などが下級神官の手元に来ること等ない、彼女は奴隷でありながら下手をすると下級神官などよりもずっと強い力を持っている。その奴隷がいま自分のの手の中にいる。
奴隷は意味深な視線を下級神官に送りながら空いた胸元をさらにはだけていく。下級神官は場所も忘れて奴隷の胸の谷間に顔をうずめた。その拍子に何かちくりと眉間に刺さるものがある。恐らく奴隷が下げているネックレスの飾りだろう、しかし何故奴隷がこんなものを身に着けているのだろう?布や食事のような暮らしに必要なものではない。いくらお気に入りだとしても上級神官が奴隷にこんなネックレスを送るだろうか…?
頭の奥で小さくささやく声を聞きながら下級神官の意識は闇に解けていき―もう二度と目を覚ますことはなかった。
「すいません、任せてしまって。あっこいつっ」
「いやいや、大丈夫だよ。彼も疲れているのだろう少し休ませてやろうじゃないか」
下級神官が厠から戻ってくると同僚はもう潰れて奴隷の膝の上で寝息を立てていた。ご丁寧に奴隷がかぶっていた布までかけられている。頭から布をかぶった体が規則正しく寝息と共にゆれている。
「すみません、こいつが迷惑かけて」
膝を貸している奴隷に声をかける。本来なら奴隷の立場の者にこんな風に気遣いやましては謝罪などありえないはずなのだが上級神官の「お気に入り」とはここではそれだけの力があるのだ。
その分「お気に入り」では無い者たちの扱いは良いとはいえない―それこそ『チェノボグの使い』の器の代わりにされるぐらいには。
奴隷は気にしていないという風に微笑んで見せる。その微笑みは確かに多くの上級神官の「お気に入り」なるのも肯けるほどの色香と母性があった。
下級神官は柔らかな膝に埋もれる同僚に胸のうちで罵詈雑言を吐きながら座を勧める中級神官の隣に腰を下ろした。
「普段はこんなに酔っ払う奴じゃないんですが…」
中級神官に意味の無い言い訳をすると、彼はいいよいいよと手をふった。
「きっと疲れていたときに飲んだからいつもより強く回ってしまったんだろう。君達の体調も考えずに誘ってしまって私こそ悪かったよ」
この中級神官はいい人だなぁとうっかり感動しかける。どうやら自分も随分酔いが回っているらしい。
「いや職務中なのに誘いに乗った俺達が悪いんですよ、こんな所誰かに見られたら…いやもし誰かに襲われでもしたら…」
「『チェノボグの使い』の器かい、いやまさか私もああは言ったけど『チェノボグの使い』の器が本当に一人でこんな所に乗り込んでくるわけ無いじゃないか、心配のしすぎだよ」
陽気に笑う中級神官に下級神官もつられてわらう。奴隷は依然微笑を浮かべたまま膝に乗せた布の塊をなでていた。ちくしょう。
下級神官が奴隷に目線を向けたその時、奴隷の更に後方から、カツンッと何か硬質なものが地面に落ちる音がした。
「?」
思わず中級神官を顔を合わせる。同僚はまだ奴隷の膝の上だ。
「ちょっと見てきます」
「大丈夫かね?」
「一度中座して酒も結構抜けているので大丈夫ですよ、洞窟の捜索から帰ってきた神官が疲れ果てて倒れでもしたんじゃないですかね?カンテラ借りていいですか?」
「そんなことならいいのだが。ああかまわないよ、持って行きなさい。」
下級神官はカンテラを借り受け、扉付近に設置している松明から火を移す。予備の手持ち松明はあるのだがあれは一度つけるといちいち火を消すのが大変だ。ちょっと言って戻ってくるだけならカンテラの方が簡単でよい。
中級神官にああは言ったものの幾許かの不安と緊張を胸に乗せ音のした角の向こうへと足を向けた。
下級神官が角を曲がると自分と同じ神官のローブが見えた。階級の刺繍まではこの距離と暗さでは読み取れない。神官のローブはきちんと中身があり、どうやらこの路地の一番奥の壁に背をもたれて座っているようだった。もしや本当に疲れて倒れているのかと下級神官が近づいていく。
いや、おかしい。本当に下級神官が疲れて倒れているのだとしても下級神官の居宅施設はもっと離れた所にある。なら奴隷の膝で寝こけている同僚のように酔っ払ってこんな所まで紛れ込んでしまったのか?いや、それこそありえないだろう。あの男が見つかろうと見つかるまいと明日は早朝から儀式を再開する予定なのだから。では、あの神官は何故こんな所で座り込んでいるのだろう。
下級神官は近づくにつれ座り込む男のローブが下級神官のものであることに気がついた。そしてもう一つ気がついたことがある。自分はこの神官に見覚えがある。いや、見覚えがある所ではない。こいつはさっきまで奴隷の膝で眠っていた同僚ではないか?なんでさっきまであそこにいた奴がここにいるんだ。いや、まてあの奴隷に膝枕をされていた同僚は頭から布をかぶっていた。俺はあいつの顔を確認してないじゃないか、しかしあの中級神官と奴隷は何の疑問も持たずあの場にいたんだぞ、これは一体どういうことだ。あの奴隷と中級神官が俺を嵌めたのか、一体何のために?いや、そもそも、ここに同僚がいるのならあの奴隷の膝で寝ていた人物は誰なんだ。
ついに下級神官は壁にもたれかかる神官の目の前までやってきていた。カンテラの明かりに照らされる神官はよだれが滴り落年ながらその口をしわが寄るほどに開き、その瞳は今にも飛び出して行きそうなほど見開かれていた、。それはまさに苦悶の表情で自分の方を見つめている。いや、見つめてなどいない。その瞳はもはや何も映さない。下級神官の同僚は暗がりで壁に持たれ、事切れていた。
「…っ!」
驚きのあまり声の無い悲鳴を上げる。いきなりの事に脳が付いていかない。それでも下級神官はありえない異常事態を周囲に伝えるため鳴子を鳴らそうと懐に手を入れた。
しかし懐に入れたては鳴子を取り出すよりも早く喉に何か絡みついた。その何かは自分の首に食い込み体を持ち上げようとしている。思わず懐に入れた手を首を絞める何かに伸ばすが冷たく硬いそれは自分自身の体重で持って下級神官の気道をふさぐ。喉をつぶされた下級神官はもはや悲鳴を上げることも出来ない。左手に持ったカンテラが指をすり抜け地面落ちる。踏み鳴らされた硬い土の地面に落ちれば大きな音を立てたろうそれは、しかし地面と衝突する寸前に闇から伸びた誰かの手によって受け止められた。
闇から出てきた手はそのカンテラの光で下級神官と自分を照らす。
誰だこいつは―
見たことも無い黒髪の下級神官、それが薄れいく意識の中で彼が最後に見たものだった。