13.ある下級神官たちの夜1(挿絵有)
下級神官たちが誘いに乗る理由が弱かったので少しつけたしました。
11/14挿絵追加しました
夜もふけた丑三つ時。上級神官の居住区へ続く門の前で、二人の下級神官はあくびをかみ殺していた。
「結局見つからなかったなあの男」
「やっぱりどっか洞窟の隅で行き倒れてるんじゃないのか?」
「それにしても見つからなさすぎだろう」
二人が話しているのはもちろん逃げ出した『チェノボグの使い』の器のことである。いくら奥に行くほど入り組んでいる洞窟でも下級神官と中級神官合わせて50人近くの人間が半日かけて捜索したのだ。いくらなんでも見つからないのはおかしい、下級神官の間ではきっと洞窟の隅で行き倒れているのだという説と洞窟の奥に上級神官さえも知らない秘密の抜け穴を見つけて外にもう逃げてしまっている説、そして最後は自分を『チェノボグの使い』の器にされると知った男が自分達に報復するために居住区近くで息を潜めてこちらを狙っているという説だ。前の二つはともかくとしてさすがに最後の説は無いだろう。もし居住区近くに潜んでいるならそれは洞窟から逃げるために隠れているのだ。それが一番自然だし一人で80人近くの組織を何の装備も無しに襲撃するなど莫迦の考えである。
そんな話を眠気覚ましに―彼らも『チェノボグの使い』の器の男を探して半日洞窟を這いずり回った者達で結局碌に休憩もできぬまま上級居住区警備のシフトが来てしまった―している彼らにある音が聞こえた。
足音だ、交代の時間はまだ遠く、こんな時間に上級神官の居住区に用のあるものもいない。二人は顔を見合わせる。
何かあれば呼子を鳴らして別の場所に詰めている神官を呼ぶこともできるが、今もなお逃げた男の行方を他の下級神官たちが探している。現在の居住区は常よりもずっと人が少なかった。まさか下級神官の目をかいくぐって居住区の奥にまで侵入してくるはずも無いが用心にこしたことは無い、二人は音のした方をじっと見つめる。
やがてその足音はすぐそばの角から、カンテラを持った中級神官の姿になって現れた。その後ろには何かを大事そうに抱えている、体に布を巻きつけた人物がゆったりとした足取りでついている。
「お勤めご苦労」
中級神官が笑顔で声をかけてくる。80人程度の狭いコミュニティにおいてほとんどの神官は知人か友人の関係に位置づけられる。二人にとってその中級神官は知人程度の間柄の人間だった。顔は知っているが話にはあまり聞いたことがないその中級神官はつまりいたって普通の人間であり、良き隣人でもある。下級神官二人はすぐ警戒を解き体を正して中級神官に神官同士の礼の姿勢をとる。
「こんな時間までお疲れ様です。何かありましたか?」
下級神官は中級神官に問いかけながら背後に立つ人物に意識を向けた。布に包まれた状態でもわかる魅惑的な体の凹凸にその人物は女だとしれた。だとしたら奴隷だ。上等で綺麗な布をショールのように頭からかぶっていられるのは上級神官たちのお気に入りの誰かなのだろう、そういえば布から除く顔の一部も、高級娼婦のような体つきも確かに見覚えがある。こんな時間にお気に入りの奴隷が上級神官の居宅にくるのに理由など一つしかないが、さすがに今日は上級神官の誰からもそんな通達は受けていなかった。
「いや、昼も大変だったのに夜通しの警護はつらいだろうと差し入れを持ってきたんだよ」
中級神官は笑みを絶やさない。背後の人物は抱えていた包みの結び目を解いて手に持っているものを見せた。そこには確かに二人分の軽食に丁度いい量のサンドイッチがバスケットに入れられていた。
「わざわざすみません。大変ありがたいです」
「いや、なに。どうにも眠れなくてね。気分転換に付き合ってもらいたいと思って持ってきたんだよ」
そういって中級神官は笑みをいたずらした子供のように変えてローブの内側から黒っぽいガラスの瓶を取り出した。下級神官の一人はその瓶に見覚えがあった。確か下級神官の初任給では手の届かないような高級ワインだ。
「いや、私たちは職務中ですので…」
そういって遠慮するが二人の視線はワインにくぎ付けだ。
「良いじゃないか、二人とも朝から働きづめだろう。それにここで3人で飲めば誰か来てもすぐにわかるしもしあの男がここに現れたとしても、よっぱいが3人でもいれば取り押さえられるだろう?ほら何なら、こう言おう上官命令だよ、付き合いなさい」
舌先に悪魔の誘いを乗せながら中級神官はガキ大将の様な顔で笑う。本来なら職務中に飲酒など許される事ではない、それにこんな場所で酒を飲み交わしいれば誰に見咎められるか知れない。しかし下級神官たちは疲れていた。ついでに言えば腹も減っていた。それにいくら高級ワインだろうと3人で1瓶であるなら酔いつぶれることも無い。それにこんな夜更けだ誰に見咎められもしないだろう、それに彼もここまで言うのだ、もし責任を追及されたらその時は中級神官にその責を負ってもらおう。
「そういうのならば…」
形だけ断ったつもりの下級神官二人は渡りに船とばかり中級神官の言葉にうなづいたのだった。
「大丈夫かね?」
中級神官は顔を青くしている下級神官に尋ねた。
「いや、すみません急に腹の調子が悪くなりして」
下級神官はそういって両手でお腹を押さえる、よく見ると顔にはびっしり油汗をかいている。
「それはいかん。私の差し入れが悪かったのかもしれん。君は何ともないかね?」
中級神官はもう一人の下級神官に声をかけた。ぽんやりと奴隷に酌をしてもらっていた下級神官は今気づいたとばかりにこちらを振り返る。
「なんですか?」
「いや、大丈夫そうだね。なんでもないよ。君、薬をもらってくるかね?」
奴隷の胸元にちらちら視線をやりながら答える下級神官に、中級神官はため息をおとして、下腹を押さえる下級神官に声をかけた。いくらこんな時間でも薬品庫には警護のために詰めているものがいるので事情を話せば腹下しの薬ぐらいなら都合してくれるだろう。
「いえ、大丈夫です。もともと下しやすい体質なんです。ちょっと失礼して厠に行ってきてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。ここは私もいるからちょっと休んできなさい」
「本当にすみません。差し入れまでしてもらったのに…」
「構わないよ、任せておきなさい」
「本当にすみません」
ペコペコ頭を下げ腹を押さえながら下級神官は共同厠に走って行った。随分と切羽つまっていたらしい。
中級神官が走り去る下級神官の姿を見送ってから、もう一人の下級神官を振り返るとそこには下級神官も奴隷の姿もなくなっていた。