猫のぬけみち
いっぴきの猫がいた。
ほかの野良猫よりも体は大きく、長いしっぽをぴんと立て、ゆうゆうと商店街を歩いている。
日本にいる猫とはちがって、長い毛をまとったその姿は、ただでさえ大きな体が、さらに大きく見えた。黒と茶色と白。三つの色のついた毛が、頭から足までグラデーションのように流れている。
頭は黒く、足が白いのが特徴だ。
彼の名は『ごろう』と言うらしい。
商店街にあふれる人たちが、その名を呼んでいる。
ごろうは人気者のようだが、まわりの人たちが呼んでいるのに、返事もしない。
でも人間のそばを選んで歩いている。
この商店街には猫が多いのだろうか、と思ったがそんなことはない。
人通りの多いこの道を歩いている猫はごろうだけだ。
他にも猫はいるだろう、でも人だかりが怖いのか顔を見せることはない。
ごろうは魚屋の前で止まり、鳴き始める。
その声を聞いて出てきた魚屋の店主は、売り物ではない魚の切れ端をごろうの前に置いた。
ごろうはその場で魚にかぶりつき、店主はその間にごろうを撫でている。
食べ終わると店主に向かって小さく鳴き声を放つ。そして次の魚屋に向かって歩いていった。
この商店街には魚屋以外にもたくさんの店があるが、目当ての店以外はすべて素通りしていく。
ごろうは表通りを抜けて、裏路地のほうへ歩いていく。そこにはたくさんの猫たちが集まっていた。
猫と猫がであえば喧嘩していることもおおいだろう。
しかし、そこに集まっている猫たちは、ごろうをまるで王様のようにあつかう。
まるでハーレムのように雌猫たちがむらがる。どうやらごろうはこの猫たちのボスのようだ。
ごろうは猫の王様。でもひとつ不思議に思ったことがある。
それはごろうが他の猫と喧嘩しているときだ。その日は見たことのない猫がごろうと喧嘩していた。
体中真っ白な猫だ。
白い猫は体こそ大きくなかったが、顔は傷だらけ、白いのに足だけ異様に汚れている様、
やせ細っているその体は、ごろうよりも数段野良猫らしい。
白い猫との喧嘩に、ごろうはすんなり負けてしまう。
王様と兵士の戦いを見ているようだった。
商店街の人たちからエサをもらい、ぶくぶくと太ったその体では勝負にならなかった。
しかし、ごろうは王様の椅子から降りることはなかったのだ。
動物なら腕っぷしの強さが地位を決めるはずだ。
でもごろうは負けても王様、それが不思議でたまらない。
その答えはどうやら夜にあるようだ。商店街のさらにおくをいくと大きな道路がある。
四車線の国道、夜でも車がいきかう道路だ。
道路のわきにある歩道の藪の中に猫たちが集まっていた。すると一匹の猫が道路へと飛び出す。
飛び出したのは喧嘩していた白い猫だ。
白い猫がライトにさらされる、それにびっくりしたのはもちろんのこと、白い猫は急いで引きかえした。
危うく白い猫は車に引かれてしまうところだった。
白い猫と入れ替わりで今度はごろうが飛び出してきた。ごろうもこの道を渡ろうというのか。
とてもじゃないが見ていられない。いくら猫であろうとも、あの太った体では無理だろう。
あの白い猫のほうが、まだ渡れそうな気がする。
しかしごろうはいとも簡単に道を渡り、しかも反対車線から歩いて戻ってきた。
その勇姿にほかの猫たちは歓喜の声をあげた。まるで暴走族が度胸試しにおこなうチキンランのようだ。
勝負に負けた白い猫はがっくりとうなだれながら、とぼとぼと重い足取りで去っていく。
納得がいった、ごろうが王様でいられるのはこのゲームが強いからだ。
臆病者は去り、勇気ある者だけが残る。ゆうゆうとした姿で歩くごろうは、まさに王様だ。
勝利をたたえる歩行者用のメロディーが、猫たちの世界に響きわたった。