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8 因縁

 ヘルムート一行が到着した翌日。シャロンの案内の下、ヘルムート、リヒャルト、オスカー、ナダルの四人とルシタニア人の護衛兵五人は街中に出歩いていた。ジェクスは護衛の任務を終え、しばしの休暇をもらっていた。

「ここが、我が国で最も大きい公園“クライスト・マルク”になります」

 シャロンが可憐な笑みを浮かべて紹介すると……

「ほぇぇ!」

 リヒャルトが目前に建つ像を見上げて、感嘆の声を上げた。

「広い公園にも驚きを禁じえないです。でも、それより驚いたのは、このデカい像――“リドリー”という人物ですよ。誰です、この人?」

 この彼の質問に答えたのはシャロンではなく、ナダルだった。

「この方はリドリー元帥だったと思う。確か、ここの国の最高軍事指導者として、数十年に渡ってディスメルド・マーチを守ってきたお方だ。その軍事的手腕といったら、ゼフィオン大帝に勝るとも劣らないと言われているが、性格面に問題があると聞いている」

「あら、博識ですのね」

 シャロンはキョトンとした表情で呟いた。

「……実は私、この国の出身でしてな」

「え?!」

 ナダルが無表情で言うと、ヘルムートは、珍しく驚愕の表情を見せて訊ねる。

「お前、ルシタニアの出ではなかったのか?」

「出身はディスメルド・マーチです。今まで話したことはなかったので、驚いて当然でしょうな。私は閣下の副官として働く以前、閣下が幼少の頃から“お世話”をさせて頂いてましたが、必要以上に素性を明かす必要はないと思っていました」

「確かに、私の“世話”をするために必要なことではないが……」

 ヘルムートは口をつぐんだ。いつも簡潔で面白みのないやり取りを好むナダルに、ここまで驚かされるとは、彼は思っていなかったのだ。

「申し訳ありません」

 ナダルは頭を下げた。

「謝るほどのことではないでしょう。そういえば、わたしの母も外国人だったのですよ」

 シャロンが呟くように言った。

「ほう」

 と、ヘルムート。

「ええ。わたしが生まれて間もなく父と離縁してしまったため、わたし自身に母の記憶はないのですが、コルマール民主共和国の貴族だったと聞いておりますわ」

「国境を越えた愛。素晴らしいね」

 リヒャルトが茶化すように言うと、今回はいつもと違い、ヘルムートとオスカーもそれに頷いた。いつもはツッコミ役のヘルムートやオスカーも同じ思いだったのだ。

「……ところで、シャロン様。案内の続きをお願いしても?」

 ヘルムートがシャロンを見つめる。

「話が過ぎましたわね。もちろんですわ」

 彼女は笑顔で答えた。




 ヘルムート一行がシャロンに案内されていた日の軍議では、ディスメルド・マーチ連合軍の中核を成す将軍達が参席していた。最高司令官リドリー元帥、副司令官ハートベイカー大将、遊撃機動軍司令官フレドアンス中将、国境警備軍司令官ハーラン中将、義勇軍司令官クレス少将である。

「コルマール軍を防ぐための作戦は、まだ立案されていない。各々の“知”を駆使して作戦を組み立ててもらいたく思う」

 話を切り出したのは、リドリー元帥だった。“昔は名の知れた戦士だった”というより、“昔は優秀な参謀だった”と言うべきこの老人は、穏やかそうな白髪白眉に加え、軍人とは思えない優しい輝きを瞳に宿した人物だった。しかし、内実は見かけによらず、苛烈で容赦のない人物として知られている。

「まずは私から言わせてもらいましょうか」

 そう言って立ち上がったのは、柔軟な思考力と優れた守備力に定評のあるハーラン中将だった。元帥が頷くのを見てから、逞しい胸を反らせて一息つき、彼は説き始めた。

「基本的な戦略としては、正面からの戦いは避けるべきかと。敵軍の指揮官は、女性と言えど大陸切っての勇将であり知将です。まともにふつかっても少数なら少数なりの、多数なら多数なりの方法で我が軍を翻弄し、撃破していくでしょう」

「……必ずそうなるとは限らない。こちらは“雪山育ち”で、あちらは“海岸育ち”だ」

 静かに反論したのは、フレドアンス中将だった。自ら率いる“鉄騎団”によって、敵軍を短時間で粉砕する攻勢型戦術を得意とするため“猛将”と呼ばれている男だが、見かけからはそのあだ名に結びつかない。中肉中背の体つき、端麗な容貌、寡黙だが度胸を備えた男だった。

 年上だが同格の将軍に対して、ハーランが頭を振って答える。

「だからといって、油断はできません。確かに、こちらには地の利があり、この地方での戦い方も熟知しています。

 しかし、今回の侵略にはコルマールの他にアランドラも絡んでいると考えられており、我が軍との戦いに慣れたあの国によって、こちらの戦略や戦術が漏洩していると考えて良いでしょう。正面からぶつかって犠牲者が増える前に、敵軍の疲労を誘発すべきでは?」

 ハートベイカー大将は、ハーランの言葉に同調して頷き、立ち上がった。

「その通りだ、ハーラン中将。情報は物資に次ぐ戦略上の要点、敵の手が我らの国土に及ぶ前に民衆を後方へ避難させ、焦土作戦を実施すべきだろう」

「なるほど……しかし、戦争が終わって国内を再建するには、多大な時間がかかるのではないでしょうか?」

 フレドアンスが、ハートベイカーに向かって訊ねると、

「……ほっほっほ」

 リドリー元帥の笑い声が会議室に響いた。

「きっとな、国内の再建をする前に人手が足りなくなるであろうよ。戦争が起きれば、農民は死ななくても兵士は死ぬ。兵士が死ねば農民は徴兵され、農民の人数は減る。

 簡単な引き算よのぅ」

 元帥が言い終えた直後に立ち上がったのは、義勇軍司令官クレス少将だった。長身で逞しい身体つきの少将は、守勢からの一転反撃を得意とし、“ここぞ”といった時の機動力には目を見張るものがあった。しかし、瞬間的な攻撃が終わってしまうと、義勇軍という立場上、兵力も訓練も満足できるものではなく、いち早く後方に戻す必要性が生じる。

「私が農民の出であることは周知の通りですが、故に農民の気持ちもあなた方よりはわかっているつもりです。

 きっと、彼らの中には土地を離れたがらない者がいるでしょう、我が軍にも敵軍にも抵抗する者もいるでしょう。

 これに対する処置はどうなさるので?」

 裂けたような大きい目を見開いて、クレス少将は老いた将軍に視線を叩きつけた。

「……我々の国は民主共和国ではないのだよ」

 最高司令官の返答には、無表情で聞いていたハーランとフレドアンスも表情を変える。ハートベイカーだけは無表情を貫いていた。

「民を強制的に疎開させようと言うのですな。しかし、民なくして国家は成り立たちませんぞ」

 むろん、そう言ったのはクレスだった。

「それはわかっておる、少将。しかし、反抗するであろう民を含めた多くの人命を救うために必要な措置なのだ。

 戦争が終わって、まだこの国が生き長らえていたとすれば、私は軍部の専門家達の中から、優れた農業管理者を選び出し、軍の人的資源を各農家のために割くことを約束しても良い」

 リドリーは、厳しい口調で提案した。

「……なるほど、かしこまりました」

 一見、クレス少将は引き下がったようにも見えたが、彼はこの提案の矛盾に気づいていた。国家の防衛に成功しても、強敵を相手にしたため軍事力は疲弊する。そうなると、軍が兵士を各農家のために割くなど考えられなかった。

「わかっていると思うが、勝手な行動はならんぞ」

 ハートベイカーがクレスを睨みつける。

「私も武人である以上、いつまでも軍部の方針に異論を差し挟んでいるつもりはありませぬ。しかし……」

 農民出身の将軍は、立ったまま言いよどんだ。握り拳が小刻みに震えている。

「しかし?」

 じれったそうに、フレドアンスが先を促す。

「その任を果たすために、私を遣わして頂くわけには参りませぬか? これは自論を諦めるための条件ではなく、単なる請願として受け止めてもらいたい」

 それを聞いたリドリー元帥は、しばらく思案する顔を作り、やがて口を開いた。

「……認めよう。しかし身の安全のため、貴殿には四〇〇の精兵を与えようと思うのだが?」

 身の安全のため、という言葉がクレスの頭の中で反響した。恐らくは、お目付役といったところなのだろう。

「謹んで承る」

 畏まったようにクレスは言い、やっと席に腰を下ろした。それを確認すると、リドリーは諸将を見渡した。

「さて、更に深く進んだ作戦案についてだが、我が軍は焦土作戦によって敵軍の補給線に打撃を与えることでよろしいかね?」

 誰も異論を唱えることはなかった。しかし、賛成の声がなかったのも確かである。

「では、これで決定とする。

 参謀長との協議の結果、各軍の兵力数は次のようになった」

 リドリー元帥は、兵力数の書き込まれた大きな紙を壁に貼り出した。

 

 リドリー=ハートベイカー統合軍:リドリー元帥以下……三万、ハートベイカー大将以下……二万

 国境警備軍:ハーラン中将以下……四万

 遊撃機動軍:フレドアンス中将以下……二万五〇〇〇

 義勇軍:クレス少将以下……二万

 合計:一三万五〇〇〇


「なお、部隊配置などの子細については、休憩を挟んでから説明するものとする。一時解散」

 全員が立ち上がり、最敬礼の後に休憩に入るため、部屋を出て行こうとした。

「ハートベイカー将軍」

 ハートベイカーを呼び止めたのは、リドリー元帥だった。彼はゆっくりと部下に近づき、耳打ちした。

「貴殿の“苦しみ”はわかる。が、今は戦時中。私情は捨てよ」

 その言葉に、ハートベイカーは無言で頷き、部屋を出て行った。






 三連城の貴賓室で、ヘルムートは、ゆっくりと目を開いた。朝の日差しが自分の胸の辺りに降り注いでいる。寝ぼけ眼でベッドから這い出すと、着替えることもなく寝ついていたことに気づいた。

「ん?」

 誰かが部屋の扉を叩いている。そんなに大きな音ではなかったが、寝起きの人間にとっては不愉快極まりない。

「誰だ?」

 扉を叩く音よりも大きな声で、彼は問いかけた。

「ナダルです。着替えが終わったら、食事の用意が出来ておりますので、第二食堂までお越し下さい。部屋の前に案内の侍女がおります故、彼女の後についていけばたどり着きますので」

「……朝食か? わかった」


 着替えを終えて、部屋の外に出てみると、白衣のような上着に身を包んだ、気の強そうな黒髪の少女が待っていた。

「お初にお目にかかります、アンゲルス卿。わたくし、侍女のシエラ・ダフネ・フレドアンスと申します。今日より母国へご帰還の日まで、子爵閣下の身の回りの世話をさせて頂く者にございます」

 黒髪の少女はスカートの裾をつまんで綺麗に一礼し、廊下を歩き出した。

「第二食堂までご案内致しますので、わたくしの後についてきて下さいませ」

 フレドアンス……どこかで聞いたような、とヘルムートは、彼女の後についていきながら思案を巡らせたが、ヘルムートがディスメルド・マーチの猛将フレドアンスに思い当たることは無論のこと、少女がフレドアンス将軍の従妹にあたることなど知るはずもなかった。

 一〇〇メートルも歩かないうちに、少女は余裕をもって扉の前で立ち止まった。

「こちらが第二食堂になります。わたくしはアンゲルス卿の後ろに控えておりますので、何かございましたらお呼びくださいませ」

 扉が自動で開いて――恐らく食堂の中に扉の開閉を担当する者がいたのだろう――、ヘルムートは近くに直立している料理人らしき中年の男に挨拶をして、空いている席についた。扉の横に控えていたナダルも、ヘルムートの背後を守るようにして席につく。

「お、兄上のお出ましか」

 そう声を上げたのは、無論、リヒャルトだった。

「化け物が出たみたいに言うなよ」

 そう応じたのは、無論、オスカーだった。

「兄上は一種の化け物さ。女にモテてしょうがない」

「本人はいつも迷惑そうだけど」

 双子の弟は兄よりも先に席を陣取っており、下品とは言わないまでも、決して上品とは言えないぐったりとした姿勢で座っていた。

「声が高い」

 ナダルがたしなめた。

「はっはっは」

 料理に唾が飛ばないよう注意しながらも高らかな笑い声を上げたのは、料理人らしき中年の男だった。

「これは失礼。仲の良いご兄弟で羨ましい限りですな。

 申し遅れましたが、私はこのお城で料理長を勤めさせて頂いているガスパルという者です。私には姓名の区別がないので、ガスパルとだけお呼びください」

 ガスパルと名乗った男は、太鼓腹を揺らして言ったかと思えば、さっさと言葉を継いだ。

「今日の朝食は、我が国の伝統的なパン料理『バッカス』になっております。こんがりと焼いた食パンは、赤ワインにつけてヴァヴァガロを少々かけて頂ければ、より美味しく召し上がることができますよ。ヴァヴァガロは、見た目こそ七味唐辛子に似たり寄ったりの我が国特有の調味料ですが、意外にもアルコール類に合った甘みを持っています」

 彼が話し終わった瞬間には、すでにリヒャルトとオスカーは、ヴァヴァガロをかけたワインづけのパンを口の中に放り込んでいた。目の前の長テーブルにはワインの飛沫が僅かに飛び散っている。

「こりゃ美味だね」

「全くだよ」

 双子は頷き合いながら、次から次へとパンを口に放り込んだ。

「おい……」

 ヘルムートが怒りを露にして言った。

「あ、ごめんなさい。傭兵生活が長かったもんで、こんなちゃんとした食事は久しぶりなんです。あまりに美味そうでつい……」

 とオスカーは言ったが、手はパンを握ったままだった。

「いや、私の話が過ぎました。それに、お褒め頂けるとは嬉しい限りですよ。ベーコンとソーセージ、目玉焼きもご一緒にどうぞ。ただ、ハートベイカー閣下が来るはずなので、もう少しお待ち頂きたかったのですが……」

 ガスパルは笑顔を崩すことなく、何気なく言おうとしたちょうどその時。

「遅れて申し訳ない」

 突然、扉を開けて入ってきたのは、礼服姿のハートベイカー大将だった。

「お食事をご一緒させて頂こうと思いましてな。失礼するよ」

 よくテーブルを見回してみれば、ヘルムートの正面の席が空いたままだった。

「閣下、お時間はよろしいので?」

 ガスパルが不安そうな表情を見せた。

「ああ、言うまでもなかろう」

「これは失礼を。

 では皆様、ごゆっくりどうぞ」

 ガスパルは食客全員に一礼して、厨房に戻っていった。

 食べ始めてから数刻が経過した頃。

「ところで、アンゲルス卿」

 ハートベイカー将軍は唐突に言った。

「は……」

「そんな畏まらなくても良い。

 先日の軍議で、我が国はコルマール第七軍の軍事侵攻が確認された。そのため、貴殿の母国――ルシタニア帝国への経済援助を要請することになったんだが……」

「ほう、女将軍が攻めて来たのですか。

 ところで、今度は私が使者となれ、ということでよろしいのでしょうか?」

 ヘルムートは、ハートベイカーの意図するところを正確に読み取った。

「あ、いや、失礼。しかし、そう聞こえたものでして。つい口が動いてしまいました」

「気にすることはない。その通りだからな。

 ――ということで、重要文書を貴殿にお渡しするため、本日の正午に使いの者がそちらの部屋を訪れる。その時間帯は、できるだけ部屋に留まってもらいたい」

「承知しました」

 とヘルムートは言って、断りもせずに食べ始めた。

「……面白い青年だ、貴殿は」

 バッカスを口に運びながら、ハートベイカーは呟いた。リヒャルトとオスカーが神妙そうな顔で聞き耳を立てている。

「どこがです?」

「そうだな……アレクサンドル大王の面影がある、とでも言っておこうか」

 その言葉に、ヘルムートはバッカスを喉に詰まらせて苦しみ出した。

「がっ……アレクサンドル大王、ですか?」

「ご存知ないかな。

 彼は、我が国で最も有名な名将の一人として知られている。先々代の国王の七番目の弟にあたる人物で、王族でありながら戦術家として優れた手腕を発揮し、大陸暦三九六年に亡くなるまで、四〇の戦いを勝利に導いたと言われている。後に政界へ転じ、有能ではないにしても堅実な行政能力には定評があり、大陸暦三九四年に我が国の統合案を提示したという」

 この話を聞き終わった時、ヘルムートには、ナダルが好奇心よりも嫌悪感を露にしていたことが印象に残っていた。彼がここまで感情を面に出すのは珍しいことだったが、敢えてそれを訊く気にはならず、ヘルムートはそれを記憶の隅に押しやってしまった。

 しかし、“因縁”というものが本当に存在するのならば、彼はナダルが嫌悪感を露にした理由を訊くべきだったのである……

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