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7 北方の雪国

「国境警備隊か、あれは?」

 オスカーは地平線を凝視しながら呟く。彼の視線の彼方には、黒い影が横一面に広がっている。それは止まっているようだった。

「だとしたら、ずいぶん多いな」

 先頭を進むヘルムートが静かに応じた。

「警戒しているのですか?」

リヒャルトが問いかける。

「この辺りの治安は抜群と姉上に聞いたから、賊ではないだろう。だが、用心するに越したことはない。今回は戦闘員だけではないのだから」

 兄の返答に、双子は顔を見合わせて苦笑した。

 結局、オスカーの疑問は正しく報われ、先程の影は国境警備隊であった。

 ヘルムート一行が、互いの容貌が確認できるほど集団に接近すると、身なりの立派な青年騎士が馬から降りて、大声を上げる。

「私はブランド・マーカス・ハーラン中将、国境警備軍の総司令官です。アンゲルス閣下率いる騎士隊とシャロン姫の一行をお迎えに上がりました」

 訛のある帝国公用語だった。近づくにつれて、その顔に赤い刺青が目の周囲から下顎にかけて彫られていることに気づいた。

「警備軍?」

 首を傾げながら馬から飛び降り、ヘルムートが訊き返した。

「失礼。訳し方に差があるのを忘れていました。我が国では、警備軍と呼称するのです」

「なるほど。こちらこそ、いらぬことをお訊きしました。

 “国境警備軍”の協力に感謝します。首都までの案内をお願いします」

 ヘルムートは頭を下げて、手を差し出した。両者は握手を交わし、視線を交錯させた。

「貴殿が世にも名高い防戦巧者、ですな?」

 突然、ヘルムートが切り出す。

「……左様です。この刺青を見て、人は私を“赤い壁”と呼びますがな」

 少し自己満足に浸るように、中将は顔の赤い刺青を指でなぞった。

「この大きな声は誰かと思えば……あなたでしたのね」

 おっとりとした女性の声が、その場にいる全員を振り向かせた。シャロン姫が隊列の先頭まで進み出てきたのだった。

「お嬢、お迎えに上がりました」

 “赤い壁”は嬉しそうに微笑んだ。

「頼りにしてるわ」

 他の護衛達の“お嬢様”とか“姫様”とかいう言い方とは違う、とヘルムートは思った。二人が浅からぬ関係であることは確実だろう。

「アンゲルス卿、ここから先は緊張感を緩めても問題はありませんわ」

 シャロンは微笑んで言った。

「“赤い壁”の力は、戦闘以外にも発揮されていますから」


 四倍以上に増加した護衛部隊は、護衛対象の重要性を語るものであった。そして、皇帝ルーファウスとの会談の内容についても同様である。その内容について、ヘルムートが知ることは当分なかったが……


 五〇〇近い部隊が北上するにつれて、雪は馬が拗ねたように歩みを止めるほど深くなってきた。寒さにより衝撃への痛みが増しているため、馬に鞭を打つわけにもいかず、行軍速度は急激に落ちた。

「首都まで、あと何日くらいかかるか、わかりますかな?」

 ヘルムートが訊ねた。

「いや、もうそろそろ、三連城が見えてきてもおかしくはありません」

 ハーラン中将は苦笑するように答えた。視線はヘルムートの背後に注がれている。

「寒い」

 リヒャルトがヘルムートの背後でわめいていた。兜に収まりきっていない眉毛と前髪は凍りついている。

「寒い、寒い、寒い」

「うるさい!」

 オスカーが怒鳴ると、リヒャルトは一瞬で静まった。

「急いだ方がよろしいですな」

 ハーランは、ゆっくりとヘルムートに視線を転じた。

「お願いします」

 ヘルムートは、整った眉毛にこびりついた霜を落としながら答えた。

 この国の寒さは、ルシタニア帝国より北にある分、帝国領内のそれとは比べものにならなかった。帝国領内ならば、国境地帯まで行っても、日向に出れば多少の暖かさは感じられるのだが、連合領内では身体にまとわりついた雪が輝くだけに終わるのだった。

 とはいえ、ヘルムート一行は、すでに首都領域内に入っていたため、強烈な寒さからは少しずつ解放され、猛禽の三連城は視界を占領するまで近づいていた。


 ディスメルド・マーチは、血縁関係のある三人の年老いた国王と四五人の議員で構成された元老会議が政治的中核を成す、大陸北西部を支配している立憲君主制の連合国家だった。そして、六〇万以上の陸上戦力を備えた軍事大国でもある。

 外交関係では、大陸南西部のルシタニア帝国、大陸北中央部のマラネロス商業自由国と軍事同盟を結んでいる。逆に大陸南中央部のアランドラ同盟国、大陸南東部のコルマール民主共和国、サン=ナセル自由国とは、国家体制の面から対立関係にあり、それはルシタニア帝国の対外関係と全く同じである。

 首都のカラブリアは、何らかの温暖化措置が取られているのか、比較的暖かく、リヒャルトがわめくこともなくなった。

「なんと、まぁ……」

 ヘルムートは巨大な三つの城を見上げ、そう言うしかなかった。

「“偉大な”城ですな」

 ナダルは簡潔に感想を述べた。

 全ての城が雪の色に染まっているため、配色や城ならではの“美”に個性は見られないが、その大きさは“偉大”と称するにふさわしいものであることは間違いない。

「久々の故郷ですね」

 ジェクスは、シャロンに囁くように言った。

「ええ、お父様は元気かしら」

 少女はゆっくりと白い空を見上げる。

「元気でいらっしゃるでしょう。失礼ながら、お父上は色んな意味で破天荒なお方ですから」




「フェェ、クショッン!」

 ディスメルド・マーチ連合の軍司令官のみが所有を許される大きな執務室。洗練された容姿に似合わぬプブリウス・ロビニウス・ハートベイカー大将の豪快な“くしゃみ”は、上階で掃除をしていた侍女が飛び上がるほど大きなものだった。

「誰だ、俺の噂をしてる奴ぁ?」

 誰もいない部屋の中で、ハートベイカーはペンを回しながら呟くと、また事務に戻った。謀将と呼ぶには無理のある優しそうな顔に、“真剣”の文字が貼りついているかのようだった。

 軍事予算の割り振り、戦略部隊の編制、諜報活動、武器の生産・開発、平常・非常物資の調達、大規模演習の日程など、一軍の司令官の任務は多忙を極めた。中小規模の演習や訓練、戦術部隊の編制は“下の連中”に任せておけば何とかなるが、戦争の最重要課題は自ら解決しなくてはならない。それは軍規ではないのだが、彼はいつもそうしている。

 とはいえ、彼の専門は諜報活動や内部工作なので、それ以外は全面的な指導にあたっていない。

「ダリウス軍務官を呼んでくれ」

 ハートベイカーは警備兵に命じた。

 僅かな時間を隔てて部屋に入ってきた軍務官は、少壮気鋭にはほど遠い無気力そうな男だった。大抵の民間人は、彼が軍関係者だと知って驚くが、意外にも思い切ったことのできるこの男には、ハートベイカーも信頼を寄せている。

「御用でしょうか」

「用もなく呼ぶほど、俺はひねくれてはいないぞ。

 ……編制案をお前に任せたい。最近は動乱もなく平和続きだが、それが突如として終幕を迎えることもある。だから、非常事態に即応できるような部隊を二個師団用意しておいてくれ。俺からの注文はそれだけだ」

「では、“急襲部隊”から頂きましょうか」

 軍務官の言葉に、ハートベイカーは目をパチクリさせた。

「奴らでは、少々危な過ぎないか?」

 文字通り、急襲攻撃を専門とする特殊部隊だが、その扱いにくさはハートベイカーも辟易するほどなのだ。反逆・反乱行為、度重なる戦場外乱闘行為、半狂乱的戦闘行為……

「いえ、危ないからこそ選ぶのです。彼らも自国が存亡の危機となるような事態になれば、きちっと動くでしょうし、敵もあの戦いぶりでは――」

 ダリウスが言いかけた時、突如として一人の警備兵が執務室の扉を開け、直立不動の姿勢を取って敬礼した。

「会議中、失礼します、閣下」

「どうした?」

 突然に入ってきた警備兵に向かって、ハートベイカーは促した。

「ご令嬢が、無事、首都にご到着なさいました」

「やっと着いたか」

 父親は手元の紅茶を飲んで一息吐くと、

「迎えに行こう」

 と言った。


 ヘルムートは、前方から迫る威風堂々とした男に目を留めた。長身ではないが逞しい体格で、腕はゆったりとした冬着の上からでも筋肉質であることがわかった。唇の端を僅かにつり上げた顔は、悪っぽい中年貴族を思わせる。左の腰には裸の短剣が二本、右の腰には鞘に収まっている長剣が一本、差されている。

「貴殿は?」

 ヘルムートは身構えたが、ジェクスが彼の隣に歩み寄り、無言でその腕を押さえた。

 それを見た悪っぽい中年貴族風の男は、ゆっくりとした口調で答える。

「ディスメルド・マーチ連合第二軍司令官ハートベイカー大将。……ご存知かな?」

 若い騎士は、慌てて馬から飛び降り、

「これは失礼を」

 と言って跪いた。彼の頬を冷たい汗が伝う。一国の要人が護衛も連れずにいるのだ、驚かないわけにはいかなかった。

「お初にお目にかかります。護衛隊長ヘルムート・アンゲルス子爵です」

「ほう、お前があの……

 いや、話は後にしよう。我が国は諸君を歓迎する。せっかく来たのだから、しばらくこの国を見て回るといい。

 ……ジェクスもご苦労だったな」

 ハートベイカーがそう言うと、ルシタニア帝国の騎士達は歓声を上げた。ヘルムートとジェクスは飾り気のない笑顔を浮かべる。

 それを嬉しそうに見つめたハートベイカーは、視線をあちこち移して回った。

「あぁ、私事を持ち込んで悪いんだが、シャロンはどこにいるのかね?」

 そう訊いた瞬間、俊敏な動作でクリーム色の長い髪の少女がハートベイカーに飛びついてきた。

「お父様!」

「おぉ、シャロン! ご苦労だったな。少しは社会勉強になったか?」

 ハートベイカーは、笑いながら娘を見下ろした。

「ええ、もちろんですわ。異国には素晴らしい“殿方”もおりましたし」

 急に、シャロン姫は冷ややかになった。

「何?」

 父親の表情も一変する。少しの間、視線が泳ぎ、横で跪く一人の人物を見据えた。

「……この若い美人の騎士殿か?」

「それ以外にいまして?」

 冷酷の域に達した少女の視線は父親から離れ、“若い美人の騎士殿”に注がれた。

「ヘルムート・アンゲルス卿、面を上げなさい」

「はっ!」

 顔を上げた“若い美人の騎士殿”の目に飛び込んできたのは、意図的に左目を閉じた少女の顔だった。若い騎士は、突然の“ウインク”に驚き、心の中で狼狽する。

「全く……」

 ハートベイカーは呆れたように呟き、ヘルムートの後ろで立ち尽くす将軍に目を向けた。

「ブランド」

「……はっ」

「お前も一緒に来たらどうだ?」

「い、い、いえ、私には任務があるので」

 ハーラン中将は、顔を刺青と同じ色にして答えた。

「国境警備軍は忙しいことだな。わかった、職務に戻れ。

 ……さ、城内に案内しよう。積もる話もあるだろうからな」

 悪戯っぽく笑ったハートベイカーは、異国の客人を連れて、真ん中の城に向かった。 幹部だけに城内の案内をするため、騎士達は客人室に押し込められ、シャロンは自宅に戻っていた。現在はヘルムート、ナダル、リヒャルト、オスカー、ハートベイカーの五人しかいない。

 護衛隊の大部分がハーランとシャロンの関係について、共通の疑問を持っていた。その中に、疑問を口に出した人物がいる。

「……兄上」

 リヒャルトは兄に近づいて囁いた。

「何だ?」

 ヘルムートの無表情な返事があった。

「もしかして、シャロン姫って……」

 城内の廊下では、リヒャルトの声はヒソヒソとしか聞こえない。

「ハーラン中将と“深い関係”があるのでは?」

「そうかも知れないな」

 兄は無表情のままだった。何を考えているかわからないというより、何も考えていないような感じだ。

「でも確実に、兄上に気がある」

 オスカーが割って入る。ヘルムートの表情が微妙に変化した。

「やっぱ、そう思う?」

「ああ、だって――」

「ここから先が“王の間”だ」

 ハートベイカーの声に、兄をつつき回していた双子は黙り込んだ。

「とはいえ、三人の国王陛下はそれぞれの城で職務に励んでおられるため、今回はお目通しできない」

 突然、ヘルムートは心の中である推測がよぎった。王の間まで一騎士隊長を案内するというのは、全面的な信頼の証なのではなかろうか。そうすると、二国の間柄は更に近づいたことになる。ということは、あの美しく愛らしい特使の持ち込んだ書簡は……

「隊長?」

 気がつくと、ナダルが覗き込んでいた。ハートベイカー大将と双子の弟はもう歩き始めている。

「いや、行こう」

 ヘルムートは小声で言って、ゆっくりと歩き出した。

 ハートベイカーは突然振り返って、

「あ、そうだった。一つ言い忘れていたよ。君達も城の中に押し込められているだけではつまらないだろうから、後でシャロンの案内で街を散策してみてはどうかね?」

 と提案した。

「それは是非、お願いしたいですね」

 ヘルムートは微笑んで答えた。



 ……見渡す限りの雪景色の中、諜報員のもたらした情報がディスメルド・マーチ連合を震撼させた。

【コルマール民主共和国の第七軍がアランドラ同盟国領を経由して、ディスメルド・マーチ連合領を目指している】

 コルマールの第七軍。それは、たった半月で大陸北東部のタマルカンド帝国を滅ぼした“神速の女将軍”クララ・ハッキネンが指揮する精鋭部隊であった……

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