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4 冬の来訪者

 エトルランド草原での大規模な戦闘が終結してから三ヶ月が経過した。ルシタニア帝国領では、降り注ぐ雪が冬の到来を告げる頃である。動物は寝静まり、大都市の喧騒は鳴りをひそめ、人々や動物の声が鼓膜を刺激することはほとんどなくなっていた。

 ペルガモン城内では、参謀会議を終えて、二日の休暇を得たヘルムート・アンゲルスが部屋を出てゆっくりと歩いていた。彼は鎖帷子(チェーンメイル)以外には何も防具を身につけていない。彼の肉体は数週間に及ぶ戦いの日々に疲労してはいたが、チェーンメイルを通して視覚できるほどに筋骨の逞しさを誇っていた。

 青白い輝きを放つ雪を乗せた木造建築が主体の壮観。その中に美しい貴公子があるために、それは美観に変化するのであった。

「人は少ないか」

しかし、冬景色に染まった帝都を散策するために外へでている者は皆無に等しかった。逆に巨大な暖炉の温もりに身を委ねた城内が賑やかさを増したため、ヘルムートの神経は参ってしまったのだが。

 そこに、馬に乗って歩いてくる小柄な人影があった。長めの白いローブに身を包み、それよりも白々とした手でしっかりと手綱を掴んでいた。

「あの……」

 近づいてきたその人物は、遠慮がちに尋ねてきた。

「ペルガモン城は、正面に見えるあのお城でしょうか?」

「そうです。この地、帝都アッバースに、城は一つしかないので」

 異国の方だろうか、ヘルムートは思った。一つの街に複数の城があるという話は、大陸の中央に位置する大国ディスメルド・マーチ連合の『猛禽の三連城ウチェルド・プレダートレ・ブルク』以外に聞いたことがなかったのだ。

「そうですか、よかった……」

 よくよく聞いてみると、その声は――

「あぁ……えっと、お嬢さん?」

 どう首をひねろうとも、出てきた結論は『女の声』だった。

 彼は気まずそうに、その少女に話しかける。

「はい」

 透き通るような声が、彼の鼓膜を撫で回した。

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 彼がそういうと、少女は顔を赤らめた。

「あっ……自己紹介がまだでしたわね。

 わたしはディスメルド・マーチ連合のシャロン・アポロニア・ハートベイカーと申します」

 フードを外したシャロン・アポロニア・ハートベイカーの髪は、陽光を反射してやわらかに輝くクリーム色であった。

 少女の言葉を聞いて、若き騎士の目は見開かれ、畏怖するような色がその美貌に浮かんだ。

「これは失礼を、お嬢さん。ところで貴女、ハートベイカー大将の――」

「父をご存知ですの?」

 彼の言葉を遮ったシャロンは、不思議そうに首を傾げた。

「同じ道を歩む者の中に、貴女の父上を知らぬ者はおりません」

 彼は笑顔の裏で、記憶の人名図書館から『“謀将”プブリウス・ロビニウス・ハートベイカー』という書物を手繰り寄せていた。

 二六年前、ディスメルド・マーチ連合最大の内戦『東北戦役』では、ハートベイカー率いる反乱勢力が手勢二〇〇〇の軍で敵兵糧庫を襲撃、六〇〇〇の本陣防衛隊を兵糧攻めによる混乱で無力化し、敵将と内応して右翼部隊五〇〇〇を併合、左翼部隊の指揮官を暗殺した後、正面から戦いを挑んだ二五〇〇の陽動隊で敵陣中央を強行突破、本陣を混戦に巻き込み総大将ハメルを捕縛、倍以上の敵軍を敗走させた……。

 謀将の名をほしいままにするような男の娘が、なぜこんなところに……?

 その疑問は胸中にねじ込み、口からは違う言葉が出た。

「どういった用件ですかな?」

「“それ”から手を離して頂けるのでしたら、お答えしますわ」

 少女は、若い騎士の腰に提げられているものを指差して言った。

「それとも、身元のわからぬ少女の全てにその礼儀でお応えするのが、この国のルールですか、騎士殿?」

「……これは失礼を致しました、お嬢さん」

 目を瞬いた“騎士殿”は剣の柄から手を離し、そして付け足した。

「しかし、あまり得策とはいえませんよ」

「軽々しく父の名を口にすべきではありませんものね」

 少女の翡翠色の瞳に、一抹の影が降りたように見えた。気まずい雰囲気を振り払うように、彼は話題を戻す。

「ええ。それで、用件というのは?」

「……両国の友好と通商安定に関わる重要書類を携えております」

 本当なら、この若く美しい騎士に教える必要はなかった。だが、少女としては抽象的であっても内容を教えておけば、彼が門扉を開くよう口添えしてくれて、本来よりも早く城門をくぐれるという計算があった。

 その後に彼が取った行動を見る限り、功を喫したようだった。

 この人の好い騎士について行き、難なく王城敷地内に入った瞬間、彼女は絶句した。

 あらゆる美辞麗句を並べるに値する外観。かといって、城塞としての機能性が損なわれているわけではない。

 淡い陽光を受けて鈍い輝きを放つ鉛製投げ槍・投擲用岩石・弩が城壁に備えられ、壁自体には横に細長い穴があり、それが攻城兵器破砕機の発射孔となっているようだった。

 人体に悪影響を与え、鉄製・木製に比べ重量に優れることが鉛製投げ槍採用のきっかけである、と少女は父から聞いたことがあった。

「素晴らしいでしょう」

 シャロンの“可憐な美しさ”のある顔を視界の端に捉えながら、ヘルムートはいった。彼の視線も巨大な城に注がれている。

「ええ。籠城戦闘に特化していながら、優美さも損なわれてはいない……」

 ヘルムートは目を見開いた。

「ほう……」

「この城の美点をも見抜くとは、さすが――」

 先程の自分の言葉を思い出し、彼は少女の面白がるような微笑に怯んだ。

 しばらく歩みを進めていると、大きな門が見えてきた。門前には二人、武装した兵士の姿があった。

「すまないが、このお嬢さんを通してやってもらえないか」

 ヘルムートが問いかけると、年配の兵士から、彼自身がいったのと同じ言葉が返ってきた。

「どのようなご用件で?」

 彼は衛兵に近づき、用件を耳打ちした。

「彼女は、ディスメルド・マーチ連合の特使だ」

「こんな少女が……本当でありますか、閣下?」

 年配の兵士は、驚きわ隠しきれないといった表情で小柄な少女に目を向けた。

「信じがたい話だがな。しかし、陛下に取り次ぐ前に文書も徹底的に検証される。この少女にもその察しはつくだろう。

 あえて来たからには、恐れは不必要であり、偽りはなきに等しいと思わないか?」

 若い騎士の言葉に、その先入観を逆手に取った策謀ではないのかと兵士は思ったが、これ以上反論しても機嫌を損ねるだけだと感じ、城門を開けるよう指示した。

「お待たせしました、お嬢さん」

 ヘルムートがそういうと、ディスメルド・マーチの若い特使は春の日差しのような笑顔を向けた。

「ありがとうございます。

 あと二人でいる時、わたしのことは名前でお呼びになって」

「わかりました、シャロン……様?」

 少女の翡翠色の瞳を覗きこむ。

「二人きりの時は、呼び捨てで構いませんわ」

 可憐な微笑がそれを迎えた。嘘偽りのない笑顔は人を幸せにするというが……このことだろうか、と若き騎士は考えた。




 シャロンと共に、ヘルムートも客間に案内された。そして、彼らをこの部屋に案内した使用人はゆっくりと頭を下げた。

「ご苦労様です」

 友好中立国であっても、決して味方の地ではない場所に深く入り込んでいるのに、使用人に対するその言葉からシャロンの緊張感は全く伝わってこない。この少女は無神経なのかとも思ったが、“鈍くさい”というわけではなさそうだった。

 シャロンがためらいがちに口を開いた。

「あの、城外に護衛の兵を三〇名ほど待たせているので、彼らに休憩所か何かを設けていただければありがたいのですけれど……」

「それは一大事ですね。すぐに用意させます」

 ヘルムートは急ぎ足で扉を開き、客室を守る三人の衛兵に話を通した。

 一人の衛兵は大急ぎで廊下を走り、近場の宿屋との交渉に向かった。間者に間違えられてはたまらない、と呟いて。

「ありがとうございます」

 少女はゆっくりと頭を下げ、上げるとヘルムートを直視した。

「……楽しいお散歩を中断させてしまったようですわね」

 困ったような表情をしながら彼女は続けた。

 ヘルムートは笑顔で応じる。

「この分の時間外手当と振り替え休日が支給されますので、ご安心を」

「まぁ」

 二人の若者の笑い声が室内に響く。

「……それにしても、その若さで『閣下』と呼ばれるなんて、よほど優秀な騎士様なんですね」

 シャロンが感心したように言った。

「いやいや、ほとんどが祖父の七光りです」

「ふふ、そんな謙遜する必要はありませんわ。あなたは有名人ですもの。

 エトルランドの英雄さん」

 彼は少女の微笑に一瞬だけ見惚れたが、読みとられぬうちに表情を切り替え、苦笑しながら口を開いた。

「そのように言われているのですか」

「ええ、若く美しい騎士隊長が戦局を急進展させたと」

 彼が応えようとした時、扉をノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

 シャロンは明るい声で言った。

「失礼します。ハートベイカー様、皇帝陛下が面会を許可なされ、準備が整いました。こちらへ……」

 部屋に入って恭しく礼をした使用人は、シャロンの手を取って近づいてきたヘルムートに紙を渡し、彼女を外に招いた。

 一礼をして使用人が去ると、ヘルムートはその紙に目を通す。

《イズアル騎士団騎士隊長ヘルムート・アンゲルス子爵に勅命である。

 面会が終わるまでに武装した騎兵一〇〇を召集し、それをもって、ハートベイカー令嬢の護衛を貴殿の最優先任務とし、直属の護衛兵と協力して令嬢をディスメルド・マーチ領内まで無事に送り届けよ》

 苦笑した彼は『勅書』に向かって呟く。

「私の休暇は……?」

 彼の意志をもひねり潰せるだけの権力を持ったそれは、無論、何も答えなかった。

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