2 迫撃戦
秋の憂いに染まった空は、アランドラ軍とルシタニア軍の壮絶な地上戦を見つめている。そこでは、弱体部に帝国軍が全兵力を叩きつけて戦線を突破したために、同盟国軍は大混乱に陥っているのだった。強行突破に成功した帝国軍は、戦場に急行しつつある騎士団第一陣との合流を目指し、組織的な反撃と後退を繰り返していた。
「槍兵隊、反転!」
第三軍司令官ベンジャミン・ペリーズ将軍の最後尾への指示による、組織的な反撃のはじまりだった。
「騎兵隊、離脱しろ。槍兵隊、攻撃!」
いい判断だ。一心不乱の人間には、必ず隙が生じる。上官の左隣を駆けている、第三軍の参謀ロイズ・フランシスは心の中で呟いた。
司令官の抽象的な指令を、騎兵隊長は即座に理解した。彼の指揮の下、中列に控えていた一二〇〇の騎兵隊は本隊両翼に部隊を展開し、敵軍の右側面に斬り込んでいった。一〇分足らずで同盟国軍の長蛇陣は前後に分断され、圧倒的に少なくなった九二騎の騎兵からなる前衛部隊は、帝国軍槍隊の強攻で全滅した。
同盟国軍兵士の死屍で道が舗装されたため、追撃の速度も、決して満足できるものではない。ある者は死体につまづき、ある者は――ごく少数ではあったが――武器を握りしめたままの死体に突っ込み、死せる仲間の刃に身体を貫かれた。
「そろそろ諦めてくれんかな」
多くの敵を死に至らしめる作戦の実行命令を下した張本人は呟く。無駄な犠牲を避けることこそが彼の主義であり、用兵の基本であった。
「生還した騎兵には、例外なく恩賞を約束しよう。程度の差こそあれ、臆病風に吹かれた者にもな」
彼は言う。臆病風に吹かれた者がいても、責任の一端はそれを処断しなかった指揮官に帰する。失態の明らかな部下の処断も、指揮官の役目である、と。
同盟国軍の混乱は拡大し、帝国軍は今以上に後退の足をはやめた。
しかし翌々日の早朝、帝国軍の伝令が吉凶両報をもたらした。
「増援、両軍ともに到着!」
帝国騎士団の本拠地は、同盟国増援軍ほど戦場から離れていたわけではなかったが、農民兵や補給部隊も連れた騎士団にとって、これは急いだ結果であっただろう。
敵軍の増援には、味方に多少の恐慌が生じたが、第五軍司令官代理ナルセスの品性を欠く叱咤がそれを打破した。
「野郎、何を慌ててやがる! 我々の任務は逃げることであって、真正面から戦うことではない! 敵増援は遙か後方、更に、兵が増えれば足並みが乱れるのは用兵の定石。よく考えてみろ、我々は優位に立ったのだぞ!」
彼の言ったことが事実か否かは、四時間後に明らかになった。その時、同盟国軍は増援の再編に手間取り、帝国騎士団の急襲を受けたのだった。
先陣をきって敵陣に突撃したのは、獅子のような容貌に気障な笑みを浮かべた“百人斬りの勇者”ヴェイル・ジュリアスだった。二本の槍を両脇に挟み、それぞれ片手で握っている。
丸太のような両腕が一振りされると、鋭い音を立てた槍の矛先が、彼を挟み込んでいた同盟国軍兵士の鎧と兜の間隙を正確に捉えた。その数秒後には、宙を舞った左手の槍が獲物の頭を貫いていた。
兵士の命を三人を死神に売りつけ、鎧に犠牲者の数を刻むという、陳腐だが威圧的な行為は実を結んだ。鎧の横三列を埋めるおびただしい数の傷を見た三名の同盟国兵士は、彼に背を向けて逃げ出した。
しかし、敵前逃亡を潔しとしないジュリアスの偏見と勝者の権利により、彼らも背後から突き倒されてしまった。
時を同じくして、ヘルムート・アンゲルス子爵率いる第二陣は、指揮官の独断で迂回路を驀進していた。この行為が戦闘後に処罰の対象とされる可能性もあるが、彼としては戦闘の早期終結を優先したかったのだ。
「一気に戦力を投入したことにより、補給線の負担は明らかに重くなる。餓死するのはたまらん」
独断に対して慎重論を唱えた部下に彼は言った。
敵軍の左側面に到達すると、騎兵隊の急襲で警戒を強めた兵士達が、組織的な反撃に乗り出した。ヘルムート騎士隊の参戦によって完成した、ゆるやかな半包囲陣形は次第に収縮していく。
「これをどう思う?」
騎士隊中央部に退いたヘルムートは、隣で血を拭いている腹心に訊ねた。
「追撃戦に入って、敵は後方の警戒を怠っておりますな。補給線を叩く、良い機会かも知れません」
ナダルの言葉に左眉をつり上げ、ヘルムートは唇を歪ませた。
「じゃあ、略奪ってのは悪いことだと思うか?」
「それは……時と場合によりますな」
不意に無表情を崩したナダル。
「今は、絶好の機会でしょう」
その言葉に、ヘルムートの唇は更に歪んだ。
私より後方に控えた部隊は戦線を離脱せよ、という単純な指示で、騎士隊の後尾部隊と騎士隊長自身は戦線から離脱し、同盟国軍の後方で孤立している補給部隊に急襲をかけた。追撃に入った同盟国軍にとって、敵軍の後方奇襲は想定外のものだった。
「補給物資を欲しいままに奪え!」
荷物を抱えて逃げ惑う補給兵をランスで突き倒すと、ヘルムート自身は、ナダルに重要な指示を出した。
後続の補給部隊が全滅したとの報告が同盟国軍司令官タニア・ロム将軍のもとに届いたのは、襲撃開始から三時間後であった。
「貴殿は、この戦況をどう見る?」
失策に動じた様子もなく、ロム将軍は参謀ヨハネ・ハルデスに訊ねた。
「これ以上の犠牲を避けるためにも、撤退すべきかと」
あえて常識論を提示した老練な参謀。
「やはり、それしかないか。
俺としたことが、こんなくだらない失策に身を委ねるとはな」
自嘲するように呟き、
「それにしても、奴らには達観した指揮官がいるようだな」
と続けた。
その達観した指揮官は、少数兵力をもって、いまだ同盟国軍の背後を脅かしている。
「まずいな、退路を断たれるぞ。全軍を急いで退却させろ」
猛々しい司令官の声に、参列者で反論した者がいた。部隊長バリーである。
「しかし閣下、敵軍は度重なる追撃に疲弊し、こちらが全力で弱体部の一カ所に攻撃を加えれば敗走するでしょう。その後に返し刃で敵軍別働隊を葬るべきです」
「そんなことをしている間に、我が軍の疲労と飢餓は目も当てられぬ状況になる」
ハルデスの落ち着いた声が、彼の意見を否定した。不満そうな視線を投げかけながらも、自分の非を認めざるをえないようだった。
「閣下、我が隊だけで偵察を行わせて頂きたいのだが」
部隊長の勝手な発言に、赤みがかった髪を揺らして参謀が反発した。
「自重せよ。そんな行動を許可できるわけが――」
「いや、やらせてやれ」
ロムの反応はハルデスと違うものだった。参謀は驚きに目を見張り、反論の手段さえ見出せないでいた。
そんなことはいざ知らず、彼は続ける。
「部隊長、貴殿に敵別働隊の動向偵察を命じる。機会さえあれば、撃滅するもよし」
バリーが感謝の意を込めた敬礼でそれに応えると、司令官は頷きを返した。
その場を部下が去ると、ハルデスはやっと疑問を口に出した。
「何かお考えがおありで?」
「あのような男は、私の幕下に必要ない。司令官の命令に不当な異を唱えるような猪突児はな。敵の手で始末してもらおうじゃないか」
冷酷な笑みを浮かべて、将軍は呟いた。
こうして、“戦術部隊指揮官としては有能だが、戦略知識に欠ける部隊長”は、ヘルムート騎士隊に名目上の偵察隊指揮官として差し向けられることになった……