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1 勇躍

 帝都から北東に一五〇キロ離れた平野にそびえる『ヴェスヴィオ砦』は、二万の戦闘員と五万の非戦闘員を収容できるように設計されているため、砦というより一つの都市として考えた方が想像に易いだろう。現在、一万七○○○名の戦闘員の六割はルシタニア帝国の正騎士で、残りの四割は先兵や対外警備兵として活躍する勅選の傭兵隊と、補給・城内警備担当の農民兵であった。非戦闘員のほとんどは、砦内外の農工業に携わり、騎士団に食糧と武具を供給して生計を立てている。

 そんな砦の監視塔に立つ、黒髪の傭兵が大声を上げた。

「アンゲルス卿だ、お通ししろ!」

 男の大きな返事が、そこからは見えないほど遠くから届くと、すぐに巨大な門は重苦しい音を立てながら動き出す。まず目に入ったのは、自分に向かって頭を下げている衛兵だった。これは義務ではなく、彼に対する敬意の表れだった。

 彼らに頭を上げさせると、彼は愛馬を厩舎に預け、兵舎を目指して歩き出した。




 兵舎への道を繋ぐ街中では、若く美しい騎士隊長に憧憬の眼差しを向ける者は無数におり、女性の嘆息も聞こえてくる。緊急時であることは周知の事実のため、話しかける者はいなかったが。

 市街地の四方を囲む巨大な城壁には、連弩や岩石発射管が設置された穴などの防衛兵器が用意されている。帝都のきらびやかな装飾とは無縁な城砦都市の軍管轄区に入ると、整列した数千人の騎士が彼に敬礼する。

「準備が早いな」

 苦笑を隠しきれない騎士隊長の前へ、壮年の騎士が歩み出た。

「当然です、アンゲルス卿。すでにロメオン騎士団長と先鋒のジャスティン騎士隊長は戦場に発ち、後詰めたる我々もすぐに出立せねばなりませぬ」

「ナダル、お疲れの騎士隊長に強行軍を強いるつもりか?」

 それは疑問ではなく、確認であったのかもしれない。

「出陣命令には逆らえません」

 皮肉っぽい言葉に相応しい表情さえ浮かべないナダルの兜から覗く顔は、実年齢よりも遥かに老けて見える。

 ヘルムートは諦めたように溜め息を吐くと、

「腹ごしらえくらい……」

 そう呟き、兵舎に向かった。




 ゆっくりとした歩調で兵舎の門をくぐると、救護班以外は誰もいないことがわかった。床には、刃こぼれの生じた長剣や傷だらけの篭手が床に散らばっている。

 武具そのものが国家の疲弊を表しているかのようだな、ヘルムートはそう思いながら、自分の武具に手をかけたが、急いだ様子を見せることはない。戦場に身を投じる者達の全てが、装備の不完全さは死を招くものと考えているのだ。

 意図的に空を斬った愛用のクレイモアを鞘におさめ、腰に提げると、白銀の鎧でその身を包んだ美貌の騎士は、今度は早足で兵舎をあとにした。




 ヘルムートの愛馬シュトルムは、休む暇もなく厩舎から叩き出されたことが不満だったのか、しきりに首を振って嘶いている。美しい騎士が愛馬に近づくと、駆け寄ってきたナダルがヴァンプレート・ランスを彼に渡した。

「先鋒の騎士隊もあなたに気を遣って、編制基準よりも三〇名ほど多めの騎士を連れて行きました。だからといって、あなたをゆっくりは行かせませんが」

 普段から遠まわしな表現の多いナダルは、遠慮なく自分の上官に告げた。

「……ということは、しばらくは奴らだけで対処できるってことか」

 彼の誰に対しても遠慮のない性格は、この騎士隊長に影響されているのかもしれない、騎士達のほとんどがそう思っていた。

「さて、行こうか」

 とても重要な言葉を、とても重要とは思えない口調で言った上官に、部下の騎士達は不快感の欠片もない視線を向けた。

 後世の歴史書には、この部下達の反応についても記述されている。戦闘を目前に控えていても緊張感に苛まれない、強靭な神経の持ち主である騎士隊長自身に忠誠を誓う者も、少なくはなかった。戦地で兵士と同じように自分の命を危険に晒し、沈着な計算のもとに決断できる指揮官が部下達に慕われなかった事実はない、と。

 ……騎士達の視線に応えるように、ヘルムートは手綱を引くと同時に、クレイモアを鞘から抜き、夕空に切っ先を向ける。夕陽を背景に映えるその姿を見た者は、戦慄が背筋を駆け抜けるのを実感した。

 そして、美貌に似合わぬ低い声が騎士達に出陣の命令を下した……。

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