10 迎撃
四月一二日、ディスメルド・マーチ連合軍は出征の日を迎える。この日には、すでに“敵軍は国境警備軍の防衛線を突破しつつある”という情報がもたらされていた。
「ハーラン中将に連絡を。“なるべく死傷者を出さぬように戦い、敵に悟られぬよう後退せよ”とな」
リドリー元帥の命令には、戦線を支える副司令官から下級指揮官達まで反発を示した。
「これでは、敵に我が軍の意図がわかってしまうではないか!」
反発した者の一人、国境警備軍副司令官ディランゲ少将は伝令兵に怒鳴り散らしていた。
「あの妖怪ジジイ、俺自ら赴いて、成敗してくれる!」
「落ち着いて、落ち着いてください、閣下!」
椅子を蹴り飛ばし、剣を抜いて幕舎から出て行こうとするディランゲを、副官のダミオンが羽交い絞めにした。
「止めるな、殴られたいか!」
「それでも止めます!」
両者一歩も譲らない争いは、最終的に青アザを二つ作ったダミオンの勝利に終わった。
「しぶとい奴だ。そんなに言うなら従ってやろう」
その後、ディランゲが再び暴れ出すことはなかったが、彼の中にくすぶる熱い炎が収まったわけでもなかった。
数日が経過して、ディランゲの直接指揮する部隊がコルマール軍の先鋒にぶつかった時、彼は警備軍に相応しくない行動を取り続けたのだ。
「突撃!」
ディランゲの号令が響く。
「突っ込め!
……おい、そこの騎兵隊! 何を突っ立ってやがる。突撃してこそ騎兵だろう!」
「あまり深入りすると、敵に包囲されてしまいます! 前列は臨時徴兵によって集められたばかりの――」
という、ダミオンの制止が聞こえないわけではなかったが、副司令官は反応を示さなかった。
「ハーラン閣下もおいでになっているのだ。俺一人がどうなると、大した損失ではない!」
副司令官に最も不向きな男がディランゲあった。
「いいえ、大した損失で――」
「俺に続け!」
もはや暴走と言う他ないディランゲの攻勢は、確かにコルマール軍の出鼻を挫いたと言えた。
「なんだ、あの男は?」
隣に控えている参謀に訊ねたのは、先遣部隊の指揮官ガブスルフだった。
「確か、ディランゲという将軍です。相当な猛者なようで、自ら先頭に立って我が軍の戦線を突破しつつあります」
「ならばなぜ、お前はそんなに落ち着いている?」
「もう攻勢の限界点です。そろそろ半包囲の指示を出しても良いころでしょう」
「う……む」
ガブスルフの命令を受けたコルマール軍は反撃に出ようと動きだしたが、
「さて、さっさと逃げんぞ!」
と、ディランゲは叫んで引き上げてしまったのだ。コルマール軍も、ディランゲの無謀としか思えぬ振る舞いにすっかり騙されていた。あまりに鮮やかな後退だったため、両翼が突出したコルマール軍の中央部には大きな穴が開いてしまった。
「まんまとかかりおって、バカどもが!」
勇猛な副司令官は嘲笑した。
「全部隊に合図を出せ!」
しばらくすると、連合軍の部隊は矢じりのような隊形で再編成された。騎兵隊が前衛中央部に、その両翼を弓兵隊が固め、騎兵の背後の縦に長い陣列では歩兵隊が待機している。
その間にも、隊形を整えられないよう別働隊が間断なくコルマール軍に攻撃を続けていた。やがて、副司令官の命令が発せられ、連合軍は全面攻勢に転じる。
「行くぞ、野郎ども!」
ディランゲは真っ先に飛び出した。護衛も置いて行かれるような速度で、再び敵陣に突入し、味方の騎兵隊が後に続く。
コルマール軍は強烈な打撃を受けたが、隊列の再編が迅速であったため、何とか持ちこたえていた。連合軍の士気は上がり、攻勢も次第に激しくなった。しかし、連合軍の兵士たちは自軍の破局がゆっくりと近づいていることを知らなかった。
コルマール軍の本隊は、大きく迂回して連合軍の背後に回りこもうとしていた。言うまでもなく、連合軍も多数の偵察隊を放って警戒していたが、やがて彼らは、敵の女将軍は一枚上手だったことを知る。
「偵察たってな……」
連合軍偵察隊の指揮官が、全方位に広がる白い世界を見回してボヤいた。
「この吹雪じゃ何も見えないっての」
後ろにいる四人の偵察員もそれに頷く。
「しかし、この吹雪では逆に我々が捕まりかねませんな」
「……その通り」
偵察員の一人が呟くと、白い地面からくぐもった声が届いた。全員がそこに槍を向ける。
「やめておいた方がいい」
くぐもった声は続ける。
「君たちは包囲されている」
そう言い終わった瞬間、何かが彼ら全員の馬を押し倒した。
「報告はまだか?」
その頃、ディランゲは苛立ちを隠せずにいた。
「まだです」
ダミオンが即答すると、ますます苛立ちが表面化した。
「あれほど定時連絡は怠るなと言っただろうが!」
「確かに伝えたのですが……」
「がぁ!」
ディランゲの乗馬用の鉄靴が足元の木箱を粉砕した。
それから2日ほど連合軍に優位な形で戦いは続いていたが、やがてその均衡も破れることとなった。
「後方から敵襲!」
伝令の発した言葉から、連合軍の破滅は少しずつ始まった。
「なに?!」
ディランゲが馬に飛び乗る。
偵察隊からの連絡が途絶えたことを訝しく考え、すでに出撃の準備していたのだが、その準備もあっという間に意味を成さなくなった。
「前列の部隊が……」
ディランゲが目を向けると、臨時徴兵された市民によって編制された部隊が連合軍に向き直りつつあった。
「今より、我が部隊はコルマール軍に味方する!」
市民軍の指揮官は叫び、自ら連合軍の隊列に切り込んだ。
「内応されていたか……」
そう呟いたダミオンに、ディランゲが鋭い視線を投げつける。
「まだ負けたわけではない!」
彼は市民軍の指揮官を目指し、単騎で市民軍の集団に斬り込んだ。ゆっくりと馬上槍を構える。
「裏切者め、覚悟!」
恐ろしい速さで近づくディランゲに、市民軍の指揮官は驚き、
「うあっ……」
と言うが早いか、市民軍の指揮官は頭を失って落馬した。
「この者のようになりたくなければ、俺に従え! もはや、我々に勝利は望めん。しかし、生還の可能性はいまだ我が手にあり!」
槍に突き刺した指揮官の頭を掲げてディランゲが叫ぶと、威圧感に気圧されたのであろう、市民軍はコルマール軍に向き直り、戦闘を再開した。ディランゲ自身、戦場を縦横無尽に駆け回り、多くの敵兵を討ち取った。
半包囲下にありながら、連合軍はなおも奮戦を続け、ハーランの到着を待ちわびていた。
しかし、ハーランが彼らの元に駆けつけることは永遠になかった。なぜなら、彼の軍もコルマール軍の別働隊に釘付けとなっていたからである。
それから二日ほど戦闘は続いたが、ディランゲの部隊は壊滅し、多くの兵士が降伏した。彼自身は逃亡に成功しており、やがてハーラン軍及び連合軍本隊に合流、警備軍の漸次的撤退に手腕を発揮することになる。
四月一九日、国内の各地で戦闘が続いている間に連合軍は決戦の準備を整え、コルマール軍を迎え撃とうとしていた……